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 だが実のところ、単純にレスターの言うことを真に受けていたわけでも彼のことを守ろうとしていたわけでもないのだ。
「単なる勘、ではないが」
 ひとこと断り、クリスは慎重に言葉を紡ぐ。
「レスターはあの男、俺が追っていた男を殺そうとして待っていたのだと思う。違うか?」
「――まさか。明らかに行動のおかしい人を見つけて後を追ったと言っただろう」
「確かにお前はあの時『不審な人物を追ってきた』と言っていた。だがあの時のお前の剣は、本気で殺しにかかるものだった。お前はそんな、不審だが誰ともはっきり判らない人物に問答無用で斬りかかるような男か?」
 単純な話、レスターでなくともそんな極端な行動は取らないだろう。
「だから初めは、逃げたあの男を逃がすために待機していたのか思った。だが考えれば考えるほどおかしい。時間稼ぎにしてはあまりにも容赦のない攻撃だったし、反対に殺しにかかったにしては、俺と知ったときの反応が素直に過ぎた」
「それで?」
「つまりお前は、あの男があそこに逃げてくると知っていた。その上で殺そうとしたが、手違いかあの男がそれを見抜いて回避したか、とにかく俺に間違って斬りかかってしまった。まさかあの男が誰かに追われているとは思ってなかったんじゃないか?」
「……」
「だから相手が俺だと知って驚いた。だからあっさりと剣を引いた。違うか?」
「あの男が逃げてくるという情報は誰から得たと?」
「王宮側の誰かに。王宮へ逃げ込んでくる者の手助けをしろと言われて待機していたと考えるのが一番辻褄が合う」
「それなら、私にそれを命じた者は、組織の手の者ということになるな」
 ある意味決定的な言葉に、クリスは知らず喉を鳴らした。それを問う方向へと持っていったのは自分自身であり、そう疑っていたとしても、まさかそれを関与する本人の口から先に聞くとは思ってもいなかった甘さ故の反応か。
 そんなクリスに、レスターは僅かに口の端を曲げたようだった。
「王宮が予め組織の行動予定をどこからか仕入れたとして、侵入を防ごうと私を現場に向かわせていた、その命令のもとにやってきた人物に斬りかかったが、人違いと判ったので手を引いた、……と考えることもできるが」
「本当にそんな情報を持っていたのなら、他にも対処法はある。自分大事と考えそうな王宮の者達なら、もっと警備を固めるんじゃないか? 隠れて人を派遣するからには、後ろ暗い何かがあると考える方が妥当だろう?」
「……まぁ、そうだな」
「それに、セロン・ミクソンは怪しいと、皆も思っている」
「だったら尚更、私のことを話して査問にでもかけるべきじゃないのか?」
「だからだ」
 強く言い、クリスは詰め寄るように上体を傾けた。
「俺だと知って驚いた。だからあっさりと剣を引いた。人違いだと判って本当に驚いていたというのは、実際にその場にいた俺にしか判らない。――そんなお前が、単純に組織に与しているとは思えないんだ。あの『ルーク・セスロイド』を逃がすために、他の者を問答無用で殺そうと本当に命令通りに待っていたとは思えない」
 本当はそう思いたいだけなのかも知れない。そう考えながらクリスは言葉を続けた。
「だから最初に言った。お前は命令を逆手にとって『ルーク・セスロイド』を殺そうとしていたと俺は考える。だから俺は、敢えてあの時のことを誰にも言ってない」
 単純な事実だけを述べれば、そうした事実を体験して知っている者以外には、レスターの怪しさの方が強く伝わってしまうだろう。かばうつもりで言ったことが、反対に更なる不信を招く事態に陥る光景がまざまざと想像できる。
 クリスがそう言い切って数秒。切り取られたような沈黙が二人の周囲を凍らせた後、レスターは突如俯き、そして背を震わせた。
 嗤っている。
 そうして彼は額を手で押さえ、堪えきれない何かの衝動を隠すように、ただ低く呟いた。
「……本当に、君と喋ると調子が狂う」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味さ」
 呟き、レスターはゆるゆると顔を上げた。
「君の仮定が正しかろうと違っていようと、あの男が逃げたおおせたことには変わりないな。ではクリス。追っていたあの男が、どうやって逃げたのかは判るか?」
「いや、……王宮から脱出する方法は仮定できるが、どうやって入ったのかは」
「簡単なことだ。王宮内に協力者さえいれば、あの壁を伝って上に逃げることも可能だろう。例えばケアリー・マテオなどが予め縄を垂らしておくだけで良い」
「あ……」
「下手に横道や抜け道があるから惑わされる。そう思い、夜に現場を調べに行って、その時にマイラ・シェリーが逃げてくるのを見つけた。そういうことだ」
 クリスへの疑問、それへの答えを経た為に遠回りになった話をレスターは元に戻す。それはそれで正しい話の繋げ方なのだろう。だがわざとらしいと言えば強引とも言える転換だ。
 彼と組織の関係について踏み込んだつもりだったクリスが、些か肩すかしを食らわされたような気分になったのも致し方ないと言えよう。
「レスター、お前」
「マイラ・シェリーは無事だったのか?」
 安否を問う言葉には逆らえず、眉根を寄せながらもクリスは頷いた。
「匿っていたのは良いが、なにせお嬢様だったからな。私が隠れ家に行けなくなった後、上手く食料の調達などが出来ていたか心配だったんだ」
「そこまでどうだったかは知らないが、――レスター」
「そう言えば旧水道の横道を探索したときは、君に嘘を吐いて連れ出したんだったな。シェリー嬢の事を隠したままにするには必要なことだったんだが、悪かっ――」
「レスター!」
 低く強く、クリスは制止をかける。さすがに口を閉じたレスターは、しかし、凪のような表情でクリスを見返した。
「何だ?」
「お前は、」
 躊躇い、だが言葉が見付からずにクリスは膝の上で拳を作る。
「お前は、どっちなんだ?」
「……どっち、とは?」
「俺たちの、仲間だよな?」
 否定して欲しいという思いが、クリスの声を掠れさせる。立場的には黒、状況的には灰色、感情で言えば白。クリスはどちらだと理性で考えつつ、この男が否定するのならそれを全面的に信じようと思っている。
 助けられたこと、救われたこと、楽しかったこと、それを思い返せば本当は疑うことなどしたくはない。だからここで白黒付けさせて欲しい、そう思う。
 だがレスターはそんな彼の願いを払いのけるように、灰色の答えを返した。
「私は王宮からの推薦を受けた身で、それに則って動いている。それだけだ」
「だが、それは!」
「他にどう言いようがある?」
 あくまでも淡々とした声に、クリスは喉を詰まらせた。答えを探り当てるための交渉、化かし合い、駆け引き、それを一歩離れたところから眺めて行うことこそが必要だと理解しながら、感情の波がそれを沖へと流していく。


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