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「それは……」
「あんたは気にしなくて良いさ。アタシが勝手にして思ったことだしね」
 明るい雰囲気ではあるが、以前曖昧とは言えクリスに情報を渡したことは、彼女を相当に悩ませていたのだろう。或いは軍務長官との契約内容に抵触することだったのかもしれない。
 結果として何事もなく、心配と不安が肩すかしを食らった形となったことが、彼女に重くのしかかっていたものを少しばかりその背から崩し落とした。それをして吹っ切れたとまで言うのは安易だが、考えを変える切っ掛けくらいにはなったのだろう。一歩違う方向へ踏み出してもいいかも知れないと、そう感じられるようになったのだとすれば客観的にも喜ばしいことだ。
 だが、とクリスは思う。
「――自由に、なりたいか?」
 あれこれと未来を描いたところで所詮、彼女は過去と契約に縛られている。
 ダグラスとの会話を思い出しそう問えば、モイラはふ、と小さく笑ったようだった。
「自由だよ、アタシは。こうやってアンタたちを追いかけて外にだって出られる」
「だが」
「人は誰だって、立場や状況に縛られてるさ」
「!」
「窮屈だけど、アタシはアタシの意志でここにいる。今後のこともいろいろ考えられる。毎日のことさえも他人の手にあった以前とは全然違うさ。前はあの狭い窓から見えた景色だけが慰めだったけど、今は視界いっぱいにいろんな景色が見える。きっとそれは幸せなことなんだよ」
 言い、モイラは遠くへ向けていた目をクリスへと戻した。
「まぁそんなことはどうでもいいか。話が長くなったね。それじゃあ、よろしく頼むよ」
「ああ、必ず」
 指輪を握りしめたクリスに満足したか、モイラは一度目を細めると口の端を曲げたまま踵を返した。風に揺れるフードを押さえながら、背筋を伸ばして店へと戻っていく。
 その姿が建物の軒に消えるまで見送り、クリスはぽつりと呟いた。
「窓から見える世界が全てだった、か……」
 外へと、別の場所へと出ることもあっただろうが、それはどこかへ連れて行かれる過程にあったものでしかなかったのだろう。組織に囚われて数年、彼女の世界はあの建物の狭い部屋の中だけだった。
 手慰みに小物を造りながら、窓の外を眺める姿が容易に想像できる。
 そんな感傷を振り払い帽子を深く被り直せば、ダグラスは肩を竦めたようだった。
「それ、どうするの?」
 再び歩き始めてしばらく、横からクリスの手の中を覗き込み、ダグラスは難しそうな顔で言う。
「下手なところには棄てられないよね? 何があって誰に拾われるか判らないし。溶かして原型なくしちゃう?」
「そうなると工房に持ち込むのが確実だが……」
 なんとなしにそれでは、「過去を棄てた」イメージとは離れてしまうようで頷けない。
「海に棄てるか?」
「魚が間違って食べた挙げ句、漁師がそれを釣り上げそうだよね」
「確率は低いが、ないとは言い切れんな」
「うーん、じゃあいっそ、あの屋敷の所に棄てる?」
「何故?」
「あそこならさ、誰かに拾われても『あって当然』の場所だし? ある意味一番いいんじゃないかなぁ」
「なるほど」
「いっそ、またあの部屋に入り込んでさ、あの窓から投げ捨てれば? ダーラ・リーヴィスが投げ捨てたっぽくていいじゃない」
 多少子供っぽい発想とも言えるが、悪い提案ではない。
 それもいいか、と考えが傾き始めてきた頃、クリスはふとあることに気がついた。
「……ダグラス」
「え? なに? 急に低い声出して」
「勘違いしていたかもしれない」
 足を止め、クリスは口を手で塞ぐ。
「あれは……違ったのかも」
「な、何が?」
「俺たちがモイラの助言で発見したと思っていた地下室だ。……あそこはダーラ・リーヴィスの部屋からは見えない」
「そうだったね。それが?」
「秘密の地下室があったからと言って、カラクリの多い屋敷だと知っている者がそれを気にするか? そもそも彼女があの地下室を『まだ発見されていない隠し部屋』であるとどうして認識する?」
「! ……確かに」
「彼女は本当に、あの地下室のことを教えたかったのか?」
「もしかしたら、部屋の窓から見えた範囲に何かがあった……?」
 断定はできない。だが話しているうちにもそれは確信へと近づいていく。
 屋敷の周りにモイラの示唆した条件の場所は数多存在した。それを見て初めは判るわけがないと思ったものだ。結果としてアランが地下室への隠し扉を発見したのは確かだが、それは本当に偶然の産物だったかも知れない。
「でもそれならモイラも、そんなややこしいことを言う?」
「思い出せ、ダグラス。彼女は窓の外の景色しかろくに見ていない。屋敷周辺全てが同じような光景だったと知っていたと思うか? 見たことがあったとしても、記憶に残るほどまじまじと眺められたと思うか?」
「それなら……!」
 モイラの告げたヒントはまだ未発見の状態でそこにある可能性が高い。ダーラ・リーヴィスの部屋の窓から見える位置にある低木の根元に。
 顔を見合わせ、どちらともなく喉を鳴らす。
 そうしてふたりは頷き、ほぼ同時に駆けだした。


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