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 一度頷き、キーツはいっそ不思議そうに首を傾げた。
「それで? 中には入らないのか?」
「いえ、許可を得ないと入れないとのことでこちらの方に訊ねたのですが、どうやって許可を得ればいいのかも示してもらえずに困っていたところです」
 あまりに直接的な説明に、ぎよっとしたのは立ちつくしていた男の方だろう。
「キーツさんはご存じですか?」
「ご存じも何も」
 そういった様々な雑事をまとめあげるのも事務方の仕事のひとつだ。頷きかけ、思い出したように眉間に皺を寄せたキーツは警備の男の方に向き直った。
「通行許可はこちらで出しておく」
「は、――はい」
「今のことは報告書として提出しておく。そのうちに沙汰を待て」
 厳しい視線を浴び、男は悄然と肩を落としたようだった。
「レイはこの中に入ったことは、――ない、だろうな」
「はい」
「では、少し案内しよう。付いてきなさい」
 言うや、キーツは慣れた足取りで扉へと向かう。もとより鍵のついていない扉は彼の片手ですんなりと次の間へと空間を広げ、僅かに古い匂いを帯びた風で躊躇うクリスを誘った。
 入りたいと願い焦り、入れないと苛立つものだが、いざ足を踏み入れるとなると緊張が走る。勝手なものだと内心で嗤いながら男の前を通り過ぎたクリスは、先に長々と続く通路を前に一度喉を強く鳴らした。
 扉が閉まると同時に、前を進んでいたキーツが苦笑いをもって振り返る。
「すまないな。公安局の者が迷惑をかけたようだ」
「いえ、ですがキーツさんは、こんなことをして問題ないのでしょうか」
「構わない。財務長官からも、周辺国の外交官を相手にするため援助が出来ないから、私の方で出来る限り便宜を図ってくれと頼まれている。何かあってもあの方まで話を持っていけば対応してくださるとのことだから、気にする必要はない」
「それならいいのですが、……ですが、さきほどの方とも別段長く遣り取りしたわけではなく、萎縮させてしまったのは逆に申し訳ないことだったかもしれません」
 悪かったとは思わないが、どこか八つ当たりが含まれていたこともあり、キーツの対応を見ているとさすがにやり過ぎた感が否めない。謝罪を口にすれば、キーツは器用に片方の眉を上げてみせた。
「いや、あれくらいで丁度良い。お前を軍部の者として突っぱねていただけだからな」
「と、言いますと?」
「公安局は国家の治安を護り監視する役割を持つってのは知ってるな? 言ってみれば行政関係の施設の警備と内部の規律を監視するのが主な仕事だが、軍部だけは範囲外でな。そういう意味で目の仇にする者が多い」
 三省は互いに干渉しあっている。犯罪者を取り締まるのは軍部の仕事だが、いざ捕まえた犯罪者を裁くのは法務省管轄だ。そういう意味で軍部の方も判決や措置に不満を持ち、法務省の官を嫌悪の目で見る者もいる。それは逆も然りということだろう。ヴェラとアランも初対面であるにも関わらず初めから反目しあっていたことを思いだし、小さく苦笑する。
 キーツの登場により結果としてさしたる実害も被らなかったクリスは気にしていないことを伝え、話題を変えるべく気にしていたことを口にした。
「それより、”物証”の行方についてはその後変化ありましたか?」
 暗に、現在ヨークとヴェラが追っている件を問えば、キーツは周囲を見回した後で歩く速度を落とした。
「ヒルトンから報告が入っている。どうやら、例の屋敷から”物証”を持って逃げた捜査官の通った道が判明しそうだ」
「そうですか。やはりあの村を?」
「ああ。それと、これはまだ正式に発表されていないことだが……」
 言い、キーツは声を潜める。
「どうやらあの村で、捜査官と追っ手との間でやりとりがあったようだ」
「……と、言いますと」
「子供達からの情報だから正確には参考情報になるが」
 慎重な性格なのだろう。前置きをしてからキーツは、更に声を小さくして新しい情報をクリスに耳打ちした。
 曰く、夜に小用で家を出た子供の目撃証言があったとのことだ。誰かは判らないがふたり、人気のない林の方に確かに立っていた。何かを話していたようだが覚えてはいない。さすがに聞こえるような声ではなかったのだろう。
 ただ会話が止んだ後、小柄な方が何かそれなりに大きな物を投げ、それをもうひとりが拾っている間に小柄な方は走り去った。しばらくして林の奥から馬の嘶きが聞こえ、残っていた方が拾った物を地面に叩きつけたと言う。
「そこで子供は怖くなって家に戻ったが、また別の場所で別の子供が馬を盗んでいる者がいるのに気付いたとのことだ」
「大人は誰も気付かなかったのですか?」
「そのようだ。だからこそ、信憑性があるのかどうかの判断が難しい。ただ……」
「突拍子もないという点で、例えば組織の手の者が何か企てる暇もなければ、子供の嘘や悪戯で馬が盗まれるまでの被害があるのはおかしいということですか」
「ヴェラもそう言っていた」
 つまりは、可能性という意味で概ね証言を認めているということか。
 だがそうなれば、考えなければならないことが少なくともひとつは生じることになる。
「……何を、渡したのかは?」
「不明だ」
 地面に叩きつけた場面を見たということだが、何も残されていないということは再び拾い上げて持ち去ったということだろう。問題はそれが渡される側にはゴミ同然のフェイクだったのかということだ。
「走り去ってしばらく後ということは、全く無関係のものではなかったということでしょうか?」
「ほう?」
「明らかに目的のものと別のものを渡されたのなら、すぐに追いかけるでしょう。それを逃がす時間を与えてまで検めたということは、某か、それを求めた側の要求に即したものだったはずです」
「つまり?」
「例の”物証”の一部だった、或いは”物証”が収められていたケースだったとは考えられませんか?」
 一瞬目を眇め、キーツは短く勢いよく息を吐く。肯定とも否定ともとりかねるそれは、僅かな緊張を孕んでいた。
「ハウエルと同じ意見か」
「些か複雑ですが、力強い同意を得た気分です」
 ある種、屈曲した返答だったためだろう。一瞬可笑しそうに口元を歪めたキーツは、慌てて咳払いをした後で真面目な表情を顔に貼り付けた。
「死んだ捜査官が箱に入れて逃げたことを考えると”物証”の一部だったと考える方が正しいだろうな」
「馬車の手配と救援を求めたのはその後の話ですね?」
「そうだ。だがその時、箱らしきものは目撃されているが中身は判らない」
「その時点で箱に鍵はかかっていたはずです。なにせ、鍵自体は屋敷に残っていたのですから」


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