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「打撃というか、ほぼ壊滅だな」
「……その時の恨みをもって現在に至るならば、現在のような状況には陥っていないでしょう。反対に、例えばレスターがベルフェルの間諜であったり、某か閣下と交誼があったのだとすれば、この状況で無理に接触する必要はありません。つまり、閣下は本当に四年前のことでレスターに用があったことは確かだと推察しました。そしてそれは、四年前の戦争と、更に人身売買組織の両方が絡んでくることなのでしょう」
「ふむ……」
 顎に手を当て、ギルデンはクリスを凝視した。
「ならばお前は、用の内容が判るか?」
 試すような声音に、クリスは肚に力を込めた。判らないと言った瞬間に話す価値なしと見切られそうな予感に、ハウエルと対面したときのような胃の痛い緊張を覚えながら、必死で脳を活動させる。
 おそらくはベルフェルの内情に踏み込んだような内容ではないのだろう。四年前の戦争、レスターの奇襲、それによる前線の崩壊、そこに人身売買組織を絡めるとするならば、とクリスは何度も頭の中で問答を繰り返した。
 そうして少し躊躇いを残しつつ、慎重に答えを返す。
「四年前と言えば、国内の人身売買組織の壊滅からそう時間が経っていません。現政権が外国にしてやられた方が、組織にとっては都合が良かったはずです。ですが実際にはレスターが関わった奇襲のために戦況は覆り、そのまま停戦となりました。ですから、こう考えます。レスターは組織から予め得た情報でもって、本来ならベルフェルの有利に働くはずの立場だったにも関わらず、裏切ったのだと」
「大胆な考えだが……?」
「はい。ですから閣下もあの奇襲の裏には組織による情報の流出があり、それにレスターが関わっていたのではないかと疑われ、それを問い質しに接触を試みていたのではないかとそう推測しました」
 そう奇を衒ったものではない。ただギルデン自身会議で訪れたのを機会にと、側近を派遣してまでレスターを追ったのは、彼自身答えが見いだせていないことだからに違いない。では何故四年間そうしなかったのかと言われれば、答えは単純だ。ギルデンはイエーツ国から良くも悪くも注目されている人物であり、こういった機会でもなければ国境を越えることは難しい。実質的な敗戦と人身売買組織が絡むともなれば、部下に任せるという思いはなかったのだろう。
 しばしクリスを見つめたギルデンは、顎に当てていた指を二、三度動かせた後、おもむろに口を開いた。
「50点と言ったところだな」
 なんとも微妙な点数に、クリスは頬を引き攣らせた。
「フェーリークスは数カ国に股をかける裏社会の厄介な組織だ。確かにひとつの国でのルートを悉く潰されたのは痛いだろうが、そこに固執するほどの莫迦の集団でもない。放っておいても国のあり方は変質する。それまで待てばあれこれ画策せずとも隙は出来る。潰した張本人達が生きていて、国そのものに勢いがある内に復活を試みる必要はない」
「しかし、戦争が長引けば、奴らにも好都合なのではないでしょうか?」
「勿論、そういう場合もある。だがイエーツは四つの国と接する国だ。長引き始めた戦争に収拾が付かなくなれば、各国が虫食い状態の土地を巡って更に争うことは目に見えている。名を同じくする地下組織とは言え、縄張りはあるからな。ややこしい形で版図が変われば、奴らにとっても別の意味で面倒なことになる。フェーリークス以外の他の裏社会の勢力もここぞとばかりに手を広げ始めるだろう」
 つまり、荒れれば荒れるほど仕事がしやすくなる反面、これまでの流通経路や懇意にしている商売相手が安定せず、組織の中でも勢力抗争が起きかねないということだ。更に、似たような事を目論む小狡い輩さえ出没するだろう状況は、組織にとっては確かに好ましいものではない。
「荒れた状況の辺境地と熟し切って腐りかけた大国、このふたつの状態を保つのが奴らの理想だ」
「そう、ですね」
 頷き、つくづく人とは議論を交わしてみるものだと思う。クリスの考えはイエーツ国内の都合にのみ依ったものであり、非常に視野の狭いものだ。ギルデンから指摘を受けなければそれに気付くことはなかっただろう。
「故にお前が想像した、我が国に有利となる作戦を与えたというものは少し的外れだ。奴らは戦争を利用し、必要とあれば情報を売ったり工作することに手を貸したりもするが、組織の都合のために積極的に戦局を左右するような表立った動きをすることはない」
「では、先ほどの点数は、レスターが何らかの情報を持って奇襲に成功したという推測への点でしょうか」
「うむ」
 肯定し、ギルデンは目を眇めた。
「奇襲と言えど、ひとりでは為しえない。あの男がやってのけたのは、捕らえていた捕虜の解放と内部からの要所に制圧、火を放つことによる攪乱。そして砦を任されていた司令官の首級をあげたことだ」
「! それは……」
「奇襲を受けた日は丁度、それまでに得た捕虜の身柄を仮の牢から別のより脱走し難い場所へと移されることになっていた。そのため警備の状況が変わり、普段であれば砦の奥に居るはずの司令官も見回りに出ていた。隙は確かに大きかっただろう。だが内部の構造や巡回の経路、捕虜と司令官の居る場所などの情報なしにあれほどのことをしてのけることは不可能だったはずだ」
 ましてやその頃、無名の一兵卒に過ぎなかった男に、だ。
「慌てて南部攻略軍の本隊の精鋭を引き連れて急行したが、間に合わなかった。逃げ帰った一部の者に裏切り者がいると確信し取り調べを行った結果、フェーリークスが一枚噛んでいることが判った」
「その時に詳細は判らなかったのですか?」
「自殺されたからな」
 昨晩のことを思い出し、クリスは僅かに顔を歪めた。
「フェーリークスが絡んでいる以上、無視は出来ない。長引かせて更に奴らにつけ込まれては堪らない。そう思ったからこそ調停の席に着いた。だがその後も疑問が残った。あの奇襲にフェーリークスの意図が絡んでいたのだとしたら、奴らは何を目論んでいたのか、だ」
「それを知っているのがレスターだけ、というわけですね」
 その通り、とギルデンは重々しく頷いた。
 四年前のことを今更掘り起こすことに、どこまで意味があるのかは判らない。ギルデンの迅速な対応により、人身売買組織の目論みはもしかしたら潰えてしまったのかも知れない。だが疑問として胸につかえ続けているのだろう。
 さて、とギルデンは表情を緩めて、手をアームレストへと戻した。
「こちらに、現在の状況への関与がないのは判ってもらえたか?」
「はい。……ただ」
「?」
「ベルフェルの使者殿がレスターの身辺を探っているという情報は、些か私たちを困惑させる元となっていたようです」
 これにはギルデンはもとより、後ろで無表情を保っていた青年も苦笑したようだった。むろん彼らは、レスターの微妙な立ち位置を知る立場にはなく、意図して混乱させたというわけでもない。彼ら自身迷惑を被ったと言って良いだろう。
 そう思ったところでクリスは、これまで抱いていた疑問の答えに気がついた。
 何故ギルデンはこうも詳しい話を、クリスという面識もないはずの男に行ったのか。レスターに害意がないことを説得するにしては丁寧に過ぎる。話を聞きながら、そう胸中に澱のように消えずに残っていた警戒心を溶かす答えは、意外に単純なものであるようだった。


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