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「ただ、周辺諸国の中でもベルフェルは一番注意すべき国です。北方戦役で何かがあったのか、そもそもあの活躍が裏で何か取引された結果のものなのか、これ以上事態をややこしくしないためにも、エルウッドの確保は必要なんです」
 なるほど、ヨークの言葉には説得力がある。そう言われれば引かざるを得ない。だが、とクリスは視線を再び中央に流した。
(何を隠している……?)
 ハウエルの表情は、クリス如きには読み取ることさえ困難なものだ。だが彼が言ったことが確かならばおそらく、レスターのことは「今言うわけにはいかないこと」なのだろう。同時に、クリスたちがレスターの不在を気にかけ本格的に捜し始めるのを、悠長に待つ余裕もまたないということか。
 立ち上がったまま一度大きく息を吐き、クリスは己の心に折り合いを付けた。
「判りました」
 後ろでヴェラもまた深く息を吐く。
「レスターを捜します。ですが、彼の方が腕は上です。逃げられたとしてもお咎めはなしにお願いします」
「……ひとまずは生存が確認できればよい」
 暗に逃がす可能性を告げたクリスの言を認め、ハウエルは低く嗤う。
「他の者はよいな?」
 だがそれ以上の反論は許さない。そうした獰猛な笑みに、ヨークを除く四人はぎこちなく頷いた。

 *

 石畳の隙間を押し出された砂が、足下を乾いた音を立てて通り過ぎていく。
 ハウエル私邸を出たクリスたちは、それぞれ疲れたような表情で用のある方へと散っていった。時間にして短い会合であったにも関わらず、貯蓄された疲労が半端無い。途中、ハウエルの復帰に沸き立つ街中を通ることは、それなりの苦行になるだろう。
「尊敬する人は法務長官です! って感じのヴェラも、最後はさすがに蒼い顔してたよねぇ」
「……俺にはお前の図太さの方が脅威だ」
 他の三人が一旦日常の業務へと戻っていく中、クリスはダグラスの誘いを受けて住宅街の別の区画へと足を運んでいた。目的地はむろん、エルウッド邸である。
「それで? お前が確認したいことがあるというのは判ったが、何故俺まで連れて行く?」
「あのメイド、苦手なんだよね」
「……ああ、あれか」
 かつてレスターの家を訪れた際応対に出た使用人を思い出し、クリスは目を遠くへと向ける。
「あの女は何なんだ? レスターが雇ってるようではなかったが」
「夫人の実家から来たお付きだよ。レスターは殆ど家に帰らないし、家の主人だとは思ってないんじゃないかな」
「なるほどな」
 あり得る、そう思いながらクリスは首肯した。
「それで? 何を確認しに行くんだ?」
「勿論、レスターが家に戻ってないかだよ?」
「レスターは何故居なくなったと思う?」
 嘘吐け、と内心で思いながらクリスは話を飛ばすようで、実は密接に関係している言葉を叩きつけた。一瞬頬を引き攣らせ、ダグラスは可笑しそうに嗤う。
「ほんとクリス、意地悪くなったよね」
「言葉遊びをしている暇も、騙されてやる時間もないからな」
 レスターの失踪――地位も責任もある男がどこに連絡を残すわけでもなく一週間も消息を絶てば充分にそうと断定できる状況をだ――の原因はいくつか考えられる。それらをまとめて大きく分けるならばふたつ。
 ひとつは単純にクリスが狙われているのと同じ理由で、組織の者に亡き者にされたという説。クリスのように馬鹿正直に見たこと気付いたこと知ったことを皆に報告しているとは思えない以上、どこかで皆の知らないところで組織の危機意識を膨らませる行動を取った結果とも言える。
 もうひとつは、レスターがもともと組織側の人間であった場合だ。クリスたちがサムエル地方へ急行したことから、引き時だと察して消えたという事が考えられる。例の屋敷から、地中に埋められていた何かをクリスたちを出し抜いて手に入れていたとすれば、時期的にも辻褄が合う。
 だがそこに北の国が絡んでくるとなると、話は変わる。
「お前がレスターの家に行くというのは、むしろエルウッド家に何かが起こってないかと見るためだろう?」
「まぁ、そうだね」
 ベルフェルが失踪に関与しているのであれば、おそらく家の方には直接の変化は起こっていないはずだ。まずはそこの線引きをしなければならない。
「どちらだと思う?」
「僕の勘では、ベルフェルはあまり関係ない気がする」
「根拠は?」
「ハウエル法務長官の言葉は建前って気がするから」
「同感だ」
 ハウエルは個人的なことでレスターの不在では困る他の理由を持っている。そう感じたのはやはり気のせいではないのだろう。そしてダグラスが下した結論もまた同じようだった。故にそれ以上のことは語らずに足早に歩く。
 その後もしばらくぼそぼそと話を続け、ふたりは数十分後にエルウッド家の前に到着した。
「クリス、よろしく」
 何故自分が、とも思うが言えば先に聞いた理由を持ち出されるまでだろう。諦めてノッカーを数度鳴らしたクリスは、慌てたような音が響くのを耳に後退して僅かに身構えた。
 近づく足音、鍵の下ろされる音、そしてゆっくりと開かれた扉の先に居たのは、クリスの胸を撫で下ろさせる男だった。
「……これは、レイ様でしたか」
 身なり、所作ともに品を感じさせる使用人、ユーリアンである。
「ようこそおいで下さいました」
「覚えてたのか?」
「それはもう」
 クリスを見るや一度微笑を浮かべた老紳士は、しかしすぐにその額に翳りを落とした。
「レイ様がこちらにいらしたのは、確認の為でしょうか」
 明敏。そして話も早い。厄介なメイドが出てこなかったことは幸いだが、それはそれで別の問題を連想させるというものだ。
「ああ。……レスターは?」
「先月19日より家を空けておいでです」
 沈痛な面持ちは、それが突然の出来事だということを示している。この男にして行方を知らないということは正しく、レスターにとっても予想外の何かが生じて戻れずにいるということか。
(25日ですらないのか……)
 つまりレスターは、クリスと王都へ戻ってきた後、一度も家に寄ることもないまま姿を消したことになる。これはさすがに予想外だった。


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