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 おそらくは相当に情けない顔をしているのだろう。指摘を受けながらも表情を改めることが出来ず、クリスは表現しがたい感情を堪えるように口をへの字に曲げた。
 アランの声は淡々としている。だが実のところ、今話された略歴の裏には辛酸を舐めるような逃亡生活があるとも明らかだ。
 メイヤーハウスで見せた手癖の悪さ、普段からの口の悪さ。組織の被害者に話を聞くという提案がされたときの反応。過剰なまでの財務長官への態度と信頼。思えば不思議だった彼の態度や行動の意味が今はよくわかる。
 あまり公表したいとは思えない過去を話してくれたことに感謝しつつ、自分の秘密は打ち明けることが出来ない現実にクリスは辟易とした思いを抱いた。そうして、その場限りの慰めや労いを言うことも出来ずに、彷徨わせた手をアランの方へ向けた。
「……何の真似?」
「いや、どこか寂しそうだと思って」
「あんたさぁ、僕のこと小さい子供とか思ってない?」
 頭を撫でていたクリスの手を振り払い、アランは体中の力を抜くように大きく息を吐き出した。
「はぁ、なんか調子狂う」
「悪い」
「悪いと思ってるなら、ちょっと背中貸してよ」
 むっとした口調で吐き捨てるように言い、アランは強引にクリスの肩を押す。
「そこ、一番綺麗な場所じゃないか。ひとりで占領しないでよ」
「なら、俺は向こうへ行くが」
「それじゃ、退けたみたいで僕が悪者になるだろ」
 誰も見てないがという言葉を飲み込み、クリスは大人しく押されるままに横へと移動した。深刻な過去の話から一転、よくわからないアランの行動だが、少なくともクリスの存在を嫌がってはいないのだろう。どこか不貞腐れたような顔やぶつぶつと文句を言う口、そうした表面上の感情の露出ほどには雰囲気に毒がない。初対面の時の敵意むき出しの彼を思えばかわいいものである。
(メイヤーハウスのときはどうしようかと思ったけど)
 彼とヨーク・ハウエルに挟まれた状況を思い出し懐かしさに眼を細め、クリスはついと横に視線を流す。気づき、アランはじっとりと湿った目を向けた。
「……なにさ」
「いや、別に何も」
「人見て笑っておいて、何もはないだろ」
「言うほどのことじゃない」
「……ふぅん。まぁ、いいけどさ」
 軽く鼻を鳴らし、アランは軽く目を伏せる。
「なんかいろいろ考えてる気力があるなら、見張りでもしててよ。体力莫迦の軍人ふたりのお供は大変なんだからさ」
「それは構わんが、――そこで何故俺に凭れる」
「これなら敵が来てあんたが身動きしたら、嫌でも気付くだろ」
「いや、普通に起こすが」
「起こされてからじゃ遅いからやってんじゃん」
 文句ある? そう言外に問われ、クリスは小さく苦笑した。あると言ってみたい気もするが、おそらくはそういった言葉遊びを仕掛けてきているわけではないのだろう。皮肉を返しつつ傷ついた表情をするアランが容易に想像できる。
 どうしたものかと迷い、結局クリスは彼の甘えにも似た行動を肩を竦めることで容認した。
「いいが、野生動物ほど勘は良くないからな?」
 念を押せば、アランは頷いたようだった。ふ、と、呆れのような安堵のような微妙な息が小さく闇を揺らす。
 そして、緩やかに落ちた沈黙が微かな雨音を耳に運ぶ。眠りを誘うように断続的に、だかどこか物憂げな音色は今とその先の状況を暗示しているようだった。暗い廃屋と時折揺れる草木の影。濡れた衣服が熱と体力を疲れた体から削ぎ落とす。
(これで敵がやってきたら、どうしようもないな)
 逃げようがない、否、逃げる気力がない。
 そんな弱音を払いたいと、せめて火をとも思うが、さすがにそれはまだ尚早というものだろう。立ち上る煙は目立つ。もう少しだけでも、追跡を撒いたと確信できるだけの時間は必要だ。
(敵、か……)
 なんとなしに、襲ってきた者達を思う。
(あれは訓練された動きだったが)
 そうして、ここ数日のことをひとつひとつ丁寧に繰り返し思い起こす。
 まず、追跡を行っていた者は相当に訓練された者だ。その後現れた者達も、ひとりひとりは確かに腕に覚えのある者といった様子だった。だが、決定的に統制が取れていなかった。命令を出す主となる人物がいなかったというわけではないだろう。クリスたちが行動に出る前、じりじりと追い詰めていた段階では確かに確固たる作戦を持って動いていた様子だった。
(でもいざ追い始めると、連携がなかったというか)
 命令が届かなくなり個々の判断で好き勝手し始めたという印象だ。だからこそ切り抜けられる余地があったともいうが、巨大組織の放つ刺客というには、ひとりひとりの技量ではなくそうしたところがどうにもお粗末な気がしてならない。
 やはり一連の事件は国外の組織を絡めた大規模なものではなく、あくまでも国内残存勢力の仕業か、とクリスは唇を指でなぞる。
 再起を図り息を潜めているべき勢力が表に出ざるを得なくなった原因の”物証”。それが世に出て明るみになる何かはおそらく、彼らの息の根を止める代物だ。だがそれは何なのか。この国で組織の幹部として動いていた者達や根城は五年前にほぼ明るみに出ている。それらに新たな罪やその確証が加わったところで世論を騒がせはするものの組織の痛手にはならないはずだ。せいぜい、元幹部が逃走先で苦笑する程度だろう。
 だからこそ注目を浴びる”物証”。これまでのクリスであれば茫洋と、新たな幹部の名前が出てくる程度だと思っていたのだが。
(オルブライト財務長官が、組織の息のかかった人物なら……)
 五年前、組織を壊滅状態に追い込んだことさえも自作自演の猿芝居ということになる。台頭し目立ってきたゼナス・スコットを切るために仕掛けた大がかりな罠。セス・ハウエルという老獪で油断ならない「敵」が退陣するまで時間稼ぎの粛正。そう考えれば成る程、筋も通る。
(”物証”が何であるのかを知った捜査官が、法務長官じゃなくわざわざオルブライトの名を出して報告を入れたこともそれなら判る)
 今までバラバラだったことが、ひとりを疑うことで形となっていく。思えば、過去から現在に至るまでの全てにオルブライトは絡んでいるのだ――……。
 そこまでを勢いで考え、クリスは唐突に頭振った。――いくらなんでも性急に過ぎる。
(穏やかで指導力のある人物じゃないか。いくら軍務長官が言ったからって単純な)
 それに、と思い横を見る。
 けして勘の悪くないアランが盲目的なまでに信頼を寄せている人物だ。彼が父から託された資料を、何年も孤独に守っていただろうものを演技だけの人物に渡すとは思えない。加えて、五年前の事は組織にしてみれば「やり過ぎ」の域に入るだろう。
 辻褄は合う、しかしそれを正しいものとしてパズルにはめ込むにはどこかおかしい。そんな違和感がある。
 結論のでない推測に、クリスはガリガリと後頭部を掻き毟った。そうして、世界と歴史を俯瞰して眺めることが出来るならどれだけ楽だろうかと考え苦笑する。


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