[]  [目次]  [



「あの男が捜してる知り合いだったなら、宝石は返すから金を持ってこいと伝えてくれ」
「ああ、――そうさせてもらう。本当に突然すまなかった」
 入り口の外で剣を拾い、振り返りつつクリスは男に別れを告げた。
 そうして、再び馬に乗り、点在する民家の灯りを頼りに暗い道を戻ること一時間と少し。一旦家に戻るべきか、先にまだ仕事をしているであろうヴェラを訪ねるべきかと考えていたクリスであるが、それを選択し終える前、正確に言えば王都へ入る前に別の異変に遭遇することとなった。
 とうに閉められている大門、そこから少し離れた場所にある夜間通用門へと向かった彼が、その音を拾ったのは偶然ではないだろう。彼以外に他に通る者があれば同様に気付いたに違いない。
 だがこの日この時間、弱くなったとは言え奇特にも雨の中、そこを出入りする者は如何にも稀だった。王都を巡回する兵も、門の外にまでは足を伸ばさない。通常であれば門の上を哨戒する兵も、悪天候時は中の窓からの監視に専念することになっている。そのぶん、油や薪を大量に使い城壁の周辺はかなりの灯りが確保されることになるため、視野の悪さはある程度はカバーできているだろう。
 決定的に異なるのはやはり、音だ。建物を叩く雨の響きが耳を使っての警戒の精度を激しく落とす。
 晴れていれば、外にいればという条件をかいくぐり、今日、雨の夜、王都を囲む壁の近くで刃と刃がが火花を散らしていた。
 気づき、クリスは黒い予感と共に音の方へと馬首を返す。
(レスター!?)
 街道を逸れた木々の中、足下に泥水を飛ばしながら数人が得物を交えている。時々雲の上に薄ぼんやりと見える丸い光と城壁からの灯りが僅かに体の輪郭を映し出す程度で、顔は勿論、姿形もはっきりとしない。判るのはひとりを相手に三人が攻めているということだけだった。
 跳ね飛ばしても構わないという気持ちで、クリスは四人の塊の中央へと一気に馬を飛ばす。
「おい……!」
「うわっ!」
 寸前で気付いた面々が飛び退いたのを見届け、クリスは速度を緩めた馬の背から飛び降りた。城門を叩き応援を警備の者を呼ぶ、またはこのまま逃げ去るといった選択肢は、レスターのことを考えれば除外せざるを得ない。その上で、馬上から攻められているひとりを掬い上げるといった芸当など出来るわけもなく、更に言うならば騎乗したまま剣で徒歩の者に対峙するほどの技量もない彼には、そうするより他なかったと言えるだろう。
 馬の尻を叩き逃げるように促した後、クリスは己にそれぞれの得物を向ける三人に向けて声を張り上げた。
「お前たち、ここで何をしている!?」
 科白の内容はありきたりのものだが、この際そこにあまり意味はない。窺うのは相手の出方だ。一対多の場合の一の方に非がないとは限らない。また、襲われているのがレスターであれば某かの反応があるだろうと期待してのことだ。
「事と次第によっては、警備隊へ突き出す事も辞さん」
 そうわざと、場合によっては失笑を買うような科白を告げれば、内ふたりが得物をクリスの方へと向けた。
「どうする?」
「消せば済む話だ」
 短い会話に緊張を覚えながらも、クリスは口元に冷笑を刷いた。複数人が人目を憚りながら警備兵に応援も呼ばず、しごく真っ当な理由で犯罪者を追い詰めているだけという特異な稀少例には当たらなかったようだ。
 同時に、追い詰められていたひとりの反応から、彼がレスターでないこと悟り、若干の落胆を覚える。
(だからって、じゃあさよならってわけにはいかないけどね)
 目撃者は消す、そう結論付けたのだろう。得物を向けてきたふたりは、じりじりとクリスを追い詰めるように歩を進めている。生えている木は疎らとは言え、この暗闇の中で正面切って逃げるのは至難の業だろう。
 隙を作らねば、とクリスは剣を構えた方とは逆の腕で、さりげなく低木の枝を根元から折り取った。
 そうして、無言のままに相手がそれぞれの得物と構えた瞬間、
「逃げろ!」
 枯れかけの葉に泥水をたっぷりと含んだ枝を一文字に横に振り、クリスは肚の底から大声を上げた。
「――っ!」
「うわっ!」
 視界の悪い暗闇の中だからこそ成功した奇襲と言えるだろう。目の前のふたりが腕で顔を庇うや、クリスは振り切った枝を棄て、その方とは逆の方向に駆け出した。同時にキン、と鋭く何かを弾く音が響き、くぐもった悲鳴が雨の隙間から耳に入り込む。
 一拍遅れてクリスと同じように泥水を跳ね飛ばす足音。
「街道に出ろ!」
 視界の隅で相手が頷いたのを認めて、クリスはそのまま真っ直ぐに、木々が割れる方向へと走りきった。戦うにしても人数に劣るならば場所を選ばなければならない。そう考えた上でのことだが、思いの外効果は大きかったようだ。
 無事に整備された道へ出た後、これならばと土地勘を活かして次の対応を練ったクリスは、同じく逃げ切ったひとりへ小さく声を掛けた。
「お前は向こうへ逃げろ」
 示したのは城壁沿いに右、大門の方へ向かう道だ。敢えて大声を上げて助けを呼ばなかったことを思えば、彼にも隠れて動く理由があるのだろう。だが逃げるにしても、如何にも息の荒い現状では苦しいものがある。そういった意味で、警備の者が常駐する城壁の近くの道を行くことは追う側への無言のプレッシャーとなるだろうと見越しての指示だ。
 その意図を正確に把握したわけではないだろう。だが他に手もないのか、男――街道へ出て見ればまだ若い青年だと判った――はクリスの指示に素直に頷いた。
 そうして手にしていた武器を前に掲げ、別れる寸前、すれ違いざまに早口でクリスに告げる。
「ご助力感謝します。すぐに迎えに」
 耳がその言葉を受け取ったときには、青年はクリスの指示した方向へと離れていった後だった。振り向く間もなく、木々の方から聞こえる悪態を背にクリスも目的の方向へと走り出す。
「奴ら、別れやがったぞ!」
「てめぇらは向こうへ行け!」
 雨が音をくぐもった鈍いものへと返る。だが足音と内容から察するに、クリスの方へはひとりが追いかけることにしたようだ。比較的近くにいるとは言え所詮は単なる目撃者、それよりも遠くの本命を優先したのだろう。
(しかし、あの得物は、……)
 走りながらクリスは、別れしなに青年が掲げた武器を思い出していた。武器に関して別段造詣が深いわけではない。だが父の商館が扱う品の中には装飾という使い道での防具武器の類も存在した。故にある程度各国に存在する特徴的な武器は覚えている。
(あれは、ベルフェルの)
 イエーツ国は基本的に人と物の流通があって成り立つ国だ。ライノのような長期労働者を含め、王都には様々な国の者が住んでいる。それを思えば、王都の付近でベルフェルの者を見かけることは別段おかしなことではないだろう。
 だがいくらベルフェルが軍事大国で名だたる名将を抱えているとは言え、さすがに外国特有の武器を好んで使う定住者は少ない。イエーツにいるからにはやはりイエーツならではの武器の方が入手が易く、教えを受けるにも都合が良いのだ。


[]  [目次]  [