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 頷いて従い、剣を入り口の外すぐの所に置いたクリスは、改めて家の主へと向き直った。そこに不審なものは見あたらなかったのだろう。迷うように顔をしかめながら、髭を蓄えた初老の男はクリスを手招いた。
「とりあえず、服を乾かしなさい。何か飲むかね?」
「いえ、少し暖を取らせてもらうだけで問題はない。それよりも、話はいいだろうか?」
 さすがにその性急さには眉を顰めたようだが、口にしては何も言わず、初老の男は目でクリスを促した。
「数日前に怪我人が運ばれ、その後すぐにいなくなったという話を聞いたのだが、それはここで間違いないだろうか?」
「ああ、そんなこともあった。……あんたはその人の知り合いか何かかね?」
「その可能性があるというだけですが」
 一度言葉を止め、頭の中でまとめてから再び口を開く。
「捜しているのは20台半ばで、背が俺くらいの、赤毛に黄土色の目を持つ男だ」
「……ふむ」
「最後に別れたときは怪我などしていなかった。先月の25日のことだ。それ以来、連絡が取れなくなっている。服装は判らない」
「顔に何か特徴は?」
 クリスの挙げた特徴は、実のところそう珍しいものではない。聞かれるのも尤もだと思いつつ、少し考え、クリスは小さく苦笑した。
「腹の立つほど整った顔をしている」
「なるほど」
 釣られたように笑い、男は納得したように頷いた。クリスを単なる厄介な客ではなく相応の必要性があってのことと認めたのだろう。警戒するような色が薄れ、話を聞く姿勢へと変わっている。特に最後の返答に、知己ならではの感情が籠もっていたせいかもしれない。
 男は一度咳払いをし、クリスを暖炉の前へと誘導した。椅子を勧めないあたり、クリスの都合を優先してくれていると判る。男自身やや距離を持って立ったままというのは、さすがにそこまで気を許してはいないことの表れか。
 そうして乾いた清潔なタオルを差し出した男は、その姿勢のままでぽつりと『怪我人』の事を話し始めた。
「あれは二日前、11月の最初の日だったかな。日が暮れてかなり経った頃にお前さんと同じように訪ねてきた男がいた。お前さんの言う外見そのままの男だった」
 そのままという言葉に、クリスの眉が跳ねる。「それらしき」や「似たような」という言葉なら想定内であったが、ここまで言い切られるとは思ってもいなかったのだ。
「合致するというのか?」
「若い男で背が高くて赤毛で顔が良いという条件なら」
「かなり鍛えていると判る体格というのも?」
「合うな」
 即答に、クリスは無言で天を仰いだ。断定は出来ないが、極めてそれに近い。だが、当たりだ、と思うには一日遅かったと言うべきだろう。
(こうも早く足取りが掴めたところは、確かに運が良いんだろうけど)
 どうにも毎回、あと一歩のところで遅れているという気がしてならない。
 そう内心で嘆いたところで男の不審な目に気付き、クリスは慌てて頭振った。そうして、気を取り直して質問を口にする。
「その男はひとりでここに?」
「ああ。怪我をしているので応急処置でいいからしてくれと言って、こいつを差し出してきた」
 言い、男はオパールのあしらわれた留め具をクリスの前に示した。透明感があり美しくカットされたそれは確かに、小さな施療所の治療代としては破格に過ぎる代物である。
 見たことはないかと問う男に対し首を横に振れば、彼はそれをテーブルの上に戻して再びクリスに向き直った。
「怪我は数カ所。特に左脇を鋭い刃物で斬られた傷は深かったな。額の傷と右肩、右腕の傷は既に塞がりかけていたが、斬られた当初は出血もそれなりにあっただろう。これは別の場所で治療したのかも知れん。歩くのに不自由している様子はなかったので足は見ていない」
「全部、刃物の傷で?」
「そうだ。擦過傷や打撲痕もあったが、大したことはなかったな。だが一番の問題はろくな治療をしていないことかも知れん」
 男は一瞬、顔を歪めた。
「幸い傷は化膿していなかったが、奴の状態が極めて悪かった。顔色も悪かったし明らかに疲れた様子だったぞ。傷口を清潔に保つこともできていなかったから、あれでは病気になるのも時間問題だろうな」
「それで、ここで休ませたのか?」
「もちろんだ。すぐに出ていこうとするから、湯で体を拭わせて服を替えさせて、ベッドに放り込んでやった。……すぐに寝入ったようだったから、俺も寝たんだがな」
「それが、朝起きたときにはいなかった、と?」
「ああ、その通りだ。まったく、医者の言うことも聞かんと……」
 治療を受けに来た者は全て放っておけない性格なのか、或いはレスターと思しき怪我人の様子がそれほどまでに酷かったのか。いずれにしても、あまり良い情報でないことは確かである。
 何故怪我を、という思いはあるが、とりあえずは足取りを追う方が先と判断し、クリスは男に肝心な事を問うた。
「その怪我人だが、これからどうするといったようなことは喋っていなかったか?」
「何も、と言いたいところだが、法務長官の復帰の事を話たら酷く驚いていたな。それから何か考え込むようにしていたから、もしかしたら王都へ行ったのかも知れん」
 二日前の夜と言えば、夕方にハウエル復帰の報が駆けめぐったその後のことだ。先に通達の行っていた役所を通してすぐに国中に広まった報せではあるが、仮に逃げ回っていたのだとすれば、知らなかったことも充分に頷ける。
 男の慎重な意見に、クリスは腕を組んだ。その怪我人がどこからどこへ向かっていたのか、そもそも何故こんなところにいるのかも判らないが、レスターだと仮定してこのまま王都へ戻ることには問題はない。
(問題は、どこにいるのか……)
 レスターが「逃げた」のか「戻れない状態」だったのかは判らないが、現実に怪我を負っているとなれば明確な敵が存在すると言うことだ。その状態で彼が頼りそうなありきたりな場所には戻らないだろう。
 家、軍部は勿論、裏で関係していると思われる王宮やウィスラーの周辺は除外して考えるべきか。だがそうなると、クリスには彼の行きそうな場所など全く想像も付かない。
(それに、ここから消えて二日経ってしまってる)
 手がかりを掴んだはいいが、その後が見えない状況だ。そもそもの行動範囲が王都周辺であったクリスには、捜す範囲が絞れたという実感すら湧いてこなかった。
 難しい顔で考え込んだクリスに、男が気遣うような声を掛ける。
「何があったのかは知らんが、どうする、今日は町に宿でも取るのか?」
 至極現実的な話に、クリスははっと顔を上げた。
(そうだ、戻るなら早くしないと――)
 そのつもりで立ち話をしていたにも関わらず、すっかり忘れていた自分を恥じてクリスは顔を紅潮させた。思わぬほどの長話とは言え、むろん、服が乾くほどの時間が経過したわけでもないが、窓の外は殆ど物陰を映し出さなくなっている。
「いや、王都へ戻る。――その、いろいろと申し訳ない」
 慌ててタオルを返し情報提供に対する礼を述べれば、男は苦笑したようだった。医者としてはわざわざ濡れに行くような行動を止めるべきなのだがと呟きつつ、表の扉を開けてクリスを見遣る。


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