[]  [目次]  [



19.


 道の脇に寄せられた踏み砕かれた枯葉が、小さな風を受けてくるくると舞っている。
 空を見れば穏やかな快晴。日溜まりにいれば季節を忘れ、陰を通れば背を丸めて身を震わせる、そんな冬の一日は、傾いた陽光とともに緩やかに終わりに向かっていくはずだった。
「吉報、――吉報だぞ!」
 密集した建物の隙間を縫うように風が縦横に駆けめぐる中を、聞き苦しいほどの大声がこだまする。
「吉報だぞぉ!」
「何なんだ、一体!」
 その内、気の短い男が対抗したようにがなりたてた。周囲の者も同意を示すように頷いている。
 だがそれまで叫んでいた男は、注意を充分に惹けたことに満足を覚えたのだろう。得意げに胸を逸らし、口端を曲げて鼻息を鳴らす。
「今仕入れてきた最新情報だ!」
「だからぁ、何だって言ってんだろ!」
 勿体ぶるんじゃねぇ。言外にそう告げた男の後ろで、集まった野次馬達が同様の文句を口にした。
「しょーもねぇことだったら叩き出すぜ!?」
「おら、早く言えよ!」
 そうして、勢いに負けてすごすごと逃げ帰る姿を想像した者もいただろう。
 だがそれらの期待に反し、男はにやりと意味深な笑みを浮かべた。
「聞いて驚くなよ」
 更に溜めて一言。
「ハウエル法務長官が無事復帰なさるそうだ!」
 言い切り、男は鼻の下を指で擦る。
 場は静まりかえっている。だが無論のこと、周囲が意地悪くも期待したものとは逆の状況だ。
 目を見開き、ゆっくりと互いの顔を見合わせ、そうして、街の一角は騒然とした空気に包まれた。

 *

 同日同時間。一級住宅区ハウエル私邸で、クリス以下三名は思わぬ人物からの突然とも強引とも取れる呼び出しに目を白黒とさせていた。
「どん引きだねー」
 一見暢気そうに見えるものの明らかに意識した様子のダグラス、財務長官以上の人物に会うためか緊張した顔を隠そうともしないアラン。そして二度目の邂逅に複雑な心境と具体性のない不安を感じているクリス。普段にはない様子に、法務省関係者のふたりも呆れを通り越して苦笑している。
「まぁ、そう難しい人じゃないから大丈夫……かもしれない。たぶん」
「なにその聞かない方がマシな慰め。暴力的で暴言ばっかの不良長官には慣れてるけどさー、ガチで大物なのは勘弁して欲しかったんだけどなー」
 これにはクリスも笑いを禁じ得ない。奥底の怖さは同程度であれ、冗談と機転でのその場しのぎを肚に収めてくれる人物と真正面から粉砕してくるだろう人物との差はダグラスにとっては大きな問題なのだろう。
 クリスにとってはどちらも緊張する相手なのだが、特にハウエルは、謎の問答を残して別れたという重石が苦手意識となって加算されてしまっている。
「けして気難しい方ではありません。謙虚に、敬意を持って受け答えさえすれば大丈夫です」
 ひとり平常運転なのはヴェラだけか。生真面目で所作の美しい彼女には、いつものとおりに、という程度なのだろう。
 そんなこと言ったって、と反論したのはダグラスで、珍しくアランは無言を貫いている。皮肉も上擦るレベルなのか既に神妙になっているのかは定かではないが、クリスにとってみれば他に動揺を分かち合える仲間がいることだけでもありがたいことだった。
 ――あとひとり、居るべき者がいない不安が見え隠れする同志としても。
「大丈夫ですよ、皆さん」
 待合いに、と用意された部屋の扉が開き、笑いを含んだ声が響く。ヨーク・ハウエルである。
「お待たせしました。父の準備が出来たようですのでご案内します」
 永遠に準備などできなくても良かったのだがという心の声を押し隠し、クリスは重々しく頷いた。
 歴史に残る大人物との対面。確かにそれは緊張の大部分を占める理由だ。だがそれだけではない。表舞台に出ることを公表したハウエル法務長官が、最初に面会する相手として選んだのが、クリスを含む特捜隊の面々だったというのが問題なのだ。これが、恐ろしく重い。
 勿論面会場所に私邸を挙げた時点で非正規のものとは判るが、それにしても半端ないプレッシャーだ。
 クリスにはもはや、ハウエルが何を考え何を言い出すのか、皆目見当も付かない。
(もういっそ、ずっと黙っててやろうか……)
 それで済むはずもないことを知りながら、クリスはその日何度目になるかも判らないため息を吐いた。だがどれほど幸せはこぼれ落ちていこうとも、逃げ場はない。逃げ場どころか決戦場への扉が目の前に現れてしまった。
「どうぞ、お入り下さい」
 おそらく、副音声は「ちんたらしてねぇでさっさと入れ」だっただろう。法務省組が機敏に、表情を引き締めたダグラスが、強ばった顔つきのまま姿勢を正したアランが促されるままに足を進め、最後にクリスが真新しい絨毯を踏むと同時に背後の扉が閉められた。
 弱い逆光の室内。広くゆったりとしたソファにくつろいだ衣服で腰を掛けているのは――紛う事なき法務長官、セス・ハウエルだった。
「忙しいところを、すまないな」
「いえ、長官の元気なお姿を目にする機会をいただけただけで、我らこれ以上の喜びはございません」
「やれ、堅苦しいことだ」
 肩を竦め、ハウエルは――何故か、クリスを見てにやりと笑う。
「非公式の場だ、妙な遠慮はいらん。そこらへんに適当に座ってくれ」
 夜間の訓練所のことを片隅で揶揄しているのか。引き攣った笑みを浮かべながら、クリスは皆に続いてソファの隅へ腰を掛けた。
 そのタイミングでメイドがそれぞれの前に茶を配り、すっとまた姿を消す。必要最小限の存在感と最大限の洗練された動き、計算され尽くしたような動線はそれはそれで見事だ。主の求める使用人の完成形といったところなのだろう。
 使用人用の扉が音もなく閉まるや、その主、ハウエルが口を開く。
「さて、集まってもらったのは他でもない。フェーリークスのことだ」
 単刀直入に言うハウエル自身は、クリスたちの得ている情報など全部知っているのだろう。老獪な政治家である彼には、縦にも横にも広い情報網がある。
 故にクリスたちが集められた理由は、彼自身にはない。クリスたちのために場を設けたと言った方が正しいというのが全員一致の見解だ。聞き方次第ではヒントをくれてやる、そうしたありがたくも傲慢な支配者からの配慮なのだろう。
「……ひとつ」
 話を切り出しながらそのまま口を閉じたハウエルに代わり、息子が声を上げる。


[]  [目次]  [