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「こう聞くのはなんだが、最後に家に居たときに、何か気になるようなことを言っていたりとかもなかったのか?」
「特には。数日遠方へ出かけると馬を手配されましたが、普段軍務で長期不在となるときと変わりはありませんでした」
「というと、具体的なことは言わずに?」
「はい。そもそも旦那様がこの家の中で何かお話になるということは稀で、そういう意味でも特に変わったことはございませんでした」
 レスターはけして無口な男ではない。今の言葉と常の彼を比べて思ったのだろう。クリスの後ろでダグラスが顔をしかめたのが目の端に映った。
「失礼だが、細君は捜索を手配したりとかはしてないのか?」
「おりません。このところ父君と頻繁に外出なさいますが、旦那様の話は一切」
「外出? ウィスラーどのと?」
「はい。以前もたびたびあったことですが、最近は増して」
「行き先などは?」
「存じません。遅くとも夜半には帰宅なさいますが、奥様のことはカミラが全て仕切っておりますので」
 突っ慳貪で暖かみの欠片もない使用人のことを思い浮かべ、クリスは曖昧に笑う。
「旦那様のことは私も案じておりますが、家を空けるわけにもいかない状況です。どうか、レイ様、よろしくお願いします」
 決まりだな、とクリスは思う。
 ベルフェルのことはやはり直接には関係していない。レスターの失踪はあくまでも人身売買組織の絡む一連の事件の延長上のものだ。ウィスラーとその娘の行動が活発化しているのはおそらく、レスターの現状を知っているからだろう。レスターがどういった立場であったのかは想像上のものでしかないとはいえ、彼が失踪を余儀なくさせるほどのことをしでかした、そのことがウィスラーの焦りに繋がっているとクリスは考える。
 裁判所で出会った一件もその延長上のことだろう。或いは子飼いの後始末に自分が出向かねばならない状況になったと見るべきか。
 そんな思考と平行して、クリスは別のことを口にした。
「出来る限りのことはするが、……ひとつ、訊ねたいことがある」
「なんなりと」
「レスターの父の起こした商売は、本当に真っ当なものだったのか?」
 唐突だったということもあるだろう。クリスの言葉に眉を顰め、ユーリアンは口を一文字に引き結ぶ。だが次に彼の唇が開かれたときには既に、畏れも迷いもない目をしていた。
「至極、真っ当な商品を扱っておいででした」
「そうか。ありがとう」
 微笑み、クリスはユーリアンに礼を述べる。そうして別れの言葉を告げて背を向ければ、ダグラスが微妙な顔でそれに続いた。
 エルウッド家の門を出てしばらく歩き、彼はようやくのようにクリスの横に並んだ。
「クリス、シリル・エルウッドの事業は白だったよ。それは入念な捜査で確定がついてる」
「ああ」
「今更それを確認して、どうするんだい?」
「――『組織』の活動は幅広いが、売り買いしてるのは何だ?」
「? 勿論『人』でしょ。男も女も掠ったり罠に嵌めて安く買い取ったりして必要なところに売りつけるっていう」
「今はウィスラーが全権握っているその商売、扱う品は真っ当だと保証されているわけだが、それを卸す人物はどうだ? ウィスラーひとりで作業しているわけでもあるまい」
「そりゃ、誰かを雇っ……、あ」
 瞬き、口を手で押さえたダグラスにクリスは頷いてみせた。
「もしかして王宮に、そうやって人を入れてる?」
「まだ片付いていない問題があっただろう? 収容所爆破後俺が追った人物は確かに王宮方面に逃げた。事件後ありとあらゆる場所は封鎖されたから、王宮内に逃げ込む以外に逃げ道はなかったはずだ。どうやって入ったかはともかく、出る方は?」
「確かあの次の日、ウィスラーは王宮に居たね」
「その通りだ。商会として身分証明がいるのは主だけだ。従業員の数に規制はあるが、荷運びの者にそこまでの証明は求められない。現にブラム・メイヤーに必要な資材を届けに行っていた男も、著名人でも位持ちでもないが王宮に入ることが出来ている。或いはメイヤーを通して証明書を貰っていたのかも知れないが、それならあの男にも同じ事が言える」
「なるほど、ね」
「ダグラス」
 足を止め、クリスは一歩前に出たダグラスを見つめた。
「王宮は、どこまで組織に浸食されている?」
「……」
「五年前から王宮は急速に力を失った。あの時法務長官たちの調べの手が入ったが、セロン・ミクソンはその時点では白だったはずだ。失った権力を取り戻すために、彼らはどこまで組織を擁護してるんだ?」
 セロン・ミクソン、マーティン・ウィスラー、ケアリー・マテオ、加えるならシェリー親子も入れて良いだろう。そしてレスター。王宮に関わる人物にここまで灰色の者が多い現状を見れば、さすがにもう「王宮の権力を取り戻すために特捜隊に横やりを入れている」などと単純な考えで済ませることは出来ない。レスターのことは信じたいクリスだが、一方でもう組織と関わりのない人物とは思えないところまできたことは判っている。
 ダグラスは振り返り、クリスに目を合わせた。
「それは……」
 既視感。
 少し前にもこんなシチュエーションがあったと、何故かクリスは僅かな動揺を覚えた。
「こういうことだよ、クリス!」
 ダグラスの手が思わぬ力でクリスの腕を掴む。その勢いのままに前のめりに倒れかけたクリスは、直後、頭の上を何かが通過していくのを感じた。
「!?」
「レスターの家が見張られてる程度さ!」
 襲撃者という言葉が頭を過ぎるや、クリスは反射的に駆けだしていた。むろんダグラスもそれに並走する。
 第二矢はその直後に、三つめが放たれたかどうかはクリスには判らない。比較的閑静な住宅街を抜け人通りの多い道へと向かったふたりは、すぐに次の場所への選択肢を迫られることとなった。
「軍部へ助けを求めるか?」
「遠いなぁ」
 人混みの中で遠距離攻撃はないとしても、一般人を装って近づかれる可能性は跳ね上がる。どちらが危険かと言われれば判断に困るところだ。相手の人数は判らないが、ふたりの向かいそうな場所への通り道は先回りされる恐れが高いだろう。
 逃げ込む先の候補は幾つか存在するが、助けを求める相手が居るかどうかが判らない。それならと警戒しながら軍施設を目指したふたりだったが、さりげなく近づいては凶器を閃かせて逃げる波状攻撃に、さすがに集中力も限界を超え始めた。夕闇に人と建物の境界が曖昧になっていく時間帯であることも、彼らには如何にも不利な状況だ。
「やばくない?」
 反撃は無論可能だが、相手はその場合被害者を装うだろう。騒ぎを聞いて捕らえに来る者が知己であればよいが、罠に嵌る恐れも否定できない。身体能力に優れているふたりだが、それに任せた行動が取れないジレンマも精神力の消耗に拍車をかけていた。


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