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「ところで閣下、先ほど私は閣下の問いに判らないとしか答えられませんでしたが、他に何かお困りの点でも?」
 裏の声はこうだ。――答えられる範囲でならば情報を提供する。
 その副音声を正確に感じ取ったのだろう。ギルデンは一拍置いて口元に大振りな笑みを浮かべた。
「話が早い」
 言い、現状を、と促す。
 クリスは慎重に言葉を選びながら、王宮と財務長官への疑惑について以外のことをかいつまんで話した。勿論、相手に倣ってと言ったような厚意によるものではない。彼らを巻き込むための投資であり、その裏には人身売買組織という共通の敵に対する警戒心の底上げという目論見がある。
 まとめてしまえば実のところ、そう隠すべき事はない。それほど長い話にもならず語り終えたクリスは、追加質問の有無を問うようにギルデンを見つめた。
「ふむ、得にはないが、……今蠢動している勢力があくまで国内の少数の残党のみという考えは俺も賛成だ」
「ベルフェル国内に連動するような動きはないということですか?」
「全くと言えば嘘になるが、新たな地盤固めの為に幹部が乗り出しているというような動きはないな。他の国の事も探ってはいるが、小悪党が混乱に乗っている程度で、どこも同じような感じという手応えだ」
「そうですか……」
 推測の裏付けが取れたと見るべきか。
「ヴィクター・リドリーが生きていると考えるのは突拍子もないことでしょうか?」
「いいや、充分あり得るだろう。しかし、そういう奴なら……」
「閣下」
 言いかけたギルデンを止めるように、後ろから従者が声を上げた。
「申し訳ありませんが、そろそろお時間が」
「ああ。そうか、そうだったな」
 困ったような、済まなそうな表情を見る限り、敢えて意味のある言葉を遮ったというわけではないだろう。話が雑談へ移るタイミングを少し前から見計らっていたという様子である。むろん、それが演技だったとしても、クリスに食い下がる権利がない以上、深読みしたところで意味はない。
 従者の言を受けてギルデンが席を立ち、代わりに後ろから一歩進み出た青年がクリスに軽く頭を下げた。
「済みませんが、それなりに本国から仕事が送られてきていますので」
「いや、結構です。私こそお時間頂きありがとうございました。閣下、拙い語りで余分な時間をかけましたことお詫びします」
「それなりに有意義だった。ではまた、あの男が目覚めたなら報告を頼む」
 目を合わせて頷けば、ギルデンは満足したように踵を返した。遅れて会釈した従者が去り、部屋にそれまでの静寂が戻った。
 しばらくの間見送るように立ちつくしていたクリスは、その作られたような静けさにため息を吐く。話してみれば取っつきにくいというほどの相手ではなかったが、だからといって緊張が途中で消えるわけもない。
 分不相応と言えば卑屈にも聞こえるが、実際にはそうとしか言いようのない人物との個人的な対面に、必要以上の体力を消耗したようだった。
 凝り固まった肩を鳴らし、もう一度ため息を吐き、クリスは部屋の隅へと移動する。
「……レスター、いい加減に起きろよ」
 医師の診察の際に一度目をさましたレスターは、その時に飲んだ薬の効果か、或いは安静により疲労が回復しつつあるのか、昨晩この場所に運び込んだときよりかは幾分顔色を良くしている。隣町で受けた治療も的確であったのか、新しい傷口が膿んだ様子もなく、体力が戻るか否かはともかくとして充分に休めばそのうちはっきりと目覚めるだろうという見立てだった。
 このような状態になるまで今まで何をしていたのかということへの憤りやら安堵やら、とりあえずはもう大丈夫だと思ってしまえば如何にも複雑な気分である。
「ホント、自分勝手な奴だよなぁ……」
 聞きたいことは沢山ある。聞かねばならないこともある。言わなければいけないことも。
 それら心中にくすぶる迷いをまるで知らぬかのような綺麗な寝顔に向け、幸せが逃げる瞬間を感じながらクリスは深々と三度目の憂いを吐き出した。

 *

 結局の所その日二度目をさましたレスターだったが、薬を飲み用を足すことが精一杯というような状態では話をするわけにも行かず、クリスは二度目の夜をホテル内で過ごすこととなった。一度夜中にギルデンへ言付けてから家に戻り、エマへは心配無用の旨を言い伝えている。
 そして一夜明けて昼前。朝方に再び様子を見に来たギルデンが、夕方にまた来ると言い残して去ったその一時間後。クリスは自分を呼ぶ声に気付き、寝ころんでいたソファから慌てて身を起こした。
「どうだ、調子は」
「少し怠いが問題ない」
 昨夜熱に浮かされるような状態で起きたときよりもはっきりした声音に胸を撫で下ろし、クリスは椅子を引きずってベッドの横に座る。得に体を揺らすこともなくゆっくりと起き上がったレスターは、確かに随分と顔色も良いようだった。
「何か飲むか?」
「水を。――ああ、ありがとう」
 ついでに薬も、と渡したクリスにレスターは幾分複雑な顔を見せる。
「それには多分、睡眠薬も入ってる。休めるようにとのことだろうが、さすがにこれ以上寝たら反対に具合を悪くしそうだ」
「そうか。なら何か食べるか、――と言いたいところだが、生憎と何もない」
「捕虜が監禁場所で自由な食事など求めるものではないさ」
「――レスター」
 戯けて言ったとは判る言葉だが、さすがに様々な意味で看過し得ないものである。咎めるとも宥めるともつかぬクリスの声に、レスターは小さく肩を竦めた。
「済まない。充分に良くして貰っておいてこれはないな」
「判ればいい。向こうにも思惑はあるだろうが、少なくとも積極的に害しようとしているわけではなさそうだからな。あまり失礼なことは言うな」
「ああ」
「それはそうと、これまでのことは覚えてるのか?」
「クリスに支えてもらって用を足しに行ったこととかか?」
「お前な!」
「冗談だ。怒るな」
 瞬時に顔を赤くしたクリスに向けて一度にやりと笑い、レスターはふと視線を包帯の巻かれた箇所へと向けた。
「ここに来てからのことは、ある程度は覚えているから今の状況は判るが……」
「倒れたときのことは?」
「実はそれはあまり覚えていない。何度か襲われたものだから、人気のない方ない方へ進んでいたことは確かだが、傷は痛いわ熱はあるわ、なのに寒いわで最後の方はもうろうとしてたんだろう」
 発見したときの様子からすると、あり得ない話ではないだろう。普通に考えれば意図して向かう場所でもないが、厳重に柵が設けられているわけでもなし、人が寄りにくいという意味では夜の墓地というのはある意味逃亡時の理にかなっている。


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