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「……なるほど」
 言葉は悪いが、昔から王侯貴族の間では人質、或いは政略結婚と称して似たようなことが頻繁に行われている。貰い受ける方からの強制かどうかで印象が変わるだけで、渡す側にも某かの利益が生じるところは広義での売買とも言えるだろう。
 ただしこの場合はある程度の身分保障も行われるが、人身売買組織を介した場合はその限りではない。いずれにしても話していて楽しい内容であるはずもなく、ふたりは同時に様々な疲労を含んだ息を深々と吐き出した。
「ちょっと、外に出るよ」
 自分を含めた陰鬱な空気に辟易したのか、モイラがそう断って部屋を出る。頷いて見送り、クリスは両腕を額の上に交差させて乗せた。
 会話が途切れ、しんと静まった室内に、外の姦しい声が響く。裏口から飛び込んだときにはうっすらと地平線を照らしていた陽光も、今は藍の空の彼方。歓楽街に夜の時間が訪れようとしている。
 僅かな灯りがぼんやりと室内を照らす様は、どこか侘びしい。
(レスターはどこで何をしてるのかな……)
 ここ数日は好天が続いたが、そろそろ崩れてくる頃合いだろう。隠れて逃げているとすれば、状況はより悪くなる。
(逃げる、か)
 レスターの家に行く前にダグラスと話していたことだが、ベルフェル国の事が関係ないとなればやはり、組織のことが原因となるだろう。そうなれば考えられるのはやはり大きく分けて二択。
 レスターは、一体どちら側の人間なのか。
「ねぇ、クリス」
 考えに沈むクリスの横で、みじろぎしたのか、ダグラスの椅子がぎしりと音を立てた。
「今更なんだけどさ、僕、レスターの立場の重要性ってのに気がついたよ」
「……奇遇だな。俺もだ」
 降参を示すように両手を挙げ、クリスはダグラスを見遣る。
 正確に言えば、レスターの立ち位置の重要性、だ。王宮がこの五年の間に、フェーリークスの力を借りてあれこれと活動しているだろうことは間違いないだろう。否、チェスターやメイヤーのことを思えば、それ以前より狙われていた可能性もある。
 一位貴人ゼナス・スコットは領主として王宮に何度も出入りしていた。王宮の持つ特権と閉鎖的空間に、その時点で目を付けていたのかも知れない。
「王家と権力者との間隙、か」
「なにそれ」
「国の抱える脆弱性のことだ」
「ふぅん、上手いこと言うね」
「俺じゃない。法務長官の科白だ」
 爵位などの世襲的な身分制度を作らないイエーツ国唯一の特別な血統。開放的とも言える国のあり方との間には深い溝がある。スコット、そしてフェーリークスはそこに潜み、未だその溝は埋められていない。
(法務長官は五年前、その溝を埋めない決断をしたのか……?)
 埋めるには王家そのものを解体させなければならない。だが五年前にはそこまで追い込むほどの非は王宮側にはなかった。その時点では「狙われていただけ」でむしろ組織に牙を剥かれていた立場であったのだとすれば、いかな英雄的存在だったとしてもどうしようもなかっただろう。
(一旦諦めて、その間に王宮を追い詰めて組織と手を結ばなきゃならない状況を作ったんだとしたら、……いや、さすがにそれはないだろうけど)
 そんな中で、レスターは微妙な立場にいる。表向きは軍人として頭角を現す優秀な人材、だが家庭では王宮に深く縁のある男を義理の父に持つ。彼の意志次第でどちらにも付けると言えよう。
 立場的には敵である可能性が高い。だが実際のレスターだけの行動を見ていると、そうとは思えない面が多々ある。旧水道の横穴へクリスを連れて行ったことも、メイヤーの王宮増築の件から王宮周辺の見取り図が作成された可能性を指摘したことも、チェスターの最期の場所でのことも、組織側の人間なら知っていておかしなことではないが、そうであるとすればクリスにわざわざそれを教える必要はない。餌をちらつかせ、その近くにあるより重要な何かを隠していたとも考えられるが、それならば情報量の少ないクリスをその相手に選ぶ理由が説明できなくなる。
 一体彼は誰の味方なのか。――否、誰にも味方していないとすれば、王宮側、組織側、そして特捜隊の間を行き来することで総合的な情報を集めることが出来る。つまり彼はハウエル法務長官と同等か、或いはそれ以上の真実を手にしている可能性があるのだ。
 重要な駒。”物証”と並ぶ情報の塊。思えば、法務長官が彼の失踪に合わせて出てきた意味もよく判るというものだ。
「ホント、厄介な男だよねぇ」
「ああ」
「そんな男でも、クリスはやっぱり信じるのかい?」
「勿論、疑ってはいる。だが決定的な証拠がないなら、レスターが否定するなら、仲間だと思ってる。助けてくれと言うなら助けるし、俺の方から突き放すつもりはない」
「……莫迦だねぇ」
 しみじみと語るダグラスに同意し、クリスもまた苦笑する。
 そこに、扉の叩く音。返事をするべきかと一瞬迷ったクリスだが、そのまま扉は中のふたりの反応を待たずに開かれた。何の迷いもなく入ってきたのはモイラで、前置きとしてノックをして報せたというだけなのだろう。
 そんな彼女はだらけた姿勢のふたりを見て、深々とため息を吐いたようだった。
「何くつろいでんだい?」
「疲れてるっていう表現だよ」
「ああ、そう。なら食欲もないだろうから、あんたには必要ないね」
「え、ご飯!? 要るよ、要る要る。何事にもまずは体力付けないとねぇ!」
 その現金な調子に、モイラは肩を竦めたようだった。呆れた様子は残しながらも、簡単な食事をクリスとダグラスの前に置く。
 少々古く固くなったパン、固い肉、チーズの切れ端、塩茹でされただけの芋、安物の葡萄酒と明らかに今日に至るまでの食事の残りと判るものだが、もらえるだけでもありがたいものだ。体力が勝負の年中欠食児童状態の軍人ふたりは、あっという間にそれらを平らげた。
「ご馳走様でした」
 自分の椅子に座り、酒の杯を傾けながらそれを見ていたモイラは、揃って礼を言うふたりに可笑しそうな笑みを向けた。
「食事の用意まで世話になり、申し訳ない」
「いいさ。親玉からその分の金はちゃんと貰うからね」
 初対面の時を合わせても、会うのはまだ三回目だ。それを思えば随分親切な対応と言えるだろう。気っ風の良い姉御という印象そのままに、モイラはもともと面倒見の良い性分なのかもしれない。
 たいして汚れてもいない食器を籠に収め端に置き、クリスは改めて礼を述べた。そして、ダグラスの方へと顔を向ける。
「お前の同僚は、いつ頃やってくるんだ?」
 食事を終え満足したのか、既に椅子に全体重を掛けるようにだらけていたダグラスは、首を傾げてから曖昧に笑う。よくもここまでグダグダになれるものだと感心するクリスだが、疲れているのは彼も同様で、モイラから見れば五十歩百歩の姿勢ということにはあまり気付いていない。
「んー、まちまちだねぇ。でも表に印を付けておいたから、来たら向こうから声を掛けてくれると思う」


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