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「だが、あなたは直接会ったことがある?」
「アタシはちょっと立ち位置特殊だからね。屋敷から出ない代わりに手慰みになるものをいろいろ作ってもらったりしてたのさ。殆ど処分されただろうけどね」
「あの人形も?」
「ああいうのを飾るくらいしか楽しみもなかったしね」
 今は苦笑で済ませているモイラだが、当時はそれが本当に拠り所だったのだろう。かつての彼女の部屋を見てきたクリスには胸が痛い。自分だったら、などと考えるのはおこがましいのだろう。
 そんな感傷を心中に過ぎらせた彼に、黙って聞いていたダグラスが意味ありげな視線を向けた。
「話は変わるけどクリス、メイヤーと言えば、丁度君がいろいろ探りに行っていた人なんじゃないの?」
「ああ、そうだ。――その報告をしようか?」
 もとよりそのつもりではあったが、話には流れというものがある。例の男の話の話が途切れる形になることを危惧して問えば、軍務長官は鷹揚に頷いた。彼のことだ、必要とあれば強引にでも話を戻すことくらいはするに違いない。
 ならば、とモイラにひとまずの礼を言い、クリスは顔絵を引き上げた。
「では、ブラム・メイヤーについてですが……」
 詳しくは知らないだろうダグラスに向けて、クリスは法務省内の一室でヨーク・ハウエルから聞いた昔の出来事のくだりから説明を始めた。興味深そうな彼とは別に、関わった張本人とは言え、既に過去のことと認識しているのだろう。軍務長官はどこか懐かしそうな顔をしている。
 村長宅への訪問、そして火事現場での出来事、その後の隣人の話をまとめ、バーナード・チェスターの自殺に至る予測について語れば、ダグラスはさすがに呆れたように首を横に振った。
「君、運良すぎ」
「そういう目に遭う事自体運が悪いと思うが?」
「次から次へと芋づる式に何か探り当てる運だよ」
 情報部へ来ないかという半ば冗談を越えた誘いを即座に断り、クリスは小さく苦笑した。なるほど、確かにクリスの行く先々では妙に何かが起こる。意図して探りに行っているからとはいえ、本来なら空回りも相応に多いものだ。
(ゲッシュたちにちょっと誘導されてるところはあるけど……)
 そういえばあの声に助けられて以降、再び彼らは沈黙を続けている。どうしたものか、と顎に手を当てたクリスの耳に、小さな呟きが入り込んだ。
「チェスターか……」
 軍務長官である。
「俺は当時あまり関わってはいなかったが、セスにとっては彼が失脚したのは相当な痛手だっただろうな」
「汚職……ですか」
「むろん、冤罪だろうがな」
 言い切り、軍務長官は物憂げに髪を掻き上げる。
「フェーリークスのことを追うことになった始まりは、バーナード・チェスターだった。奴は最期まで何も言わなかったが、おそらくは妻子をフェーリークスに奪われている」
「!」
「息子もひとり居たようだが、関わってはなかったようだな。奴は殆どひとりで戦ってやがった。失脚はセスが説得しまくってようやく頼り始めた矢先のことだったからな。あともうひとり協力者っぽい奴がいたみたいだが、どうだろうな。俺は軍部の情報流してはいたが、あいつらの探ってたことはあまり知らんよ」
「そう、ですか……」
「しかし、メイヤーがねぇ……」
「メイヤーのもたらした情報について、何か心当たりはありませんか?」
「知らんな。さっきも言ったが、俺は直接関わってたわけじゃない。昔は王宮へ出入りできる立場じゃなかったしな。増築が行われていたことは確かだが、他に何か奴らが企んでやってたとしても俺の耳なんかには届かんさ」
 肩を竦めた軍務長官は、口元に皮肉な笑みを刷く。
 そうして目を伏せ、
「自殺するほどの大事か……」
 語尾を消し、彼は口の中で何事かを呟いた。何かを知っているようでどこか確証を得ない、そんな様子に発言を促すことも出来ずクリスはただひたすらに次の言葉を待つ。
 だが十数秒後、焦げ茶色の髪は静かに左右に揺れた。
「……いや、なんでもない。ただ、執拗に食い下がった男がそれを諦めて自殺するほどだ。よほどの情報だったんだろ」
「その後にハウエル法務長官はオルブライト財務長官と手を組んだようですが、後を託したと考えるべきでしょうか」
「セスについてはそうだろうな。オルブライトに関しては判らん。財政局時代の奴らはむしろ仲が悪かったくらいだからな」
「え?」
「チェスターは有能だったが頑固で融通の利かない一匹狼なところがあった。直属の部下だったオルブライトは当時30にもなってなかった。抜擢されて副長になったはいいが、厳格な上司とは反目し合ってたって話だ」
 初耳である。これまでなんとなしに「後を託されるほどの信頼関係にあった上司と部下」と思っていただけに、衝撃的な情報だったと言えるだろう。
 まさか他の皆は知っていることなのかとダグラスを見れば、彼もまたぎよっとしたように目を見開いていた。
「それ、僕も初めて聞いたんですけど」
「言ってないな。だが、仲が良かった悪かったで現状が変わるってのか? どういう経緯があったとしてもその結果は五年前に出てる。ブラム・メイヤーやバーナード・チェスターの過去を探るのは例の”物証”の手がかりを探すためであって、彼らの評伝を書くためじゃないだろうが」
 これにはさすがにダグラスもぐっと喉を詰まらせたようだった。
「お前には前々から情報は整理して取捨選択しろと言ってるだろうが」
「それはそうですけど……、正直、何もかも決定的に判ってることが少なすぎて、組み立てられないんです」
「だからと言って」
「長官」
 部下と上司のやり合いに、クリスは意を決して言葉を割り込ませた。
「今回の事件と過去の経緯との間につながりがあるとしたらどうですか」
「あ?」
「私の考えですが、今回の一連の事件、”物証”を巡る新たな事件とは思えないのです」
 言い切り、冷や汗を流しながら唇を引き結んだクリスに、三対の視線が突き刺さる。驚きを含んでいるのはそのうちひとつだけで、残りは内心の読めない試すような代物だ。
 それを受け、早まったかなと思いつつ、実のところクリスには引く気はない。考えが間違っていたとすれば真正面から説き伏せられるだけの話だ。あれこれとひとりで考えるよりは遙かにましと言える。
「言ってみろ」
 数秒おいて、軍務長官が低く命令を出した。頷き、渇いた喉に無理矢理唾を流し込み、クリスは顔を上げる。
「まず、事件の始まりは廃棄前の屋敷から重要とされる”物証”が発見されたことだとされています。それが国際規模の犯罪組織に関与することは明白で、その為に国が総力を挙げて”物証”を確保し組織の息のかかった者を排除しようと動いているのが今ですね?」


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