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(事故が、事故直後のことが判らなくなるような形じゃなかったら? 捜査官が”物証”を守りきるか、あの場に居たはずの『ルーク・セスロイド』……リドリーが奪っていったなら、もっと話は簡単だったはず)
 暴走した馬が上手く止められていたのなら、或いは現在、捜査官から”物証”を奪い持ち去ったとされる謎の人物の付け入る隙はなかったはずだ。
(捜査官もリドリーも予測しえなかった第三者か。本当に)
 誰なんだ。
 考え、そしてクリスは口元へ手を当てた。
「どうしました?」
 突然の行動に不思議そうに問うヴェラ。その声に我に返ったクリスは、慌てて首を横に振った。
「なんでもない」
 言いながら、思い出すのは、『鍵』を見つけた夜のことだ。アランにより『鍵』を奪われたとき、実際にはもうひとり居たのではないかと今更ながらに気付く。
(アランに先を越されたからか……?)
 それがレスターだったとして、『鍵』を欲する理由はむろん他にもあるだろう。幾つかの可能性とそれぞれの整合性、或いは矛盾が頭の中を走り回る。
「ヴェラ」
「はい?」
「レスターは一体、どういう立場にあると思う?」
 ダグラスも悩んでいたところだ。それに対する結論は、出ていない。ヴェラもまた同様か、些か複雑な表情でクリスを見返した。
「単純な、いえ、純粋な味方ではないでしょうね」
「ああ」
「ただ彼には彼の目的があるように思えます。例えば私やラザフォートは純粋に仕事として、ユーイングは敬愛する財務長官のためにといったように、彼にも基準があるはずなのですが、もしかするとそれがひどく個人的なものなのかもしれません」
「例えば、ウィスラーに某か弱みを握られて動いているといったような、か?」
「それも可能性としてはあるかもしれませんね。ですが、彼の真実を突く情報の欠片はそこかしこに散らばっているにもかかわらず、それを形にするための要のキーが欠けている、そんな印象です。真実を繋ぐ糸がないような……すみません。私も掴み切れていないのが現状です。おそらく、ハウエル様は全て判っておいでなのでしょうが」
「ハウエル法務長官か。本当に何をお考えなのやら」
 控えめに同意するように、ヴェラは小さく顎を引いたようだった。表立って批判はしないが、彼女ももどかしい思いを抱えているのだろう。全てをひとりで片付けるような英雄を欲しているわけではない。だが知っているのに動かない姿勢は、知りたいのに判らない者にとっては傲慢とすら映る。
 ため息を吐き、クリスは最後の紅茶をすすった。
「さて、そろそろ時間は大丈夫なのか?」
「回ってきた仕事を今日中に仕上げれば大丈夫です。……そうですね、クリスはこれから?」
「知り合いに少し情報収集を頼んでいる。夕方までに会う予定だ」
「では、私も行きます」
「俺は構わないが、仕事は?」
「さきほども言いましたが後からでも問題ありません。何の情報も得られなかった場合はすぐに戻ります」
「だがそれは、手間になるだろう?」
「いえ。第三者に情報を求めた場合、全くないか、確定できない怪しい情報が複数出るかのどちらかが多いのです。クリスの手に余るような状態になったとき、それを補助するか誰か人を手配するか、某か自由に動ける者が居た方がいいのではありませんか?」
 そうまで言われれば、クリスに拒絶する理由はない。改めて助力を頼めばヴェラは僅かに微笑んだ。
 そのまま席を立ち、店を出て広場の方へと向かう。さすがに直行しては時間的に早すぎるため、ヴェラの勧めで何人かの情報屋――実質的には非正規雇用の法務省関係者と言うべきか――に当たったが、これは全て不発に終わった。
 フェーリークスの名を騙った小悪党がケチな仕事をしているようだが、そもそも警戒レベルの上がっている状況では、捕まえてくれと言っているようなものだ。王都では収容所の爆破事件以降、住民の不安を誘うような目立った騒ぎは起きていない。
 では平穏かと言われれば、根本的な収束宣言が出ていないこともあり、どこか落ち着かない雰囲気にある。ハウエル復帰の報に沸いて以降期待は高まっているようだが、それも長引けば失望に変わるだろう。
(案外、敵はそれを狙ってるのかもしれないけど)
 この国に再び手を伸ばそうとするならば、政府の力は弱いに越したことはない。
「こう言ってはなんですが……」
 最後の情報屋を回った後、ヴェラが物憂げに言う。
「”物証”自体が組織の罠だったのかもしれないと思うことがあります」
「国を混乱させるための、か?」
「それもありますが、クリス。この時点で”物証”が出てきた場合、そしてそれが大した内容ではなかった場合、どう思いますか?」
「それは……これだけ期待をかけておいて、結局何の進展もないのかと思うかも知れないな。ああ、そうか、これまでの騒動に見合うだけの何かがないと、納得はしてもらえないということか」
「ええ。ですから”物証”が何であれ、これだけ事が長引いた今、組織にとっては絶対的なマイナスにはならないでしょう。この状況を覆すことができるのは……」
「国民が驚くほどの進展と方向転換、か」
 随分とハードルが高い。ヴィクター・リドリーが影の首魁だったとして、それを公表したところで世間は戸惑うばかりだろう。五年前に取り逃がしたという事実だけが注目される可能性すらある。
(国民の国への誇りを沸き立たせるような、組織への抵抗力を強めるような……。そんな結末はさすがに難しいだろうな)
 思い、クリスは内心で苦笑した。なにひとつ解決しないうちから何を、と己の心を現実へ戻す。
「とりあえず、広場へ行くがいいか?」
 もともと雲に覆われていた空は夜に押され、辺りを暗い灰色の世界へと変えつつあった。時折ぽつりと雨粒を落としては泣きやみ、また思い出したように地面を濡らすといったはっきりしない状態が続いている。
 夕方と言うにはまだ幾分早いと言わざるを得ないが、悪天候の場合はどの店も畳むのが早い。ガストンも早々に引き上げている可能性を思い、クリスとヴェラは足早に広場へと向かった。
 案の定と言うべきか。
「やぁ、丁度良いタイミングですな」
 朝は人と荷に埋め尽くされていた広場も今は閑散としており、帰り支度をする者が疎らに残っている程度となっていた。その中で明らかに用もなく待っていたという態のガストンが、クリスに向けて大きく手を振っている。
 けして遅くはないとは言え、クリスの持ちかけた用事の為に手間を取らせてしまっていることには変わりない。これが前回のように法務省を通しての依頼であればまだしも、個人的な無理を利いたところでさしたる益はないのだ。
 慌てて走り寄り、クリスは待たせた旨を詫びた。
「いやいや、本当に待ってませんので」
「そうだとしても、俺が用を頼まなければとうに宿で休めていたでしょう? 申し訳ありません」


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