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 少なくとも、そういう物があると知っているリドリーには手痛い反撃となる。
 ”物証”の発見はリドリーにとっても予想外であり、千載一遇のチャンスでもあったのかもしれない。まさにその現場に居合わせた事は、運命の悪戯としか言いようがないだろう。
(いや、あの館はリドリーが初代管理人を務めたくらいだ。スコットを追う限り重要でなくても、リドリーには要だったって考えた方がいい)
 壊滅から五年、まだ水面下で力を蓄えているはずだったリドリーは、騒ぎに乗じてハウエルたちの政治体制に打撃を与えることを思いつく。本来なら”物証”を手に入れ、もっと国民の知らぬところで力を削ぐつもりだったのかもしれない。
 表立って派手に活動しないのは、やはり使える手駒が少ないせいだろう。セス・ハウエルという油断ならない人物もいる内は動きにくくもあるはずだ。
 だが、あくまでも推測ではあるが、おそらくリドリーはオルブライトの弱みを握っている。ハウエルは彼らより年を取っている。利用しているつもりで実は利用されている王宮を隠れ蓑に、ハウエル亡き後国のトップに立つであろうオルブライトを裏で操り、或いは弱みを持って早々に失脚に追いやり、再び人身売買組織の根を生やしていく――。
「ダグラス」
「うん」
「お前はどっちを追いたい?」
「駄目だよクリス。君が――暫定だけどリドリーを追っちゃ。向こうだって目を付けてるんだから、反対に罠に嵌められるかもしれないでしょ」
「それはそうだが」
「ライノ、だっけ? 彼との話でなんとなく判ったけど、リドリーも姿を消したんでしょ? 彼らに協力を頼むから、僕はそっちを追う」
 確かにダグラスであれば、軍務長官の情報網を通して総合的に状況が把握しやすいだろう。クリスが闇雲に追うよりも遙かに手堅く、危険度も低い。
「何か異変があれば、必ず言ってくれ」
「それは僕の科白だよ。クリスこそ無茶はしないように」
 笑い含みに言うダグラスだが、目はあくまで真剣だ。それに反論する必要もなく、クリスは硬い表情で頷いた。

 *

 ハウエルの復帰の報せより一日と半日ほど経過した夜半。疲れた体を引き摺って家に戻ったルークは、しんと静まりかえった屋敷内を一周し、そしてまた玄関口へと足を向けていた。
 本人不在のまま浮かれた空気と推測を存分に含んだ喧噪、そして急速に流れ始めた時間が三省の中を駆けめぐった一日だった。そうルークは思う。
(たったひとりであの影響力か……)
 五年前行動を共にしたとは言え、ルークにそこまでの力はない。居るだけで他者を圧倒し従わせてしまう威風は、けして真似し得ないものだ。
 妬ましいと思わないと言えば嘘だろう。だが激しく変化する情勢に対応することで精一杯のルークには、後ろで支えてくれる人物が戻ってきてくれただけでもありがたいことだった。さすがに外国に土足で踏み込まれるのは良しとしなかったのか、外交に於いてのみを言えば比較的協力的だった王宮側や治安維持を一手に引き受けてくれた軍務長官も確かに無くてはならない存在だが、やはりどこかハウエルには劣る。
(もっとも、立場的に音頭を取る役目の私が、一番その場にふさわしくないのだが)
 何か大きな改革をしているわけではない。国民の大多数の脅威になるような、強大な敵が立ちはだかったわけでもない。ただ過去の亡霊がその名をもって不安と不穏をまき散らしているだけ、そんな状況でさえ処理しきれていない自分の無能さに苛立ちさえ覚える。綱渡りに近かったこの数ヶ月間でそのことを痛感したルークは、重圧故にかすっかりと体重を落としてしまっていた。
 国民の精神的支柱となり得るハウエルの存在は、やはり何者にも代え難い。本来国王という存在はかくあるべきといったほどの存在感を持っている。王宮の奥に引きこもり、五年前も今も全てをセロン・ミクソンに委ねている王と存在を入れ替えてくれたらとすら思うほどに。
(そうなら、私ごときが片付けている仕事も、全部委ねてしまえるのに)
 とりとめのない理想を頭の中に展開しながら外套に袖を通したルークは、今日も例の男が出入りしていないことに安堵しながら扉を開けた。
 もうそれなりに長い間、彼の姿は見ていない。別の何かを企んでいるのか、或いはハウエルの復帰を悟って距離を置いたか。後者であればいいと思いつつ、ルークは遙か上空へと視線を向けた。
 藍の帳にはうっすらと灰色が流れている。今はまだほんのりと明るいが、集まりつつある雲の足はどれも速い。
 風雲急を告げる――
 見上げた空に何故かその言葉を思いながら、ルークは仕事場へ戻るべく家を後にした。


 同時刻、とある一室で、玄関を見下ろす窓が静かに閉められたことを、――彼は、知らない。


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