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「じゃ、行こうか」
 気負いも躊躇いもなくダグラスはいつも通りの口調で出発を提示し、足で馬の腹を擦る。大人しく従った馬が首を返し、ダグラスを連れて夜の街道へと進み始めた。数歩遅れてアランが続き、クリスもその後を追うべく馬首を返す。
 と、そこに男の声がかかった。
「ダンナ、忘れ物っすよ」
 呼びかけつつ、男はクリスに小さな包みを放って寄越す。
「商品っすよ」
「?」
「教えはしましたけどね、どうせライノの奴に会っちまえば無条件でダンナが聞いてた話っす。フェアじゃねぇし、第一あたしがライノに怒られちまうんで、内緒にしててくださいや」
 なるほど、とクリスは苦笑する。情報料から口止め料を差し引いた代金といったところか。はじめからそうして商品を高く売りつけようとしていたのなら、やられたとしか言いようがない。
「ただ、言ったことは嘘じゃないっすよ。ダンナも気をつけて!」
「ああ」
 もとより、嘘だとは思っていない。言えば男は破顔したようだった。そうしてそのまま手を振って去っていく。
 その姿を視界の端に認めながら包みを強引にポケットに押しこみ、クリスは今度こそ王都の門を後にした。

 *

 以前通ったことのある道を駆けること約2日。サムエル地方へと入った三人はそのまま件の朽ちかけた屋敷へと直行することとなった。
 それというのも、
「……付けてるね」
 目を眇めたダグラスが今にも舌打ちしそうな声で呟く。頷いたクリスの顔も緊張を孕んでいる。
 王都を出てしばし進んだ街で一泊、翌朝早くに宿を出た時はまだ周囲に人も多く気付くことはなかった。可能性は常々考えていたことだが、さすがに人混みの中でそれをそうと気付けるほどの能力は三人にはない。だがその後、日を跨ぎ街道を西に進むうちに追っ手の気配は確実なものとなった。
 希望的観測、または楽観するならば、軍部と財務省の抜け駆けを阻止するための法務省及び王宮からの諜報員という可能性も否定はしきれない。だが状況的なものを考えるに、十中八九、人身売買組織の監視と見るべきだろう。
 付かず離れず丸一日、相手の追跡技術も大したものだと賞賛すべきか。或いは組織にその手の専門家として訓練を受けた輩なのかもしれない。
(そうだとしたら、やっぱり海外からの支援があると見た方がいいと思うけど……)
 軍務長官が出した疑惑、出発直前の男の情報。それらがクリスを惑わせている。
(怪しむべき、なんだろうか?)
 外国からの組織の援助が大きければ大きいほど考える幅は広くなり、つまりはそれらの説の根拠を薄めることとなる。ただ、逆も然りだ。
 感情の面からすれば、充分に尊敬に値する人格と能力を持つ財務長官を疑うことなど以ての外である。だがクリス自身、疑惑の芽は以前から思考の隅で小さく飼っていた。経歴からくる消去法で否定していたに過ぎない。
「クリス、大丈夫?」
 思考の淵に沈みかけたクリスを、ダグラスの声が呼び戻す。
「やっぱりちょっと急ぎすぎかな?」
「いや、大丈夫だ」
 緩く頭振り、行き先へと注意を戻す。
 クリスたちが当初一度寄るつもりだった最寄りの町を避けたのは、相手にも余裕を持たせないためだ。西の街道を進んでいる以上、行き先など初めの時点でばれていることは明白である。件の屋敷へ行く為の中継地点として最適――というよりは他にないと言うべきだが――な町に、追跡者の仲間が存在している可能性は高い。わざわざ敵を増やす真似をしてまで休息を優先させるほど、クリスたちは自分たちに過信を抱いてはいなかった。
「人は増えていそうか?」
「ちょっと判りにくいけど、たぶんひとりだと思うよ」
「上手くいったと見るべきか?」
「どうだろ。この道じゃ向こうも追うだけで精一杯だとは思うけど、町と屋敷の距離を考えるとちょっとした時間稼ぎってレベルだろうね」
 つまりは、目的地へ着いた後が勝負ということだ。
「段取りはどうする?」
「時間がないなら、危ない橋も渡るべきだろう」
「やっぱり、それしかないか」
 できればクリスも、安全な方法を採りたい。だが何者かに付けられている以上、分の悪い賭けなのだ。
 迅速に、的確に素早く。そう心の中で繰り返しながら、クリスは悪路を飛ばす。
 そうして時にわずかな休息を入れつつ駆けること一時間。
「見えた! クリス、アラン、準備を」
 一番目の良いダグラスが鋭く、彼にしては低い声で注意を促す。緊張を体中に乗せながらはっきりと頷き、クリスは手綱を握りしめた。
 時折強い風に揺れる背の高い草むら、野性に返りつつある低木、陰気な雰囲気を纏った崩れかけの館。先刻から柔らかくまとわりつく霧雨の奥にそれを確認し、知らず、目を眇める。
 久しいという思いと共に、狭い道を駆け抜けた三人は、玄関前の広場で一斉に馬を下りた。
「アラン、予定通りに頼む!」
「判ってるさ」
 易く請け負いながらも、アランの顔はいつになく真剣だった。彼が負っているのは重要な役割であり、且つ危険性の高いものである。作戦を立てたのはダグラスであり、初めは彼自身がその役目を担うつもりだったようだが、それにアランが異を唱えたのだ。
「索敵能力はラザフォートの方が高い。離れるべきじゃない。クリスは遠距離攻撃の手段がないだろ。だから僕が行く」
 さすがにダグラスも覆せるほどの反論が思いつかなかったのか、その主張を受け入れて素直に小道具と言うべきロープをアランに渡したものだ。
 ――そう、アランはひとり、ダーラ・リーヴィスの住んでいた部屋へと向かっている。彼女が「外で何か作業している人物に気付かれずにそれを見ていられる位置」を探すためだ。窓から見える庭という広い範囲を少しでも縮める為の苦肉の策というべきか。
 そうして駆けていったアランから意識を外し、クリスとダグラスは連れてきた馬を連れて荒れ果てた屋敷の庭を進む。常に逃げるということを視野に入れて動かねばならないため、移動手段は手放せないのだ。その為やや大回りに庭を通り抜ける必要があったのは致し方ない。
 そうしてようやく辿り着いた場所から例の窓をと見上げれば、丁度アランも部屋から顔を覗かせたところだった。
「どうだ?」
「もう少し前に進んで。……そこが丁度真ん中。そっちからはどう?」
「駄目だね。そんなところだと、カーテンの隙間から見てたとしてもバレそう。もうちょい端に寄るか、少し下がって?」


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