[]  [目次]  [



 一歩横に避けたアランにダグラスは次々と指示を出す。彼自身の諜報員としての経験から来る独特の視点にクリスが口を挟む余地はない。
「そこだとちょっと見つかりやすいかな。もうちょっと移動して」
「まだかい? 充分隠れてそうだけど?」
「駄目だよ。僕たちがそれと知って尾行してる状況とは違うんだよ。素人が普通に部屋でくつろいでたら、ふと窓の外に何か見えたってシチュエーションじゃないと。初めから隠れて近づくのと、普通にしてて見えるのとでは違うよ」
「……はぁ。それじゃ、ここらか?」
「ちょっと右。そこで止まって。少し屈んで……いや、違うなぁ。その場所だと椅子に座ってると考えて」
「これくらいかい?」
「そう、ストップ。ちょっとそこで待ってて」
 ようやく満足のいく位置が見つかったのだろう。アランに視点を固定させたダグラスはクリスと距離を取り、今度は自分がうろうろと周囲を回り始めた。あちこち歩いては時折しゃがみ込み、上を見上げてああでもないこうでもないと呟き首を横に振る。
 周囲に気を配りながら彼が作業を終えるのを待つこと十数分。さすがにクリスに焦りが生じてきた頃、ダグラスは再びアランへ向けて声を上げた。
「このあたり、どう? そっちから見える?」
「見える」
「ここは?」
「ちょっと木が邪魔だけど、見えないことはない」
 返答にダグラスは顎に手を当てる。そうして何度も地面と空へ視線を往復させ、最後にひとつ頷いた。
「ここらかな。アラン、少しそこで待っててくれる?」
「早くしろよ」
「判っ――」
 言いかけたダグラスが突如、大きく目を見開いた。
 それに先立つことゼロ、カンマ数秒、考えるよりも先にクリスは地面の石を拾っていた。そうしてそのまま低い位置から上方へ勢いよく腕を振るう。
 石は鋭い軌跡を描きながら三階部分へと違わず飛び、アランの横をすり抜け、残されていた棚の硝子を粉々に砕いた。
「後ろ!」
 衝撃音とともに叫び、クリスは二投目を放つ。その間に振り返ったアランの対応は速かった。
 体を返すや否や、手にしていた短剣を振るう。狙ってのことではないだろう。だが偶然に味方された彼の凶器は、迫っていた何者かを正確に切り裂いた。それに一拍遅れてクリスの礫がその人物を襲う。
「くっ――」
 呻く人物と距離をとったのか、アランの姿が窓枠から消えた。こうなると階下にいるクリスには状況が掴めない。
「アラン!」
 叫ぶクリスの耳に、三階の部屋から鈍い音が響き渡る。数秒置いて更にもう一度。
「アラン!?」
「聞こえてる!」
 苛立ったような声に安堵する間も僅か。ようやくのように姿を見せたアランはクリスには目もくれず、何かを探すように窓枠から鋭い目で周囲を薙いだ。
 それから数秒もなかっただろう。ち、と舌打ちの聞こえてきそうな顔がある一点を捉え、流れるような速さで背負っていた矢を引き抜き弓につがえる。
(まさか)
 その動作に引き摺られるように振り返ったクリスは、彼の視線の先に目を向けた。
(――いる!)
 気付いたのはダグラスとほぼ同時か。否、一瞬速くその方向へ矢が飛び、遅れてクリスは地面を強く蹴った。そのまま一足飛びに目的へと向かい、走りながら抜き放った剣を横薙ぎに振るう。
「ぁがっ……」
 飛来した矢に気を取られていたためだろう。逃げる素振りさえ見せずにクリスの剣を腹に受けた男は、一瞬置いて吹き出た血をまき散らしながら後ろへと傾いていった。どん、と地面が重い音を立て、周囲の低木が枯れかけた葉をはらはらと落とす。
「クリス!」
「大丈夫だ。他にいそうか?」
「今のところはいないみたいだけど」
「アランは?」
「今降りてきてる」
 間一髪、だがとりあえず全員無事といったところか。安堵するとともに、クリスは額に滲んだ汗を拭い取った。
「ダグラス、急ぐか」
「うん」
 何を、とは言わなくとも通じることだ。隠れての追跡を止め姿を見せたからには、敵もそれなりの対策を取った後のことだろう。本来ならそれでもあるかないかの手がかりを探して身ぐるみを剥がすところだが、今はそれ以上に優先することがある。
 印は付けてある、と迷わず引き返したダグラスの後を追い、クリスは元立っていた場所へと引き返した。
「このあたり、地面を念入りに探ってみて」
 言うや、しゃがみ込んだダグラスに続き、クリスも地面を触って確かめる。どこもかしこも似たような状態だが、某か埋めた人物の残した手がかりはあるはずだ。不要なら棄ててしまえばいい。それを隠したからにはいずれ掘り返す可能性があるということなのだ。
 目印、或いは場にそぐわない何か。更なる敵がやってくるのが早いか、それを見つけるのが早いか、正直なところ分の悪い賭けと言えるだろう。
 悪い予感が生み出す汗に手を滑らせつつ、時に顔を上げ、時に地面を掘り起こし、次第に高鳴っていく鼓動に焦燥を募らせる。ほどなくして合流したアランもふたりに倣い、背を曲げること数分。
「――クリス、ラザフォート」
 唸るような声が、先に探し始めたふたりの耳朶を打った。
「やられた、かもしれない」
 今にも舌打ちの漏れそうな声に眉を顰め、クリスとダグラスはアランの手元を覗き込む。枯葉の避けられた二十センチ四方の場所を指さして、アランは皮肉気な笑みを浮かべた。
「僕が掘り起こしたわけじゃない。葉っぱを避けてみたらこうなってた」
「掘られた跡……。そう何年も前のものじゃないな」
「他の地面はそれなりに固いのに、見てよ、ここは簡単に崩れる。それに、土の中に雑草が混じってる。どこか別の場所で掘った土を加えたんだ」
「つまり……」
 単に掘った地面を元に戻すのなら、またその土で埋め直せば事足りる。であるにも関わらず、他の場所から土を足さなくてはならない理由は、この場合はただひとつだ。
 何かが埋められていて、それを誰かが取っていった。その跡ということになる。
 近寄ったダグラスが慎重に柔らかい土だけを除き、穴を広げていく。こうなると、再びクリスに手を貸せることはない。立ち上がり、周囲へと注意を走らせれば、アランもまたそれに倣い手に付いた泥を払い落とした。
「クリス、覚えてるか?」
 呟かれた声は低く、硬い。


[]  [目次]  [