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「……とりあえず、見つかったのなら事態は進展するだろう」
「ええ。続報に注意してみます」
 ヴェラも同意し、話を区切る。
 そうこうしている内に、目的の店も見え始めたらしい。一見では何の建物か判らない素っ気ない外観に何の変哲もない扉、それらを指さし、ヴェラは入るようにとクリスを促した。
 チリン、と小さな音が来訪者を告げる。
「――らっしゃい」
「奥の席を。適当にふたりぶんで」
 顔なじみなのだろう。これまた印象の薄いマスターがヴェラを認め、許可と了解を兼ねたように奥に向けて顎をしゃくった。ひとりで経営しているのか、連れのない客がカウンターで本を読んでいるのを除き、他に人影はない。昼の盛況を過ぎて久しい時間ということもあり、ゆったりとした雰囲気が漂っている。
 店の奥に向かったヴェラは、勝手知ったる様子で端にあるひとつの席を選んで腰を下ろした。倣い、クリスもその前の椅子を引く。
「隠れ家みたいな店だな」
「ノークス捜査官に教えて貰った店です。彼女たちもよくここを使ってました。マスターは元捜査官で、怪我で仕事が続けられなくなった後、事務官への転向を辞退して店を作ったということです」
「なるほど」
「さて、食事はすぐに来ますが……。相談したいこととはなんでしょう?」
 昼の休憩を利用しているということもあり、そう悠長にしてもいられないのだろう。ヴェラの真正面からの問いに、少し考えてからクリスは言葉を選んで内容を説明した。
 ヴィクター・リドリーの生存の可能性、エルウッド家の現状、財務長官に対する不審、王宮とウィスラー家への疑惑など。推測を含め、ダーラ・リーヴィスに関すること以外を洗いざらい喋ったと言った方がいいだろう。
 充分にまとめたつもりであったが、その間に食事は運ばれ、終わる頃にはヴェラもクリスも食後の紅茶を残すのみとなっていた。
「やはりあなた、軍人よりも捜査官の方が合ってますね」
 苦笑し、ヴェラはクリスティンであれば顔を綻ばせたであろう感想を口にした。
「所属組織のしがらみに囚われずにいてくれることに期待していましたが、同じ勢いでかき回されている気もします」
「……悪い」
「ですが、そうですね。私の考えもほぼあなたと同じです」
 思慮深げにヴェラは目を伏せた。
「ヴィクター・リドリーが生きているという説は、私も充分にあり得ると思いますが、決定的な証拠はありませんので保留としておいた方がいいと思います」
「ああ」
「ウィスラーの方は極めて黒に近いと私も思います」
 ただ、とヴェラは続ける。
「やはり些か、決定に欠ける情報しかありません。王宮のために動いていると何度も言われればそうかもしれないと思える程度です」
「立場や状況を考えれば疑わない方が難しいとも思うが?」
「こうも考えられます。あくまでウィスラーは王宮の益のために動いているに過ぎないけれど、動かしている人物が組織に与している、それをウィスラー本人は気付いていない、といったような」
「そんなことはあり得るのか? 推測の範囲だが、組織の人間を王宮へ入れたり出したり出来る立場にあるんだぞ?」
「例えばエルウッドが組織側の人間だったとして、彼に様々な情報を与え行動を共にしていたあなたは、組織側の人間ですか?」
「……なるほど」
 苦笑し、クリスは頷いた。あまりいい例えとは言いたくないが、納得せざるを得ない。
「ですから、何らかの形で関わっているだろう事は否定せず、ウィスラー家の立場は考えない方向でどうでしょうか。自ら動くにしろ利用されているにせよ、なんらか妨害をしてくる立場であるというのは同じですから」
「そうだな。……少なくとも命令を下す立場ではなさそうだしな」
「ええ」
 頷き、ヴェラは紅茶をすする。
「ステラ・エルウッドの不審な行動はやはり父親と関係しているのでしょうが、少しこちらは情報がなさすぎますね。エルウッドという駒が居なくなったためにウィスラーが動かざるを得なくなったのか、またはエルウッドの後釜を捜しに娘を方々へ遣っているのか……」
「後釜? つまり女婿をいいように使うために再婚先を捜しているということか?」
「可能性の問題ですが」
 それは思いつかなかった、とクリスは独りごちる。確かにステラの発言には、それを匂わせるものもあった。
「あとは財務長官のことですが」
 さすがに躊躇いが生じたのか、一瞬、ヴェラは迷うように目を泳がせる。
「――長官宅周辺を『ルーク・セスロイド』或いはリドリーがうろうろとしていたというのは、引っかかりますね」
「とは言え、それらしき人物という域を超えはしないが」
「どちらにせよ、そのあたりを根城にしている者が怪しむ人物がいたということは確かでしょう?」
「それはそうだが……。ヴェラは、財務長官がそんな、とは思わないのか? いや、俺が言う前から疑いは持っていたようだが」
「疑いというよりは、納得できない部分が消化できていない以上、盲信はできなないということです」
「やはり、あの密談のことが?」
「ええ。実際に重症を負った法務長官はまだしも。あの時点で”物証”が手元へ届いていたというのなら、それを奪いに来ただけという図式が成り立ちますが、結局は行方不明……。正直なところ、法務長官はああ仰いましたが、やはり”物証”が何でどうなったのかはかなり重要な位置にありますね」
「内容はさておき、敵もそこを無視できないという意味では、な」
「クリスは……」
 カップをソーサーに戻し、ヴェラはクリスを真正面から見据えた。
「事故の時のことは、本当に覚えてないのでしょうか」
「思い出せない、というのが正確な答えだな」
 頬を歪め、クリスは肩を竦める。
「何か見ていた可能性はあるが、それがどうにも思い出せない。事故の後しばらくは何かが過ぎることがあったが、最近はさっぱりと言ったところだ」
「そうですか。いえ、詮無いことをすみません」
「いや、俺も思い出せたらとは思う」
 その欠片を最後に見たのは、毒を喰らった夜のことだ。ひと月ほど前のことになる。それ以来、積極的に記憶を探ろうとしていないということもあるが、そういった何かが起こる兆候も絶えてしまっていた。
(そうなんだよね。あれが始まりなんだよね……)
 予想外のアクシデント。過去から現在に至るまでの因果の流れ、その思わぬ分岐点という気がしてならない。本来ここまで関わるような立場ではなかったレイ兄妹という異分子が、水面下で収束するはずだった未来を変えたような錯覚さえ覚える。


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