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「あらららら。そっちですかい?」
「そのつもりで俺の方に待機してるんだろう?」
 馴染みのあるダグラスではなく、わざわざ威圧感をもった外見のクリスの傍に居着く理由など、考えるほどに多くはない。
 含みをもった薄笑いを見せれば、男はしたり顔でクリスの手から硬貨を受け取った。易い交渉成立、というよりは彼の持っている情報が大したものではないということなのだろう。
 自然に話しかけている、そう見える範囲で近寄った男は、若干周囲の様子を気にしながら小さく口を開けた。
「ダンナ、本当に覚えてないんすね?」
「何のことだ?」
「前にあたしと会ったことあるじゃないすか。ほら、路地裏の道でダンナ呼び止めて難癖付けた集団すよ」
「え。……もしかしてライノさんと居た?」
「そうそう、そうす。まぁあたしは喋っちゃいないんで、覚えてないのも無理ないすけどね」
 男の言葉にそうだったのかと思いこそすれ、悪いという感覚はない。ライノに老人のことを聞いたあの時、十人近く居たうちで喋っていたのは実質三、四人だったからだ。薄暗い時間帯でもあり、ひとりひとりの顔などろくに見えもしなかったというのが実際の所である。
 男の方もそのあたりは気にしていないようだった。持ち出した話も導入に必要だっただけなのだろう。にやにやと笑いながら更に近づき、クリスの方へ注意を向ける馬を宥めながら続きを話す。
「つまりあたしはライノの同じグループに属してるってことですわ。で、ライノからいろいろ話を聞くんです。勿論他の仲間と一緒にね」
「それで?」
「ダンナ、ちょっと前にライノに顔絵見せましたでしょ。なんでもそれらしい奴を見たって情報が出てきたみたいですぜ」
「? それはおかしくないか? ライノさんは知らないと言っていたし、俺は顔絵を渡してなんかいない」
「ライノがあれからそれらしい奴を見たそうっすよ。それでこれこれこういう感じのやつ知らないかって、まぁ話ついでに仲間内で聞いてみたら他にも目撃者がいたってことっす」
 随分曖昧な表現だと警戒し、クリスは眉間に皺を寄せる。連想ゲームも驚くほどの不正確さに依った情報だ。
「……他人のそら似ってことも充分あり得る話だな」
「まぁあくまでらしい、って程度っすよ。人捜しの段階で目撃証言にいちいちケチつけてちゃ、見つかるもんも見つかりませんて」
 不確かであることを認めつつも悪びれない男に、クリスは小さく苦笑を返した。腹の立つほど厚顔な科白ではあるが、一理あるとも言えるからだ。
 まぁいい、もともと大した情報料でもないと割り切り続きを促せば、男は可笑しそうに喉を鳴らしたようだった。
「どこまで言いましたかね。……ああ、目撃者がいたってとこまでっすね」
「ああ」
「目撃者っていうか、見たって主張する奴はまぁ、昔に下町に住み着いてて身ぐるみ剥がされたって経験のある奴なんす。そんなことがあってからそいつ、今は夜になると所謂高級住宅街の方に移動するんですわ。その方が治安がいいってことでさ」
「だが、役所に近い住宅街だと巡回の兵に追い出されはしないのか?」
「まぁ、そこらへんは上手いことやり過ごすコツがあるんすよ。それは内緒っすけどね」
 深く突っ込む気などなくただ頷けば、男はやや残念そうな顔をしながら舌を出して唇を舐めた。
「そいつが言うには、夜中に時々、怪しい素振りで高級住宅街をうろうろする男がいるってことです。別にそれだけなら同類かと思うところですがね、なんでもいつも同じあたりで見かけるってんで、こりゃ怪しいって話になりまして」
 つまり『高級住宅街を根城にしながら巡回する兵をやり過ごす』方法は時を見計らって場所を変える必要があるということだろう。そういうこともせず、明らかに住民とは違った様子で周辺を彷徨う男、確かにそれは見過ごす方が難しい。
「どうもその男が、ライノの言う特徴に似てるらしいす。いや、平凡な顔してて、特徴らしい特徴はないってことっすけど。ただあたしら、職を転々としてますでしょ。雇い主やら仕事で一緒になる奴らやら、その場その場でしっかり覚えなきゃならねぇってんで、人の顔覚えるのは得意なんす」
 視覚的に悪い条件下で一度出会っただけのクリスを覚えていたこともそのひとつの例なのだろう。それが証拠と言われれば頷かざるを得ないというべきか。
「――仮にその男が俺の探している者と同一人物だとして」
 ひとつ、抱いた疑問をもってクリスは目を細めた。
「高級住宅街とは言うが、存外に広い。その男、どのあたりにいつも居るというんだ?」
 男がぼかした点を突けば、彼はにやりと笑ったようだった。正解、と言いたげな様子から察するに、敢えてクリスが気付くかどうかを試していたのかも知れない。気付けば言う、気付かなければ代金以下の情報で済ませる、そういったところか。
「それで、どこだ?」
「聞いて驚かないでくださいよ」
「言え」
「オルブライト財務長官の屋敷の近くっすよ」
「!」
 さすがに驚きを顕わにクリスは息を呑む。
「それは……」
「クリス」
 問い詰めるべく身を寄せたその直後にかけられた呼びかけに、クリスはびくりと背を揺らした。
「何やってんの? 時間は迫ってると思うんだけど?」
 眉を顰めたアランが、馬上からクリスを見下ろしている。慌てて周囲を見回せば、彼の後ろに馬を引いたダグラスの影。ふたりとも効率よく準備を済ませてしまったようだ。
 明らかに不審の色を含んだ目に、クリスは動揺しつつ視線を逸らす。
「……悪い。急ぐ」
 そうして如何にも後れを取ったことを恥じている素振りで準備を急げば、アランはため息を吐いたようだった。
 その後ろ、どこか見透かしたような顔つきで三人を眺めやったダグラスが、肩を竦めてから改めて男へと向き直る。
「それじゃ、連絡方法はいつもので」
「判ってまさ」
 やたらしゃちほこばったしぐさで男は了承を示した。こちらは何事もなかったかのような態度だ。
(アランが近づいているのを知ってて、わざと言ったんじゃないだろうな……)
 どこか理不尽なものを感じつつ、クリスは力任せに荷を括り付ける。その感情が伝わったのか、不満げに脚を鳴らし始めた馬の首筋を撫でておさめ、そうしてようやくクリスは馬上の人となった。
 胡乱気な視線を寄越すアランにもう一度謝り、ダグラスへ指揮を頼む。サムエル地方行きの案を出したのはクリスだが、軍務長官の号令で事が動き始めている今はダグラスをリーダーとした方が適切だろうとの判断だ。


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