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「喧嘩してるみたいね? 無理もないか」
「どういうことだ?」
「さぁ? ねぇ、ちょっと、痩せた?」
「……そうかもな」
「クリスティンがいなくなっちゃったものね」
 先ほどの答えも含んでいるのか。軽い調子で、だがどこか皮肉っぽい口調のモニカに、クリスは眉根を寄せて彼女を見つめた。
 それをどう受け止めたか、肩を竦めてモニカは笑う。
「睨まないでよ。昔のことを蒸し返したりしないわよ。私だってもう、人妻なんだし?」
「睨んでなんかいない。――子供は」
「元気よ。今日は義母さんに見て貰ってるの」
「そうか」
 頷き、ややあってクリスは気まずげに口を開く。
「あの日は、折角の祝いの日だったのに、悪かった」
 自ら引き起こしたことではないとはいえ、クリスティンの死んだ事故のために、祝福に満ちた雰囲気が一転してしまったのは事実だ。心から思いを込めて言えば、モニカは驚いたように目を見開いた。
「やだ、止めてよ。そんなこと、私はいいのよ。ただ――」
「ただ?」
「……クリスティンが死んでしまったのが悲しかったし、あなたが落ち込んでる姿を見たくなくて、お見舞いにも行けなかった。私こそ、ごめんなさい」
 モニカがクリストファーの生存を喜んでくれていたということは、以前レスターから聞いて知っている。それだけで問題ないと首を横に振れば、モニカは思うように目を細めた。
「それにこの前、旦那が余計なこと言ったって聞いたわ」
「いや、あれは俺が」
「今思えば、私こそ邪魔者だったのにね」
 これは、反応に困る言葉である。
「そうだ、ねぇ、ちょっと時間ある?」
「急ぐ用はあるが、時間が決まっているわけではない」
「そう。ならそこに座りましょ」
 促されるままに、木陰のベンチに腰を下ろす。なんとなしに見上げた先、すっかり冷たくなった風が梢を揺らせば、数少なく残っていた色の変わった葉がはらりと落ちてクリスの額を滑っていった。
 季節は毎年と同じように変わっていっている。あれから二ヶ月半、――人々が、亡くなった人を思い出に変える頃合いだ。
 ふと、感傷が胸を過ぎたクリスに、横に座ったモニカが呟くような声を出す。
「今まで、いろいろとごめんなさい」
「何のことだ?」
「私ね、本当に知らなかったの。あなたが、養子だったなんて」
「え」
 驚きを押さえる間もなく、クリスは思わず声を上げた。思いがけず新たに出された情報に、半ば感情の方が混乱している。
 だが幸い、そうした彼の動揺は、モニカには「意外そうな」響きに伝わったようだった。後半ではなく前半の言葉に対してのものと捉えたのだろう。むしろ言い訳を重ねるように、モニカはクリスから目を逸らして言葉を続けた。
「本当よ。言い訳になるけど、丁度軍に入るって揉めてる時期だったなんてのも、知らなかったの」
「養子……?」
「ああ、ちょっと違うわね。母親は一緒、だったっけ」
 気まずそうにモニカは繰り返すが、クリスの耳に後の言葉は殆ど入っていなかった。動揺を通り越して、知らなかった情報に体を硬直させる。
 否、モニカが今のクリスに嘘を伝える必要性がない以上、それは単なる情報ではなく確かな事実と言うべきだろう。
(養子、――いや、連れ子!? 兄様が!?)
 堂に入った無表情の下で、もはや百面相の勢いである。どういうことかと叫ばなかっただけまし、と言うべきか。
(そりゃあんまり似てなかったけど、兄様は母様似で、私は父様似で、……って、そっか、連れ子だったらそういうこともありで)
 幼い頃に亡くなった母親のことはあまり覚えていないが、言われてみればひとつだけ妙に覚えている一場面がある。兄妹ともに「クリス」である理由を尋ねたときに、母親は酷く困った顔をしていたのだ。
(そうか、あれは……)
 当時の様子を思い出しかけたクリスの脳裏に、ふと、枯葉のように頼りなく、おぼろげな記憶の欠片が割り込んた。
『はじめまして、僕もクリスだ』
 きょとんと首を傾げる幼児を前に、ぶっきらぼうな声が如何にも仕方なさげに告げる。
『今日から義兄になったんだ』
『だれ?』
『クリストファー。同じ名前だけど、よろしくクリスティン』
 そうして、唐突に現実が戻る。随分と久々のことだ。だがクリストファーの記憶だとすぐに思える程度には、クリスもこのイレギュラーな現象に慣れていた。
「クリス?」
「いや、なんでもない」
 訝しげな表情のモニカに、少し笑って首を横に振る。ようやく、ふたりの「クリス」の原因が判ったような気がしたのだ。
 まず、何らかの事情でクリストファーを産んだ後引き離されていた母親が、再婚後女児を産み――別れた息子を思ってか、クリスティンと名付けた。その後何らかのトラブルが起き、予想外の事情を経てクリストファーが引き取られることとなったというわけだ。短い記憶の映像から察するに、おおかたその流れで間違いないのだろう。
(ああ、あの『幼なじみ』のことも)
 立ち寄った場所で遭遇したクリストファーの幼少期を知っていた女を思い出し、クリスは小さく首肯する。クリスティンに会う前のことであれば、全く記憶になくて当然だったのだ。そして何らかのトラブルとはおそらく、彼女の言っていた洪水に関係しているのだろう。
 長年の、そしてついこの間の謎がひとつ解けたはいいが、逆に生まれた疑問もある。クリスは横に座ったモニカに向き直り、さりげなさを装って問うた。
「クリスティンに出会ったのは、俺と別れた後か?」
「当たり前じゃない。あなたが私より優先する妹ってどんな人かと思って近づいたのよ。名前くらいはずっと前から知ってたけどね」
 普通に出会い友人となったと思っていたばかりに、クリスとしては些か複雑な思いである。
「もしかして禁断の恋? とか思ってたけど、クリスティンを見てたらそうじゃないみたいだし、あなたが大切にしてるほど、クリスティンは思ってもない様子だったし」
「そんなことはない、だろう。家族として……」
 信用も信頼もしていた。もちろんのことそれを知っているクリスは、どういったものかと考えあぐねて語尾を曖昧にする。
 しばらくの間言葉の続きを待っていたモニカは、やがて焦れたのか幾分硬い表情でクリスに向き合った。
「ねぇ、教えてくれる?」


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