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 若干躊躇いながらクリスは、ステラの腕を掴んで強引に人気のない路地の方へと導いた。抵抗は弱いながら線の細い美女を暗がりへ連れ込む大男、端から見れば良からぬ構図であること間違いない。故に自分は奥へと進み、充分に声が表に通らないと判断したところでクリスは引いていた手を放した。
「随分と無理矢理なことを」
「本当に、レスターの行方を知らないのか」
 余計な話は無用とばかりに、クリスは語尾を奪う。
「このところ頻繁に父親と家を空けているようだな? 何をしている?」
「それこそ、あなたには関係ありませんわ」
「関係がないかはこちらで判断する」
 言い切り、クリスは目を眇めた。
「あなたは先ほど、レスターとの結婚を必要性と言い切った。それは、レスターが父親から受け継いだ商売が目的だったのか?」
「さぁ、どうですかしら?」
「父親と共に行動し、それでも何も知らないというのか?」
「……知りませんわね」
「自分のことだろう!」
「わたくしに、決定権があると思って?」
 不意に、ステラの目に強い光が宿る。
「わたくしが、自分の意志であの男のもとにいると思って!?」
 不似合いなほど低い声で叫び、ステラは耐えきれない何かを表現するように口元に笑みを刷いた。
「どうでもいいわ、あんな被害者面のくだらない男!」
「っ、待て」
「莫迦な男! ……死ねばいい、死ねばいいのだわ」
 次いで、哄笑が路地の壁に反響した。体を屈めた状態のまま額に手を当て、ステラは見開いた目を地面ではないどこかに彷徨わせる。
「わたくしのことなど知りもしないで、だから、罰が下ったのだわ!」
「待て、声が大きい!」
「死ねばいいのよ、あんな男!」
 叫び、髪を振り乱すステラの肩を掴み、クリスは周囲を見回した。幸い、表通りにはそれほど響いてはいなようだ。中にはちらちらと窺ってくる者もいるが、立ち止まることはなく、首を傾げる程度で足早に去っていく。
 そんな現状にひとまずの安堵を覚えながら、クリスはステラの様子を観察した。
 レスターへの呪詛を吐きながら首を左右に大きく振る彼女は、美しい容姿も相まって酷く痛々しい。何があったのかはクリスの知るところにはないが、よく見れば随分と憔悴した様子である。とても初対面のクリスに誘いを掛けた人物と同一であるとは思えなかった。
(はじめの、レスターのことなんて気にしてないって態度は嘘だろうけど)
 とはいえ、言葉のままに夫を酷く憎んでいるだけかといえば、そのようにも思えない。直接的な原因ではなく、そこへ追い込んだのが彼であるといったような、彼女にとって好ましくない出来事の一端がレスターに絡んでおり、そこに八つ当たりのような恨み辛みが噴出している、そんな様子だ。
 何も言えないままクリスは、取り乱すステラを押さえ、体力が尽きるのを待った。
 やがて振り払おうとする腕が下がり、罵声が荒い息へと代わる。それを認めて、クリスは掴んでいた腕をゆっくりと放した。
「落ち着いたか?」
 返事はない。
「随分と服や髪が乱れた。一度家に帰ってはどうだ?」
 ひとりで戻れないのであれば送る、そう思いながらの言葉であったが――
「家、ね、ふふ……」
 急に肩を震わせたステラが、呟きと共に低く嗤う。眉を顰めて見つめるクリスの前で、彼女は引き攣った笑みを浮かべながらゆっくりと顔を上げた。
「結構よ」
「え?」
「一度わたくしを拒絶したお前に同情される覚えはないわ。お優しい申し出は結構」
 それまで狂ったように喚いていたとは思えないほどの冷めた顔つきに、クリスは強く眉根を寄せた。随分と不安定なと思う一方で、自分の言葉が彼女の疵に抵触したことに気づき、少なからず狼狽える。
(家には帰りたくないってことか……?)
 判らないなりに謝ろうか、理由を問おうかと逡巡する。――その僅かな間に、ステラは一歩、ごく自然な動きでクリスへと詰め寄った。
 そうして、それが当たり前のように手を振り上げる。
「!」
 酷く油断を誘う行動に、しかしクリスの人と剣を交えることで培われた反射神経は、考えるよりも先に身を後ろへと引いていた。
 長く伸びた爪の先が顎を掠め、細い細い筋を短く刻む。それだけだ。殆ど空を切っただけのステラの手は、自身の体をよろめかせて反対側へと抜けた。
「……あの男と同じ反応。嫌な男ね」
 ぽつりと、吐かれた言葉は強い自嘲を含んでいた。
「あの男の行方なんて知らないし、知りたくもないわ。わたくしがどこで何をしてようとあの男を動かすことはない。この答えで満足かしら?」
 口元だけの冷たい笑みに、クリスは言葉を失った。冷淡な返答、ヒステリックな感情の変化にはステラなりの理由があるのだろう。強い拒絶と憎悪、それが現在の彼女の置かれている状況に絡みつき、強い苛立ちが彼女の自制力を狂わせていることは判る。
 おそらく本当に、彼女はレスターの行方も不在の理由も知らないに違いない。だが分析できるのはそこまでだ。もとより先入観から好意を抱けるわけもなく、詰問でもって追い詰めたクリスに、彼女が何かを語ることはないだろう。
「話が終わりなら、これで失礼させていただきますわ」
「ああ。……少々手荒な真似をして済まなかった」
「今更」
 呟き、目を眇めたままステラはクリスに背を向ける。そうしてそのまま路地を出て、彼女は人混みの中へと去っていった。
 気まずさと僅かな憤りを混ぜて後悔で割ったような後味の悪さにため息を吐き、クリスは後頭部を掻き毟る。我が儘且つ高慢な態度の下に、千々に乱れるほどの感情を煮えたぎらせているとは思わなかったのだ。初対面以降のステラの対応からして自業自得と言えばそれまでだが、さすがに考えざるを得ないものがある。
(ウィスラー家か……)
 ステラも、その犠牲者のひとりなのかもしれない。
 思えばひとつ、気付くことがある。
(レスターの家には監視が付いてた。でも今彼女と接触したけども何か起こる様子はない、ってことは)
 ステラ・エルウッドは警戒の対象にはない。それはつまり、組織側にとってレスター、或いはクリスを含むその仲間と接触する可能性が皆無であると認識されているということであり、その先を極論するならば、
(やはり、ウィスラーの周りは組織に与しているってことか……?)
 疑惑が、明確な証拠もないままに不審だけで積み上がっていく。思いこみは危険だと判りながらも、その方へ思考の道筋が出来てしまっている状態だ。
 これはやはり、ヴェラに第三者からの意見を聞かないと拙いかもしれない。
 そう結論を出しクリスは、ステラの残した思い空気を払うように表通りへと大股に歩を進めた。


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