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 一拍置いて、クリス以外の皆が小さな笑みを漏らす。
「加えて、こういった国家機密に入ることをお訊ねするには、ある程度のカードを切る覚悟がないと場ができませんので」
 敢えて自ら知っている情報を出し、話の流れを知りたい方向へと誘導する。そして答える者以外の興味を引くことで、答えずには居られない場を作る。それが、ダグラスの使った手だ。
 そんな彼を見つめ肘掛けに手を置き、ハウエルはゆっくりと口を開いた。
「この国の昇進の為の審査方法を知っているかね?」
「いえ。それは極秘事項でしょう」
「そうでもない。幾つかの情報を合わせて考えればすぐに判ることだ。第一、人が関わっている以上、どこからかそれは漏れる」
 心当たりはあるのだろう。ダグラスを含む五つの頭が揺れた。父親の後をついて勉強中だったクリスはともかくとして、それぞれ自らの昇進にも関わる以上、完全な無関係ではいられないのだろう。
「無位の場合は上司やそれに並ぶ者からの推薦と簡単な実力評価で済む。だが例えば二位昇進の審査を行うとき、まずはじめに推薦者を含む十名が委員として招集される」
 突然の具体的な内容にクリスは勿論、ヨークやキーツまでもが目を瞬かせた。
「委員はそれぞれ、審査役として適切とされる五名の名前を書き上げ、そのうち九名がランダムに選ばれる。内本当の審査役は三名、残る六名は監査役審査役だ。ひとりにつきふたりの監査がつく」
「……」
「誰が九名に入り、更に審査役に選ばれるかは判らない。最初に名を挙げられた五十名全てに同じ形式の書類が配られ、そこに任務が記されているからだ」
「つまり、審査対象が誰なのかを知っているのは委員十名と選ばれた三名だけ、しかし、委員十名は審査役が誰であるのかを知ることはない、ということですか」
「そうだ。審査に必要な提出書類などは全て、毎回違う方法で回収される。それを元に委員の間で話し合いが行われて決定する。三人共に低い評価が出された場合は会議すら行われないが、評価を下げるような報告があったとしても、補える何かがあれば審査は通る」
 随分と面倒な方法だ、とクリスは思う。評価の不正を防ぐために、多方面からの評価をするためにひとりの昇進に三名が行状を調べ上げ、更にその三名もふたりから不正の有無を調べられる。ここまでしていても穴はゼロではなく、それを塞ぐために審査に対する不正が明るみに出たときには、無関係の親類縁者までを巻き込んだ厳罰が下されることになるのだ。
 不正を行う方も依頼する方も相応の覚悟が必要である上に、それを三名、下手をすれば監査役六名に求めなければ不正は成立しない。そしてハウエルの出した例はあくまで二位貴人への昇格での話だ。領主は一位貴人。つまりゼナス・スコットがその地位を手にするにはそれ以上の人間が審査に関わっていたことになる。
 そう思えばダグラスの推測は非現実的に過ぎるのではないかと、クリスは眉間に皺を寄せた。
「もっとも、審査役が誰になるのか操作するのが難しい以上、運という要素が強く出る場合もある。現に審査役に選ばれたのが偶然友好的な人物ばかりであったりといった運の良さで、支持不支持半々だった人物が昇進した事例もある。だがこの場合は運も実力の内と言えばそれまでで、少なくとも半分の支持を集めるだけの力があるなら充分とも言えるな」
 或いは時期的な問題もあるだろう。戦争初期には穏和な人物の慎重論は軽く扱われ、戦争末期には過激派が疎んじられる。良識が常に素直に通るかと言えばそうでもなく、最終的には善悪併せ持ちそれを冷静に操作できる強かさが必要になるのだろう。
 要は時勢、運などの不確定要素はあれど、人に不正という手段で操作できるものではないということか、とクリスは短く息を吐く。
 だが直後、ハウエルは指を三本立てて皆をぐるりと見回した。
「だがそうした要素なしでも、この仕組みの穴を突いて位を上げた人物は三人いる」
「!?」
 さすがにこれには驚きを禁じ得ない。その思いを代表して声にしたのは、法務省のふたりだった。
「まさか! では何故長官はそれを咎めないのですか!?」
「ふたりは既に死んでいる。ひとりは咎める必要がない」
「ですが、不正は不正です!」
 抗議に、ハウエルは皮肉気な笑みを浮かべた。だがそれだけで口を噤んだところをみると、これ以上は答える気がないということだろう。
 だがその様子から決定的なことは言わぬまでも、クリスにはひとつ判ったことがある。
「組織……フェーリークスは、人の弱みを作って握ることも簡単にできますね」
 呟きに、アランが横ではっきりと頷いた。
「領主の権力がなくてもフェーリークスの力を使えば、……嫌な言い方ですが、人の後ろ暗い情報を得ることも可能ですね。そしてそうして弱みを握られた人物は、何を指示されなくても勝手に怯えてくれるでしょう。審査役は一般には秘匿されています監査役がいる。監査役がもしかしてゼナス・スコットの派閥の者であれば? ……それだけで、下手なことが書けません。どうですか?」
 クリスの問いに、ハウエルはにやりと嗤ったようだった。
 ――クリスは思う。それこそがヨークの命と引き替えにしたチェスターの罪だったのではないかと。
(いや、違う)
 それでは時期が合わない。前後してしまう。スコットの昇進の不正に絡むのであれば、少なくともそれが決定する何ヶ月も前でなくてはならない。
(チェスターを追い込むことで得をした人は……)
 そうして、アランを挟んだ向こう、ダグラスを見る。
「――」
 目が、合った。それも偶然などではなく、意志を持って思惑を伝える物言いたげな目線である。お互い、至った結論は同じだと言うことだろう。

 ――不正に絡んでるのは、おそらくは財務省長官、ルーク・オルブライトその人だ。

 そしてその推測のもと、”物証”の候補がひとつ加わることとなる。
(”物証”は今も現役で働いている高官の、組織との不正な取引の記録なのかもしれない)
 或いはそれこそが、この度の一連の事件における組織の行動の基本になっているのかもしれない。真実”物証”が組織に大打撃を与えるものであるのなら、争奪戦は血を血で洗うようなものになっただろう。そうならず未だ行方不明のままであるのは、影響を与える先が組織だけではないということを知っているからだと考えられる。
 財務長官への決定的な信頼、それが崩れ去った途端に広がる可能性の、何と多いことか。
「クリス?」
 推測の域はでないとはいえ、それはクリスを蒼褪めさせるには充分なものだったのだろう。訝しげな、どこか気遣わしげなアランの呼びかけに、クリスは緩く頭振った。
 そんな彼と机をひとつ挟んだ先で、ハウエルがまとめるように手を鳴らす。
「これに関しては儂に言えるのはここまでだ」
 そうして、他には、と問うように皆を見回した。それに応じ、ヴェラが手を挙げる。
「話は変わりますが、ひとつよろしいでしょうか?」
 ダグラスとは違い、あくまで直球の質問に、ハウエルは鷹揚に頷いてみせる。
「失礼ですが長官。ノークス捜査官からの伝言には、具体的になんと書いてあったのでしょうか?」


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