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「商用の馬車が襲われ、今日はその損害賠償の件でこちらに呼び出しがあったと伺っていますが、先ほどの騒ぎは何でしょうか?」
 全員が椅子に座り直した後クリスが現状を問えば、係官ふたりは揃えたような渋面で顔を見合わせた。これまでにも悶着はあったと想像に難くない。
「詳細まで知っているのか?」
 短い間の後に口を開いたのはパトリックである。その問いにクリスが首を横に振れば、そこからは私情が入ると思ったのだろう、係官のひとりがこれまでの経過をまとめてクリスに説明した。
 昨日、東方面から来た商用の馬車が襲撃を受けたこと、護衛をしていたひとりが的確な判断で素早く助けを呼びに走ったこと、幸いにも街道を巡回中の軍の一隊に出くわしたこと、その為に襲撃者達はその場で取り押さえられる結果になったこと。護衛の奮闘で怪我人は少数だったが、馬車が横転したために荷の半分ほどが商品として著しく価値を下げたことなど。おおよそクリスが聞いていたものと大差ない内容だったのは、それだけ事件の概要が明らかで単純だったということだろう。
 裁判になるほどの事ではなく、襲撃の実行犯は法に則り処罰待ち、首謀者の男、つまりは左右から係員の拘束を受けている目の前の中年の男は、加えて損害の補償を負うというのは既に決定事項とのことだった。
「護衛の怪我はそのような状況を含めての賃金になってましたね。従業員に対しても規則があったはずですし。とすれば、荷に問題が?」
 些か腑に落ちない部分に首を傾げ、クリスは父親へと目を向けた。
 船の沈没、難路での馬車の転落、賊の襲撃などといった危険要素は幾らでも存在するが、その為に発生した損失の殆どは商売人の自己負担という形になる。言ってみれば運が悪かったと諦めるしかないということだ。
 賊に奪われた荷が発見されたとして、そのまま返却されることはあるが、それが何らかの破損をしていたとしても誰も保障などしてはくれない。今回の襲撃事件でも、普通であれば国が関与するのは襲撃者はそのまま罰せられるところまでであり、金銭の要求はあくまで個人の間での交渉となる。そこで話が揉め、公平な判断を願って裁判を起こすことはあっても、別の事として扱われるのが常だ。
 視線を受けて、パトリックは苦々しげな表情で頷いた。
「あまり大声では言えないが、ハウエル法務長官の治療に当たっている医師が発注した薬の原材料が積まれていたんだ」
「……なるほど」
 国の重鎮の治療に関わるものとなれば、確かに法務省が出張ってもおかしくはない。否、むしろ叛意ありと組織の一員であると疑われても致し方ないだろう。
「しかし商用の馬車の見た目は似たようなものです。狙ってのことですか?」
「それについては取り調べであいつも認めている」
 パトリックが顎をしゃくって示した先にいるのは勿論、奥歯をギリギリと噛みしめる中年の男だ。
「敢えてのことなのは確かだが、最終的に法務長官を狙ってのことではないと主張している」
 どうでも良さそうな口調に、クリスは疑問符を浮かべながら男へと視線を移した。
「どういうことだ?」
「全部貴様のせいだろうが!」
 扉を開ける前の怒声と違わす同じである。つまり彼の言う貴様とは、クリスを指すものではないのだろう。
「貴様があの取引を横から……!」
「悪いがね、無理矢理取ったわけじゃない。話し合いの場で先方の興味を惹けなかった理由を私に向けられても困る」
「莫迦言え! 貴様もどうせ、奴の接待を繰り返して金握らせたんだろうが!」
「君と一緒にしてもらっては困る」
 心底不快気に、パトリックは顔を顰めた。そうして、突然の会話に首を傾げたままのクリスに早口で告げる。
「彼の主張はこうだ。本来法務長官の治療に使われる材料を運ぶという栄誉に与るはずだったのは自分だ。私がそれを途中から不正な手段で横取りした為に評判が下がった。そのせいでついこの間終えた審査で位を落とされた。恨みによる襲撃だとは認めるが、それもこれも元はと言えば私が人に知られるに憚る方法で取引を奪った為だから、私も犯罪人である……ということだ」
「不正な手段、ですか。しかし薬の原材料は物にもよりますがさほど収益を上げられるものではないはず。栄誉と言っても多少関係者の心証が良くなる程度で、治療が成功したところで医師が名声を得るだけだと思いますが」
 少なくとも、既に三位貴族としての地位を安定させているレイ家の今後を左右させるほどの取引ではない。二位貴族に上がる為の布石にしては弱く、僅かな評価をもかき集めなくてはならないほど位を落とす危機に瀕しているわけでもないのだ。
 第一、レイ家の査定は昨年に行われている。さすがに一年やそこらの短いスパンで行われるものではなく、とそう思った段階で、クリスはひとつの仮定に行き着いた。そして、それを肯定するようにパトリックがため息混じりに口を開く。
「国から依頼される商品の提供は、堅実な商売人であることを示すステータスのようなものだ」
 現に、三省の備品を一手に引き受けている商家は二位貴族であり、王宮に荷を入れている商家はどれだけ些細な品であろうと五位以上の地位にある。レスターがウィスラーに運営を委ねている商家が極めて小規模ながら四位貴族とされるのは、位が信用を示す値を存分に含んでいることが理由だ。
「要するに彼は、その多少の心証も欲しかったということだ」
「多少だと!?」
 歯を剥く男の左右で、係員たちが押さえる腕に力を込める。
「貴様が俺を陥れるために、狙って契約を奪ったんだろうが! この前の婚約披露パーティのでも」
「莫迦なことを言わないで貰おう。奪ったと言うがな、君が交渉を始めた少し後だったと言うだけで、決定していたわけではない。私を含む幾つかの商家の話を聞いた上で、最終的に私に決定しただけのことだ」
 パトリックが男の語尾を奪うように告げた言葉に、係官も頷いている。その辺りの裏は取れているということだろう。
「そもそも査定前に無理な事業拡大をしようとした君の判断ミスからきたことではないのか? 堅実に商売を続けていれば、あの取引は逃したとしても少なくとも位はそのままだったはずだ」
「貴様……、貴様がそれを言うか!」
 男の指が目の前の机の上を掻き、傷んだ表面を更に抉る。
「そうか、貴様が俺の査定官だったんだな!? それで俺を貶めたんだろう!」
「いい加減にしなさい。位を定める審査は直接関係のない立場の者しか選ばれない。同業者で同じ位にいる私が選ばれるわけなかろう」
 呆れたように首を横に振り、パトリックは深々とため息を吐いた。
 位を定める審査に誰が選ばれるのか、どういう基準なのかは公にはされていない。ただパトリックの言うように、私情を絡める恐れのある人物が弾かれるというのは周知の事実だ。例えば同じ商人の目線で審査が必要とされたとしても、扱う商品や行動範囲の全く異なる人物が選ばれることになる。
(怒りで前が見えなくなっているんだな)
 話を聞けば聞くほど同情の余地はないと判りつつ、一方でどこか哀れみを覚える。この国のシステムは古くからの階級制度に凝り固まった諸外国に比べて優れているとは思う。だが一方で、堕ちていくものにはあまりにも厳しい面があることも確かだ。やむを得ない変化、例えば商売の要であった人物の急逝や海難事故に伴う規模の縮小などが原因であればともかく、そうした判りやすい理由がない「ジリ貧」からなるものであった場合、ひとつ位を落とすことは信用を失うということに直結する。


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