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「そんな、今日はこれから荷の卸しもあるんでしょう? 前も助けてもらったばかりですし」
「いやいや、世間話ついでに聞くだけですよ。こっちも治安に関しては普段からよく話しますしね。軍の人が消えるような物騒な話があるんじゃ、こっちも油断できませんので」
「それなら……、いや、だが、レスターの名前を出せばあなたにも危険が及ぶかも知れない」
「判ってます。何か変わったことはなかったか聞くだけですよ」
 苦笑しつつ、任せろと言わんばかりにガストンは胸を叩く。クリスの思惑に気付いた様子はないが、簡単に誘導できたというほどのものではないのだろう。情報は商売人にとっての命、直接売り上げに貢献する某かでなくとも、引っかかるものがあれば気にするに越したことはないといった元からの要素が強い。
 問題はそうして得た情報をクリスに回してくれる気の良い言葉が出るかどうかであり、――それに成功したことにクリスはひとまず胸を撫で下ろした。
「それじゃ、行かなきゃならんところがあるんで失礼しますが、どうしましょう。明日また?」
「いえ、……夕方にここはどうですか?」
「大丈夫です。それじゃあ、日が暮れる頃にはここにいるようにしますよ」
 二つ返事で請け負い、ガストンは荷を卸し先へ運ぶ為に去っていった。その背を見送り、ひとつ用件の済んだクリスはこれからどうしたものかと腕を組む。
(ダグラスは……私が周りをうろうろするのは得策じゃないし、アランは忙しいみたいだし)
 そう言えば、とクリスは思う。
(財務長官への疑惑もあったんだよね)
 これもレスターの立場と同じく決定的な証拠に欠ける為、あくまでも疑惑の域をうろうろと彷徨っている。疑えば道筋は出来るのだが、疑い切るには相反する事実が邪魔をするのだ。
(財務長官が組織と繋がってるとすれば、いや、組織に弱みを握られてるとすれば、何故法務長官はそれを知っていて彼と手を組んだんだろう)
 旧友の部下という程度でいつ裏切るか判らない人物を片腕にするほど、ハウエルは甘い人物ではない。反対にそうと知って利用していたとするには、五年前から今までの様々な改革で見せた二人三脚のような協力体制がおかしなものとして映る。
(ヴェラに相談するか?)
 周囲の誤解を招きかねないということもあり活動を共にするということは無かったが、ヴェラは情報の不足を指摘し穴を埋め次の考えをまとめて提示するという能力に於いて信頼できる人物だ。思い、情報を得ようと言うよりは話し合って整理したいという気持ちから、クリスは法務省施設へと向かうことにした。
 考えながら歩き、人混みをかき分けながら空を見上げる。幸い今はまだ雨となってはないが、時間の問題とも言えるだろう。大通りで買い物に勤しむ者たちも心なしか足が速い。
 急ぐか、とクリスも若干姿勢を傾ける。そうして半ば駆け足になりかけたその時。
(……あれは)
 視界の端に映った金色の渦に、クリスは反射的に視線を横に向けた。
 細くたおやかな白い肢体、その上に乗っかる小さな頭から緩く波打つ豊かな長い髪が流れ落ちる。少女の匂いを残しながらも大人の艶を湛えた顔は、全てのパーツが絶妙な間隔で配置されていた。
 誰もが振り返るほどの美女、ステラ・エルウッドだ。
 認め、目を見開き、クリスはその場に立ち止まる。純粋な驚きに満ちた視線は、羨望の糸を引くそれの中では異質だったのだろう。気付いたように、ステラの顔がクリスの方を向いた。
 そこでどちらかが視線を外せば、単に目があっただけという素っ気ない遭遇で終わったに違いない。だが頭で考えるよりも先に体が動き、吸い寄せられるようにクリスはステラの方へと近づいていった。
 周囲が目に好奇心を宿らせる中、逃げるでも無視するでもなく、クリスを見つめたままステラが口を開く。
「またお会いしましたわね」
「……この間はどうも」
 いずれの前かは明確にせず、クリスは小さく会釈した。ステラの方も言及する気などない様子で、にこりともせずに軽く目を伏せる。
「わたくしに何か用でも?」
「レスターのことだが」
 昼前、賑やか敷く沸き立つ雑踏の中、他を拒絶する壁で囲われた尖った雰囲気の美女。そうしたミスマッチな現状への興味がないと言えば嘘になる。しかしクリスはそこには敢えて触れることなく、近くて遠い人物のこと口にした。
「あなたの夫が家に帰っていないのは知っているのか?」
「ええ、勿論ですわ」
 それがどうしたと言わんばかりの即答に、クリスは眉を顰める。だが、その咎めるような視線にも女の顔は変わらない。
「不在の理由は判っているのか?」
「さぁ?」
「あなたの夫だろう」
「興味ありませんわ。どこかの女の所にでもしけ込んでいるのではなくて?」
「彼のそういった噂は聞くが、仕事には真面目な人間だ。連絡もなしに何日も休むことはない」
「あら、そうでしたの」
「気にならないのか?」
 返答には見当がついている。そうした上での敢えての問いかけに、ステラは美しい顔をそのままに嘲笑を持って報いた。
「どこで野垂れ死んでようと、わたくしには関係ありませんわ」
 虚勢のひと欠片もない声音に、クリスの顔がさっと蒼褪める。
「仕事の上で問題なのでしたら、解雇なさいませ。そう進言しておいていただけますかしら」
「あなたの家での立場がどうであれ、家の収入源となる働き手はレスターだろう。なのに何故平然と解雇などと言える」
「そうなれば実家に戻るだけですわ。あんな男、いてもいなくても何も変わりありませんわ。」
「自分の生活に影響がないから、死んでも構わないというのか!?」
 けして大きくはない、しかし強く吐き捨てるような言葉に、周囲の空気がざわりと揺れる。通りがかる者達のいらぬ注目を集めていると自覚しながら、クリスは声を抑えることが出来なかった。
 主に女性関係の良からぬ噂は知っている。それが事実無根ではないことも。謎が多く行動も怪しく、裏のない人物とは言えないだろう。
 だがけして、人間性を疑われ蔑まされる男ではない。
「では何故、あなたはレスターと結婚したんだ!」
「単なる必要性、ですわね」
「なに……」
「それで、わたくしたちのことに、あなたに何か関係が?」
 クリスは口を引き結ぶ。レスターとは単に任務上行動を共にしているという関係しかないクリスには、確かに夫婦間の事に口を挟む権利などない。
 それでも、彼女に聞かねばならないことがある。


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