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20.


 一晩明けて11月3日朝早くに軍部へと戻ったクリスは、ダグラスと別れてから一度家に戻り、その後すぐに商人でごった返す広場へと向かった。ガストン・ゴアを訪ねてのことである。
 レスターと向かった村で別れてから一週間以上、そろそろ次の荷を運んでやってくる頃合いだと当たりを付けてのことだが、さすがにそうそう運良く物事は運ばないようだった。
「ゴアの旦那? んー、今日は来てないな。そろそろだとは思うんだけどな」
 荷を運んでいる男も、場所はともかくといった様子だ。
 明日には来るかもという言葉通り、その日一日足を使っての情報収集に費やし、一晩待って3日の朝。クリスは再び広場へと向かうべく支度を調えていた。
 昨日小雨を降らした雨雲は流れ去っていたが、それを追うように別の厚い雲が空を駆けている。夕方には雨かと予測を付けながら、クリスはエマから外套を受け取った。
「じゃあエマ、行ってくる」
「はい、お気を付けて」
 クリスが泣いた日以降、エマとは穏やかに過ごしている。それが表面上のものではなく、互いの信頼の上に成り立っているものだと判るほどに互いの力が抜けているのは、特にクリスには良い傾向なのだろう。
 むろん、この家の中は大丈夫だなどと根拠のない安全性を確信しているわけではない。現在、仕事上で関わっている仲間が行方不明であること、たびたび何者かに襲われていることを話し、一日二日は言伝なく戻らない可能性があることもエマとカミラには説明している。その上で、何かあった場合は軍部のガードナーを訪ねることを何度も話し合い決定事項とした。
 知らぬ人よりもアントニーやパトリック・レイを頼ろうとする傾向にあるふたりだが、クリスの立場を総合的に捉えている人物で且つ話が通りやすいとなれば他にはいない。
 この日も、慣れた行動範囲以外は足を伸ばさないことなどを伝え、クリスは家を後にした。

 *

「おや、これは奇遇ですな」
 王都に仕事を持つ限りいつかは会うこともある。だがそれがまさかすぐ次の機会にとまでは思っていなかったのだろう。クリスが手持ちぶさたに立ちつくしているのを見つけて、ガストンは目を見張ったようだった。
「どうも。お元気そうで何よりです」
「そちらも」
「実を言うと少しばかり心配しておりまして。ご無事で何よりです」
 含むような言い方に首を傾げたクリスを前に、ガストンはちらりと視線を周囲に走らせる。
「実は、あの村長、……殺されましてね」
「!」
「丁度税の徴収を終えた後で、それ目当ての強盗として事件の処理がされたようですがね」
「……そうか」
 言いながらも、そうした表向きの理由など信じていなさそうなガストンだが、クリスたちに疑いを向けている様子はない。チェスターの家の倒壊のこともあり、村長自身が許容範囲外の者に関わり自滅したと見ているようだ。
 粛正。その単語が頭に浮かび、クリスは背を震わせる。
(あの時、既に後を付けられていたのかもしれないな……)
 村長の家に入る前のレスターを思い出し、クリスは唇を噛む。まさに後を付けている何者かに気付いたのか、――彼自身が某か合図を送ったのか。
 だが、堂々巡りの問題だ。今それを考えるときではないのだろう。
「ところで、何か用があったんではないですかね?」
 表情を険しくしたクリスに気を遣うように、ガストンがそう話題を変える。年の功と言うべきか、話に聞く限り如何にも付き合いの難しそうなメイヤーと交流があっただけのことはあると言うべきか、ささやかな機転に助けられることが多い。
 若干決まり悪げに笑んだクリスは、後頭部を掻きながら用件を口にした。
「メイヤーさんの弟子、ですか……?」
「ああ、何か覚えていないだろうか?」
 ガストンに会いに来た理由はふたつある。
 ひとつめの用件は、隠遁したはずのバーナード・チェスターが死ぬ直前に王都へやって来た理由についてだ。ハウエル法務長官の言い方を考えればやはり、ブラム・メイヤーが何かを彼に伝え、それを確かめに戻ったとみるべきだろう。そこにヴィクター・リドリーが生きているかもしれないという情報を加えてみれば、導き出されることがある。
「こういう顔をしてませんでした?」
 ルーク・セスロイド――否、ヴィクター・リドリーの顔絵を見せ、しばし待つ。額に皺を寄せ考え、しかし、ガストンは困惑したように首を横に振った。
「すみませんがね、さすがに覚えてませんわ」
「そう、か」
「あんまり喋ることもなかったんだと思いますけどね。その後すぐにメイヤーさんも引退してしまいましたし、会うこともありませんでしたし」
「それはまぁ、そうですね」
 頷き、クリスは顔絵を仕舞う。これは実は殆ど期待していない。判れば儲けものといった程度で、どちらかといえば話を繋げるための布石だ。
 肝心なのはふたつめ。むろんレスターのことだ。
 直接的な情報は期待していないが、ガストンの村からここへ来るまでの間に何か道中でうわさ話などなかったかと思ったのだが、これは外れたようだった。相変わらず人身売買組織の名を騙った盗賊が狡い稼ぎをしているようだが、財務長官と軍務長官が共同で取り締まりに関する声明を出して以降、被害状況は下降線を描いているという。
 この間の溺死体発見の騒ぎを思い出してか、今回は検問で余計な時間を取られることもないスムーズな旅だったとガストンは安堵したような顔で断言した。
「そうですか」
 まずは安全な道中だったことを喜び、次いでクリスはさりげなく思案気な顔を作る。その含みのある表情と短い沈黙に、ガストンは眉根を寄せたようだった。
「何かあったんですか?」
「いや、大したことじゃないんですが……」
 迷う振りをして気を引き、躊躇う様子を見せながらクリスはカードを切った。
「この前村まで同行したレスターですが、ちょっと彼と連絡が取れなくなっているんです」
「え」
「多分大丈夫だとは思うが、何か知らないかと思いまして」
「そうですか……。すみませんが、知っての通りあのまま村に戻りましたんでね、何も知らないですね」
「ええ。判ってます。変なことを聞いてすみません」
「いえ、……いや、そうですなぁ……」
 宙に目を遣り、ガストンは考えるように首を捻る。
「儂の方でも何か聞いておきましょうか?」
 釣れた。そう内心で指を鳴らしながら、表面上はあくまでも驚いたように瞬いてみせる。


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