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 周囲を警戒しながら歩き、昼を過ぎてしばらく経った頃に訪ねた法務省本館の入り口には、制服を隙なく着こなした数人の職員がたむろしていた。意味もなく施設の周りで立ち話をする姿は軍部では珍しくもない光景だが、規律に煩い人間の多い法務省前では珍しい。
 何かあったのかと思いながら中に入ったクリスは、扉を開けてすぐの所にいる事務員へと声を掛けた。
「ヴェラ・ヒルトンですか。約束などは?」
「特にありません」
 今は無理でも今後の約束だけでも取り付けられないかと食い下がれば、事務員は渋々といった様子で奥へと姿を消した。ものの数十秒もせぬうちに戻ってきたところを見ると、誰かに捜すように依頼したということだろう。訪問者への応対が仕事とは言え、面倒な部類に入ることは間違いない。
 そのまま待つようにとの素っ気ない返事に礼を言い、クリスは壁に凭れて通り過ぎる人々を観察して時間を潰すことにした。
(忙しそうなのは確かだけど……、慌てているというふうではないみたいだよね)
 単にやることが多くて、といった印象である。おそらくはハウエルの復帰による発破がかかったということだろう。或いは何か指示が出た結果なのかも知れない。
 そう、何気なしに観察し続けること数十分。近寄ってくる足音に気付き顔をそちらに向けたクリスは、若干慌てたような様子のヴェラを見て後頭部を掻いた。
「悪い。忙しいところだったか?」
「いえ」
 クリスの前に立ち、ヴェラは緩く頭振る。
「それより、急用とか? 何かあったのですか?」
「あったと言えばあったが、急用というほどではなかったんだが」
「? でしたら何故今ここに?」
「少し相談したいことがあったからだ。今忙しいようならいつ空くかを聞こうと思って」
 まずかったか、と問う視線に、ヴェラは深々とため息を吐いたようだった。そうして肩を落とし、頭痛を堪えるようにこめかみに指を当てる。
「あなたが突然訪ねてくるものですから、来てみれば……」
「……その、済まない。一応、暇だから来てみたというわけではないんだ」
「当たり前です」
 言い訳を封じるように言い切り、ヴェラは気を取り直すように髪をかき上げた。
「しかし、今やってくるあたり、あなたの事件遭遇体質も大したものと言えますね」
「確かに何かあったようだが?」
 聞いても良いかと問えば、ヴェラは僅かに逡巡した後に頷いた。そうして、促すようにクリスの腕を叩く。
「昼食はもう摂りましたか?」
「? いや、まだだが」
「では少し遅めですが、一緒に如何です?」
 ここでは話しにくいということだろう。相談事自体が若干込み入った話であるクリスには願ってもない申し出だ。一も二もなく了承し、ふたりはそのまま正門を後にした。
「どこか、適当な場所は知ってますか?」
 単純に食べるだけの店であれば幾らでもあるが、むろんそういう意味での問いかけではないだろう。それを踏まえて幾つかの店の名を挙げたが、主に距離の問題で利用することは叶わず、結局はヴェラの先導に付いていくこととなった。
 若干値段が張り且つ量が少ない店ということで男性客には不評だが、という前置きに苦笑しつつ、クリスは小声でヴェラに問う。
「それで、店に着くまでは話せないような内容なのか?」
「いえ。クリスも相談しにきたということですし、それも兼ねてのことです」
 以前のように法務省内の空き部屋を使わなかったのは、根を詰めて話し合う内容かどうかが定かではなかったためだろう。
「おそらくは軍部へ行ったとしても、誰かに聞くことになっただろうとは思います」
「というと、軍部と協力して何かやったということか?」
「どういう点で協力を仰いだかは私には判りませんが、――マイラ・シェリーが見つかったということです」
「え」
「詳しくは私には。ただ、法務長官の指揮下でチームが組まれ、結果として見つかったとのことです」
「今まで見つからなかった人をすぐに探し出すなんて、凄いことだが」
「捜したわけではないようです。本人が出てこざるを得ない状況にしたとか。それなりに裕福な家庭の女性ですから、長い間逃亡しているなら誰かの援助があるはずだと指摘され、そこから方針が定まったと噂に聞いています」
 なるほど、とクリスは顎を撫でた。隠れている者を捜すことは骨が折れる。本人に助けを求めさせるような状況を擬似的に作り出せるのであれば、確かにその方が手っ取り早い。
(と言っても軍部と協力してとなるとそれなりに大規模なことになるだろうし、それが一声で出来るほど行動力も権力も従わせる力も持ってる人がいなかっただけだろうけど)
 誰も今まで考えつかなかった方法というよりも、役所仕事にありがちな面倒事のたらい回しを一気に解決するほどの決定権を有する人物がいなかったと言った方が正しいだろう。
「それで、本人からの事情聴取は済んでいるのか?」
「まだでしょうね。ここ何日かろくに食べてないみたいで結構衰弱しているということですから、まずは治療が先になると思います」
「ここ数日?」
「ええ。行方不明になってからかなり経ちますが、その頃からずっと栄養状態が悪かったというわけではないようですね」
「つまり、それまであった援助が突然切れたということか?」
「或いは誰かに囚われていて逃げ出したとも考えられますが、その場合、衰弱したままこちらが作戦を実行するまで助けも呼ばずというのはおかしな話ですから、その可能性の方が高いでしょう」
 言いながらヴェラも、クリスと同じ可能性に思い至っているのだろう。
 法務長官の指揮の下行われた作戦で燻り出されて保護されたということは、作戦が行われなければマイラは「出てこられる状況だったのに自主的に出てこなかった」、つまり自ら隠れていたということになる。つまり彼女に住まうところと食料を提供していたのは所謂「誘拐犯」ではなく単なる「協力者」。数日前からその協力者の援助が切れたということは、逆に言えば協力者が援助しなくなった、または出来なくなったということを示す。
 そしてクリスたちは奇しくも、数日前から姿を消している人物を知っている。
(レスターが? まさか、どうして……)
 決めつけるのは時期尚早というものだろう。だが可能性としては考えておかなければならない。
(駄目だ、ますます訳がわからなくなる)
 相談しようとしていた内容に、更に上乗せするような厄介な情報である。結論を急ぐつもりはないが、既知の情報と結びつけて考える傾向を戒めるように、クリスは小さく頭振った。


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