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 男の経営する商館はこの事件を経て、おそらくは四位の位すらも剥奪、商館を閉じるという末路を辿るだろう。そして今パトリックの頭の中では、男の持つ販売ルートや取引先を如何に素早く取り込むかという算段が展開されているに違いない。
(いや、もう今朝のうちに指示が飛んでるかな……)
 そういうクリスも実は男の主張とは全く別のことを考えている。先だってマーティン・ウィスラーを見たときに危惧したことは、まさしく杞憂だったということだ。ウィスラーの命令を受けて馬車を襲ったとすれば、ここまで無様な姿を晒すことはなかっただろう。
 おそらくはウィスラーにも予想外の事件。そして彼は彼の知らぬルートから事件の依頼があったのではないかと探りに来て、全く個人的な逆恨みの結果であったことに呆れて退席した、そんな流れなのだろう。
 自分の行動とは全く無関係の事件だった、そう安堵してクリスは係官へ向き直った。
「およそ莫迦莫迦しい話だが、賠償の件はどういう話になっているんですか?」
「実質国が依頼した商品と同等の扱いですからね。そういう意味で国の財産に損害を与えたとして保障問題となっているんです。とは言え、代替え品の準備は他に手配が済んでいます。もともとの報酬は日数の延滞での減額をした上でレイ殿に支払われるという話でした」
「要するに手配した他の業者へ、そこの男の家が支払うということですか」
「そうなりますね。本当はそれを告げてサインを頂くだけだったんですが」
 男があれこれと要らぬ主張を続け暴れた結果、今に至るというわけだ。ただやはり馬車が襲われたということと、損害の賠償については別問題として取り扱われるのが常であることが悩みとなっているのだろう。男がヒステリックに拒絶している限り、このままでは永遠に話は平行線だ。
「クリストファー、お前ならどう決着を付ける?」
「そうですね……」
 パトリックの問いに、クリスは一度顎に手を当てた。
「俺なら、先に彼を刑にかけますね」
「ほう?」
「商家として与えられた地位の転落が原因だったと彼が主張するなら、『貴族』である限り商家全体の問題となります。つまりは彼ひとりの問題ではなく、一家全員の罪という考えですね」
「家族も罪に問えと?」
「あくまでこの男を家の主として支えるなら」
 ここでパトリックは、クリスの言わんとしていることを察したのだろう。皮肉気な笑みを浮かべて担当係官の方を向いた。
「最善ではないでしょうが、愚息の考えには私も同意できそうです。審査内容に不満を覚えて私の所有する馬車を襲ったとして、商家そのものに罪と問うてください」
「莫迦な!」
 慌てたように叫んだのはむろん、取り押さえられた姿勢の男である。
「貴様、どこまでも汚い奴! 罪をねつ造するか!?」
「ねつ造などしていない。お前の主張に依っただけだ」
「……とすると、レイ殿は一家全員を改めて訴えるつもりですか?」
「いや、その前に彼の家人に問い合わせてください。彼を家長とするなら連帯で責任を取ってもらうが、家は関係ないとするならそれ相応の対処をして、商家から改めて保障に関しての責任者を送れと」
「貴様!」
 既に男が認めている襲撃事件を家族単位の罪として裁かれたくなければ、男を追放した上で賠償金を支払えという「譲歩」である。やや強引ではあるが、男の主張をそのまま受け取るなら真実をねじ曲げているというほどではない。
 なるほど、と係官が頷く一方でその下の男がわめき立てる。見苦しいなと思いつつ、クリスは立ち上がって彼を見下ろした。
「先ほど、ウィスラー氏に会ったがな。お前はどうも切られたようだぞ」
 位だけをみればかつての男の方が上と言えるが、王宮と契約を持つ商売人と知己であることはかなり重要なのだ。ましてやウィスラー本人も王宮の役人、繋がりを作りたい方とそれを頼まれる立場ではどちらが上かを考えれば、ふたりの関係など如何にも想像に易い。
「頼みの綱もない状態で私怨を堂々と吐くのは見苦しくはないか?」
「……脅しか」
「まさか。ついでに言えば、ウィスラー氏に商売の権利を預けているエルウッドとは俺も個人的な知り合いでな。今の顛末とお前の見苦しさをどう伝えようかと思っているだけだ」
 何をしろ、と要求は言っていない。だから脅迫ではないと嘯くクリスを見上げて、男はぽかんと口を開けたようだった。
 沈黙。そしてその短くはない間を破ったのはパトリックだった。
「係官どの。それでは、先ほどの愚息の提案がまかりとおるのかを調べていただいた上で、手続きを行ってもらえますかな?」
「あ、……はい、そうですね」
「では、退室してもよろしいですか?」
「近いうちにまた来ていただくことになるかも知れませんが」
「それは構いません。ですがこちらも商売がありますので、なるべく早く連絡をいただけると助かります」
 尤もな主張に係官は頷き、男が再びわめく。
 それを見届けてパトリックは椅子から腰を上げ、クリスを促して部屋を後にした。そうして、扉が閉まった直後、低い声で息子に告げる。
「クリストファー、このまま帰るとは言うなよ」
「……承知しています」
 有無を言わせぬ声音に、クリスは喉の奥でくぐもった呻きを漏らした。

 *

 バトラー及びメイド一同が安堵の笑顔で迎える中、クリスとその父は共に勝手知ったる応接室で改めたように挨拶を交わした。重厚なようでどこか軽妙、言ってみればその場の雰囲気で印象をがらりと帰るような部屋は、今はむろんのこと、前者の空気を存分に纏っている。
「息災で何よりだ」
「父上こそお変わりなく」
「遅くなったが昼食を用意させようか」
「いえ、お構いなく」
 冷えた関係とまでは行かずとも、和やかとは言い難い。互いを尊重しながらもどこか馴れ合う雰囲気がない、と表現すべきか。
 むろんクリスからそういう空気を発しているのではなく、あくまでもクリスティンであった頃の父と兄の会話、そして今パトリックから感じられるものに合わせているだけだ。幼い頃の記憶では兄妹変わらぬ対応をしていたことを思えば、やはりクリストファーの方が商いという道から離脱したことが原因なのだろう。
 重いと言うよりは苦しい沈黙が支配する部屋で、パトリックがため息混じりの声でクリスに問うた。
「今月10日に、ここへ来たそうだな」
 10日といえば、ヨーク・ハウエルからガストンの話を聞く少し前のことだ。実家、つまりはここへ寄り偶然トラブルへの対応の相談を受けた日のことを思い出し、クリスは小さく首肯した。
「お前が采配したそうだな」


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