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「……貶しているだろう、それは」
「何も、脅威の歩くトラブルメーカーだなんて言ってないよ、って、痛っ」
 会話だけ聞いていれば誤解を招くことだろうが、最後にダグラスに制裁を加えたのはクリスではない。どこからか伸びてきた細いしなやかな腕が、資料本という名の角の凶器をダグラスに振り下ろしたのだ。
「御前です、軽口は大概に」
 冷え切った声に、室温も下がる思いである。だがむろんのこと、ダグラスの方も殊勝にその空気を読み取るような男ではない。
 頭を大げさに撫でながら、彼は斜め横のヴェラの方へと向き直った。
「そういう君に質問ね。ゼナス・スコットがサムエル地方の領主に任命されたのはいつ?」
 突然と言えば突然の話題変換に、数人が瞬きを繰り返す。ヴェラもまた面食らったようだが、口にしては真面目な答えを返した。
「747年の年始めです」
「そう。じゃあ、バーナード・チェスターが失脚したのは?」
「同じ年の秋ですね。残念ながら、チェスターどのという重石が無くなったことで、それまで水面下で蓄えていた力や人脈を大手を振って駆使し始めた、というわけではありません。ずれだけを見るなら無関係です。反対に、地方領主になってしまえばその権力と引き替えに中央での力は振るえなくなりますから、汚職の裁判の折りに何か手を出すには不利な立場になっていたでしょう」
「さすが、よく調べてる」
 揶揄でもなく本当に褒めたような口調の後、ダグラスは悪戯っぽく眼を細めた。
「そうなんだけどね。そこでヨークが登場するんだよね」
「へぇ?」
 くるりと体の向きを変えたダグラスに、面白そうな顔でヨークが続きを促す。共に肚の底の読めない人物であるだけに、どちらの笑顔も胡散臭い。場所が場所でなければ、腹を押さえたくなるような状況だ。
「チェスターどのが失脚した後に住んでいた村はもともと彼の両親、そして君が住んでた場所だね? 名字はチェスターじゃなかったけど」
 え、とクリスは口に手を当てる。
「ところが既に失脚より前に、その村の広大な果樹園が君の祖父母のものになってる。一介の役人の両親が所有するには分不相応の広さで、実際に誰がどう金を払ったのかは不明。最終的にこの不明金が裁判の争点となって、チェスターどのは失脚。でもその頃にはいつの間にかヨークの戸籍は削除されてて、両親は夏頃に亡くなってて、果樹園は一時村長預かりとなったんだよね。結局、国が村長に託し、それを田舎に戻ってきたチェスターどのが受け取り、って結果になったみたいだけど」
「つまり、何が言いたいのかな?」
「チェスターどのの失脚の仕込みは、ずっと前から行われてたことだってことだよ。君や君の祖父母は実際、果樹園を与えられたなんてこと当時知らなかったでしょ? 本来なら所有者の変更には関わらなきゃいけないのに。だから紙面上だけで勝手に所有者になってたと確定できる。だけど土地や人、戸籍をあれこれ改ざんするのはそれなりのリスクがある。それを『手違い』でうやむやに出来るのが、担当者の大異動という境目だと思わない?」
 あ、と息を呑み、そこに近い情報を得ていたにも関わらず、全く思いもしなかった自分をクリスは恥じる。
「死亡とも何も書かれずにただ削除されてるウィリス・セヴァレーという子供とヨーク・ハウエルの年が同じなんだよね。だから僕は君を怪しんでたんだ。祖父母と共に殺されずに逃げ切れたんだったら、何か隠してるのかもって思ってさ」
「なに、お父さんも罠に気付いたけど、遅きに失したってことです。僕を居なくなった者という括りに入れるだけで精一杯でした」
「そう。失脚前に気付いて手を打った。だけど戸籍や土地のことをいじる権限はなかった。だからこそ、そこを何とかするためには協力者が必要となる」
「……」
「それが、チェスターどのと一緒に組織から排除されたヴィクター・リドリー。例の館の初めの管理人だよ」
「待て、ダグラス」
 言い切ったダグラスに、クリスが思わず声を上げる。
「以前、王宮で資料を漁ったが、チェスターどのの裁判の記録など、詳しいところが抜かれていた。お前はそれをどこで知ったんだ?」
 クリスはかつてヴェラと調べた日のことを思い出す。肝心なところの抜かれた冊子、ハウエルから提供を受けた資料、どこにも詳細まではなく、故に「リドリーの持ちかけた汚職にチェスターが乗った」と公式には処理され、実際は「組織の内部を探るためにチェスターはリドリーと手を組み、それが明るみになったためにリドリーは粛正を、チェスターは他人の行った汚職を押しつけられた」とクリスは勝手にそう理解していたのだ。そうしてそのまま、失脚の件については完全に推察の外だった。
 だが、考えてみればおかしい。聞けば聞くほどに判るチェスターの人となりや行動が、――頑固で一匹狼で人付き合いが下手で気難しいといった印象が、組織の中に居る者を協力者と仰ぐといった全幅の信頼の上で初めて使える搦め手にはひどく反するのだ。
 今更ながらにそう思い立ったクリスに、ダグラスは事も無げに告げる。
「戸籍や土地の管理者の動き、金の流れ、それと後は裁判に実際に関わって今は引退している人への聞き込みかな。あとは推察。閲覧できる資料とかはクリスと同じだよ。僕にはそんなに権限なんてないからね」
 暗にクリスに無能と言っているような内容に、キーツ、そして初対面の頃にそうした言葉を投げたヴェラやアランも顔を歪めたようだった。だが同じ条件の下でその情報収集量が違うのならそうった誹りを受けても致し方ないとクリスは思う。
(土地の人達の間で揉めるほどの広大な果樹園のことも聞いていたのに、そういうものを持ってることに疑問すら持たなかったなんて……)
 むしろ恥ずかしい。そうした鋭敏な回路をもつ頭があればと唇を噛む。そんなクリスを見て、ダグラスは緩く首を横に振った。
「でもだからって別にクリスの推理の詰めが甘いってわけじゃない。目を付けるところが違っただけだよ。僕は現に、ブラム・メイヤーという建築家については組織の手の者だって勝手に思いこんでたし。でもクリスは違ったから、違う方面からチェスターどのの最期について知ることになったし、この間だって、ね」
 言い、綺麗に片目を瞑り、ダグラスは顔を正面に向けた。
「そこまで念入りな仕込みがされてたのなら、もしかしたら『本来判るはずもない領主へ昇格する時期』に目安がついてたんじゃないかって思ったんですが。……そのあたりは如何でしょうか?」
 最後の丁寧な言葉は、ハウエルへ向けられたものだ。それまでただ面白そうに会話を聞いていた彼は、そこで三つ、大きく手を鳴らした。
「さすがはロイドがこき使うだけのことはある」
「どなたのことかは存じませんが、お褒めに与り光栄です」
 どちらかと言えば慇懃無礼な対応には、とても入室前に緊張していたとは思えないものがある。そうした飄々とした態度は、ダグラスにとっては戦闘服のようなものなのかもしれない。
「だが得手不得手と言っている割に独自の情報を丁寧に説明してやるなど、諜報部の者にしては珍しいのではないか?」
「馴れ合うつもりはありませんが、まぁ、たまにはいいかと思いまして」
「ほう?」
「それに、特捜隊という括りにありながら、まぁ普通は各省いろいろ隠し合ってるものですが、誰かさんがそれを引っかき回して常に違うのを連れ歩くわ、べらべら相談しまくるわの状況ですので、隠すことなんて意味ないんじゃないかと思いまして」


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