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 王都を遙か下に見下ろす上空。人がそこに辿り着くには後何世紀も待たねばならない空の彼方。導き人は生者を見るに憂うと、決まってそこに集う。
 だが今、夜に覆われたその場所に一気に地上から駆け上ってきたゲッシュは、珍しくもされるがままの仲間を目の端に、穏やかとは真逆の心境にあった。
「トロイ。言いたいことは判るよね?」
「……」
 強く眉間に皺を寄せたままのトロイに、ゲッシュは大げさなほどのため息を吐く。むろん、それは仕草だけのもので実際に呼吸活動をしているわけではないが、生前のありかたというものはそうそうに抜けるものではないのだ。未だ自分というものが取り戻せていない――トロイを含む仲間の一部に見られる生者への嫌悪の情を思えばそれがいいことだとは思えないが――ゲッシュは、こうした無意識の行動を鑑みるに、生前も似たような役割を課せられていたのではないかと思うことがある。
「彼女のことは、皆の間でもとても揉めたね。僕に任せてもらえたのは良いけど、結局彼女も今までの人と同じく生きることに執着してしまった、その事へ怒りがあるのは判る」
「……」
「だけど、あれはない。ちょっと気の緩んだところを強引に引きはがそうとするなんて。あのまま彼女を引きちぎってたら、体の方にまで影響が残ってしまうところだったと思う」
 聞いてるか、と問えばトロイは難しい顔のまま頷いた。
「僕よりもずっと長い間こうしてるんだから、どうなるかなんて判ってたんでしょ?」
「……ああ」
「なら、なんで」
 トロイがこうした強引な手に出始めた原因は、ゲッシュにも実は判っている。彼は相当な生者嫌いで、導き人として一番「若い」ゲッシュのことをひどく同情し、同時に危なっかしく思っているのだろう。
 そんなゲッシュが肩入れした人間が裏切るように生きることに固執し始めた事を知り、それ見たことかと罵っていたことは記憶に新しい。そんな折りに焦って無茶をしたゲッシュが酷いダメージを負った。それは変質したエネルギーを消耗する行為であり、言ってみればこの世に漂う無の存在になるまでの時間を削ったことに他ならない。
 いつか来る絶望を少しでも先延ばしにしたいという思いは、なんら地上で生きる者達と変わりないのにとゲッシュは思う。
 イレギュラーな死者とイレギュラーな生者。ゲッシュたちとクリスティンは共に理から外れた存在で、故にゲッシュは彼女に非はないと判断した。他者を貶めてでもと思う裏には生きたいという気持ちがイコールで存在しても、その逆がそうとは限らないのだ。
 黙りこくったトロイを前に、ゲッシュは何度繰り返したか判らない説得を口にすべく彼を見据えた。
「だからさ、」
「ゲッシュ」
 酷く疲れたような苦悩と紙一重の表情でトロイはゆっくりとゲッシュに顔を向ける。
「なんなんだ、あれは」
「? 何って?」
「だから、何なんだ、あの状態は!?」
「状態って、クリスのこと?」
「それ以外にあるか!」
 大喝。だが声に精彩はない。驚き宙を一歩後退するように仰け反ったゲッシュだが、怯えや萎縮に至る事はなかった。
 首を傾げ、遙か長い時間導き人を続けている男を訝しげに見遣る。
「だから、クリスにはもうエネルギーは残ってなくて」
「そうじゃない、なんなんだ、何故あの男はあんなことに」
「……男?」
 クリスティンは間違いなく女でと呟いたゲッシュに、トロイは深々とため息を吐き出したようだった。そう見える仕草の後、彼は額に手を当てて頭振る。
「……いや、お前が気付いてなかったのなら」
「だから何が?」
「いや……」
 ゲッシュの言葉に答えることを拒絶し、トロイは再び首を横に振った。
「本当なら、あれは……」
 呟いてはいるが、心の内に収めることが出来なくなった独白なのだろう。視線はとうにゲッシュから外れ、遙か地上に何かを捜すように彷徨わせている。
 そんなトロイを前に何度か口を開きかけたゲッシュは、結局は何も言わずに首を傾けて肩を竦めた。

 何がトロイを動揺させたのか、それを彼が知るのはもう少し先のこと。
 そしてそれがひとつの変化をもたらすことになることを未だ誰も気づき得ないまま、静かにその日が終わろうとしていた。

*注)あくまで空想上の国の話です。現在の日本の警察の体制とは全く異なります。(現実世界の日本では公安は警察組織の一部です)。国内部の確執などを書く為に国の形態自体を勝手に作ってますのでそのあたり、そういうものだとしてご理解下さい。


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