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18.


 廃墟を出て三日後、晴れ渡った空の下王都の門をくぐったクリスは、左右にある顔に交互に目を向けて大きく息を吐いた。まだ雑多とした地域にあり、帰るべき場所はしばし先とは言え、ひとまずは安堵に身を委ねてもいい頃合いである。
「クリスってば、別に犯罪者なわけじゃないだからさ」
 笑い含みに言うダグラスだが、敵対している勢力を思えば慎重に慎重を重ねても臆病とは言い切れないだろう。特に主力となる男と直接遭遇したクリスには、その影を気にするだけの理由がある。
「僕は戻った後の報告の方が憂鬱だよなぁ」
「任せたぞ」
「え、僕だけ!?」
「俺たちが向かうわけにはいかんだろう」
 それはそうだけど、と文句を言うダグラスと反対の方を向けば、同意するようにアランが顎を引いた。
「だけど僕も、報告するよ?」
「ああ、それは判ってる」
 アランの上司、つまりはオルブライト財務長官へ今回のことが筒抜けになることに僅かな躊躇いを覚えながらもクリスははっきりと頷いた。様々な事柄が疑わしく思えるようになった人物とはいえ、まだ疑惑の域は超えていない。そして何より、クリスたちがそれなりに自由に動ける立場を与えたのは他ならぬ彼だ。
「クリス」
 内心を読み取ったのか、絶妙のタイミングで声を掛けたダグラスが緩く首を横に振る。了承を示すように視線を返せば、彼は眼を細めたようだった。
「それで? 僕は馬を返しに行ってそれから上司に報告に行くわけだけど、クリスはどうするの?」
「ああ、俺は――」
 同じく、上司と言えるガードナーの所へ行く。そう口に仕掛けたときである。
「若様!?」
 若干引き攣った声が、一行の横から発せられた。
 一瞬迷い、遅れてその方を向いたクリスに、道の脇から現れた中年の男が追いすがる。
「やはり若様!? どうしてこの商隊に!?」
「都合があって同道させてもらっただけだが、何か不味いことでもあるのか?」
「いえ、むしろここでお会い出来たことは僥倖、どうか、私と一緒においでください!」
 そのあまりに必死な様子に、ゆっくりと馬を進めたままであった隊は動きを止めた。一行を率いてきた取引先の商人が、男を見て知己と認めた為でもある。
 道の端に荷と馬を寄せ、通行人からの興味を存分に引きながら、男は深々とクリスに頭を下げた。
「若君には直接お会いしたことはありませんが、父君の商館で働かせていただいています」
 男、則ち王都におけるレイ家の商館の従業員は、外からやって来た荷を検分し倉庫や直接仲介先へ運ぶ役目を負っているとのことだった。この日もその仕事上のことで一行を迎えに来たという。
「実は昨日、レイ家の紋を入れた商用の馬車が何者かに破壊され、従業員数名が怪我を負ったのです」
「! まさか、父が!?」
「いえ、旦那様はご無事です。他も幸い盗まれた物もなく、すぐに駆けつけた兵によって襲撃者は捕らえられましたが、その為に運び込まれる荷を普段とは違う場所へ誘導しているのです」
 それでこの場所にと呟いたのは商人で、クリスは短いその報告に目を見開いていた。
(レイ家の馬車が? そんな莫迦な)
 むろんこの時世、物騒な話などそこかしこに転がっている。荷を奪われるという話も珍しくはない。しかしまた、それに合わせての対策、或いは対抗手段も充分に練られているというものだ。父パトリックがこれまで防衛に関しての投資を渋ったことはなく、特に国全体に不穏な空気が漂っている今、その手を緩めるとも思えない。
 それでもそこを敢えて旨味を狙い、ということもある。だが、三位貴族の称号は伊達ではない。優良な商売人の証拠とも言えるそれは、言い換えればそれだけ国に信用を置かれているということだ。突けば軍や取引先の著名人が出張ってくるような商館の馬車と知りながら、敢えてそれを襲うような物好きはまずいないと言える。
 それでも現実には襲撃に遭った。理由を考えるとすれば、思い当たるのはクリスの置かれている現状だ。組織にも特捜隊の面が割れているだろうことは考えるまでもなく、ましてやクリスは事件の中心にいる人物と遭遇し剣を交えている。あれこれと藪を突くクリスたちに間接的な警告がなされたところでなんら不思議はないのだ。
 さ、と血の気が引いた様子は、左右にいたふたりには判りすぎるほどだっただろう。
 いつもの斜に構えたような表情に気遣う色をのせたアランが、そっとクリスの袖を引いた。
「クリス、行ってきな」
「しかし」
「あんたの上司には僕の方から連絡を取って戻ってきたことを報告する。エルウッドやヒルトンにも会えば言っておく。だから、あんたはさっさと実家に戻りなよ」
 彼には珍しく真摯な声に、クリスは僅かに表情を緩めた。
「大丈夫だとは思うけど、いろいろ不安や不満もくすぶってる。クリスは最近動きっぱなしだし、一度実家に言った方がいいと僕も思うよ」
 ダグラスはいつもの調子でクリスの背中を押す。ついと向けた視線の先でここまで同行した商人もまた首を縦に振り、静かにクリスを促した。
「判った。すぐに向かう」
「はい、是非に! 旦那様も安心なさるでしょう!」
 ほっとした様子で再度頭を下げた従業員を労い、クリスはひとり隊を離れて大通りへと向かった。既に起こってしまったことに急いても仕方はないと理解しつつも、この目で無事を確認するまでは落ち着きようもない。
 そうして脇目もふらず王都の中程にあるレイ家の邸宅へ。街の中で許される限りの速度で駆けた結果、十数分後には目的地へたどり着いていた。
「誰か、いるか!」
 それなりに大きな家ではあるが、警備を置くほどの規模ではない。門を過ぎ大股に庭を突っ切り玄関の扉を叩けば、中から慌てたように人が動く音が響き渡った。突然の来訪者、そしてその声の両方に使用人たちが慌てているのだろう。
「開けてくれ、俺だ、クリストファーだ」
 ひとつ息を吐き、幾分落ち着けた声で扉越しに伝えれば、反応は蝶番の軋む音となって返ってきた。
「悪い。急に」
「いえ、お帰りなさいませ。お待ち申し上げておりました」
 前触れのない訪問にも余計な事を言わないあたりはさすがと言うべきか。古くから家を任されてきたバトラーはクリスの顔を見るや穏やかな笑みを湛え、深々と礼を取る。
「旦那様にご用件でしょうか」
「襲撃の事を聞いた」
「左様でございますか。しかしながら旦那様は只今その件で家を空けております」
 むろん、その可能性を考慮した上での訪問だ。事件が起き、被害者となったからには事後処理に関わる必要がある。もとより家にいるとは思っておらず、馬も厩舎まで運ばずに庭先で待たせている状態だ。


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