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 そしてよくよく眺めようと、滑りやすい石畳の上を慎重に歩き、――
「う……」
「!?」
 突然、大きな木の脇から聞こえた呻きに、クリスは体を強ばらせた。
(敵!?)
 すぐさま剣を抜き身のままだった剣を構えたクリスだが、相手を確かめようと目を凝らした直後、今度は驚愕に目を見開くこととなった。
「……レスター!?」
 思う以上に嗄れた声が、低く雨粒と共に落ちる。漂う光が視線の先に戻ってくるのを待って目を凝らし、得た真実に息を呑む。
 淡い光に照らされたその顔は、今まで見たこともないほどに歪んだ、しかしよく見知った男のものだった。
「レスター、おい、レスター!」
 血糊の付いたままの剣を鞘に戻し、駆け寄り、クリスは倒れていた男の体の横に膝をつく。
「しっかりしろ、なぁ、レスター、判るか!?」
「……」
「おい!」
 呼びかけながら、体の状態を見る。雨に打たれて濡れそぼり、服は泥のために変色しているようだが、とりあえず見てすぐに判るほどの骨折は見られない。村で受けた治療によるものか、ほどけかけた包帯に血が滲んだ跡はあるが、今現在激しく出血しているというところもなさそうだった。
 だが、体が熱い。むき出しの手は長時間濡れたためか冷え切っているにも関わらず、体幹はそれと判るほどに熱を持っている。脈はひどく速い。
「……クリス?」
「! 気付いたか!?」
 慌ててクリスはレスターの顔を覗き込んだ。だが、薄く明けられた瞼は、明らかにクリスを捉えていない。抱え直し、真正面を向けても視線が合うことはなかった。
「無事、か……?」
「ああ、俺は何ともない。大丈夫だ」
「……」
「レスター!?」
 どこまで耳に入ったか。レスターは苦痛に歪んだ表情そのままに、再び意識を失ったようだった。
「しっかりしろ、レス――」
「何をしている!」
 焦ったような声と共に、ふたりと淡く照らしていた光が消え失せた。直後、より強い光が辺りを照らす。
「――トロイ!?」
「早くそいつを目覚めさせろ! お前のような奴が寄ってくる!」
「え」
「さっきの光はお前と同じものだ! 原初の海に還る方法が判らずに彷徨ってたエネルギーの抜けた魂だ」
 ぎよっとして、クリスは体を震わせた。
「弱ったそいつに引きずられてたんだ。さっきのは俺がもう導いたが、墓場にはそういう奴が集まりやすい」
「レスターの体を乗っ取ろうと?」
「自らの肉体から離れて数秒、自我など残ってない。乗っ取ったとしてもそいつが目覚め次第弾き飛ばされるだろうが、障害が残る可能性がある。だから早くそいつを何とかしろ!」
 弾かれたようにクリスは、再びレスターの顔を見遣る。そうして大声で呼びかけたが、明確な返答が返ってくることはなかった。
 強く眉間に皺を寄せた蒼い顔。息も荒く、為されるがままに地面に体を預けている。時々うわごとのように聞き取れない何かを呟いているが、こちらの声などは届きそうにもない。
「くそっ!」
 悪態を吐き、トロイが弾けるように姿を消す。
「お前は墓場からそいつを出せ!」
「莫迦言え、俺ひとりじゃ無理だ」
「なら俺がそいつを運べそうな奴らを連れてくるから、お前はさっきみたいな光が近付いたら勁い意志で威嚇してろ。普通の奴には無理だが、あれが見えるならそっちに向けて来るなと強く思えばいい」
「わかった。だけど、お前はどうやって」
「その気になれば幾らでも方法はある。一番近くまで来てる奴ならそう手間は掛からない。それで構わないな?」
「私がさっき殺した男の仲間の方でなければ」
「お前がさっき助けた方だ」
 クリスは短く息を吐いた。それにしたところで、明確な敵ではないだけの第三勢力だ。
(でも、このままじゃ)
 強くなってきた雨が体温を奪っていく。体力の残っているクリスですら健康を危ぶむような状況だ。レスターのそれは、もっと悪い。基本的に頑丈とは言え、ここらが無事に治るかどうかの境目といったところだろう。
(しっかりしろ、クリスティン! どういう状況になっても、生きてるならまだ打つ手はあるはずじゃないか!)
 ベルフェルの武器を持った青年の思惑は判らないが、たとえ不利な交渉になってしまったとしても、ここは敵陣まっただ中というわけではない。一手一手慎重にくぐり抜ければ助けを呼ぶ手段もあるだろう。
 いつ何時敵がやってくるか判らない状況でレスターを放置することが出来ない以上、それが希望的観測でしかないと理解しつつも他に手はなかったと言える。
「わかった。頼む」
 返事の代わりにトロイは一瞬でその姿を消し、再び周辺は闇に包まれた。導き人という光源に慣れてしまった目は、それまで以上に何も映さない。
 クリスは力のないレスターの手を無意識に握りしめた。むろん、応えはない。
 それまでの経緯もレスターに対する疑惑も頭の中から放り出したまま、クリスはただ、ほのかに光る入り口のランタンの灯りを見つめ続けた。


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