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「何を、だ?」
「本当に、クリスティンのことはどう思ってたの?」
 もと恋人としては当然の問いなのだろう。だが難しい質問だ、とクリスは喉を鳴らす。どう答えても、それはクリスティンの答えであって、クリストファーのそれにはなり得ない。
 だが、クリスの困惑とは余所に、ふと、噤んでいたはずの口が自然に開いて言葉を発した。
「妹だ。それ以上じゃない」
(え?)
 自分が喋ったという自覚も無いままに聞こえた声に、クリスは数度瞬いた。
「本当に?」
「唯一血の繋がった存在で、優秀な自慢の妹で、自分の夢を捨ててまで俺の往く道を助けてくれた。ときどきとんでもないことをしでかして周りを心配させるけど、それは俺や父親を信頼しててくれるからだと知ってる」
 やはり自分が喋っている、そう気づき、勝手に言葉を紡ぐ口に驚き、クリスは目を見張る。
「良いところも悪いところも知ってる。だが俺は家に引き取られたときも、後を継がないことで揉めたときも、何度も妹の存在に助けられた。――そういうのを全部ひっくるめて、一番、幸せになって欲しい家族、だった」
 ――女に対する愛情じゃない。愛したいわけじゃない、甘やかしたいわけじゃない。ただ誰よりも一番幸せになって欲しかった。
 自分のものではない心の底から、熱がわき起こる。

 これから、その思いに身を捧げようと思って――いたのに。

(兄様……?)
 これは、クリストファーの言葉だ。クリスティンの魂に、意識に押さえられているはずの、彼の想いだ。
「そんなこと言って。エマが怒るわよ?」
 呆れたように、優しげに、モニカが苦笑しながら軽口を叩く。『クリス』は口の端だけで笑い、目を細めてはっきりと告げた。
「エマも知ってる。俺とクリスティンが同時に危機に陥った所に出くわしたら、彼女は迷わず俺を見捨てるそうだ」
「呆れた」
「俺もその方が嬉しいんだから、問題ない」
 そこに嘘はない。すらすらと勝手に動く口に戸惑いながらも、クリスは昂ぶる想いに目の奥を熱くする。
 泣きたい。
 嬉しくて、同時に哀しい。
 そんな感情が強く心を占めれば、――しかしそれきり、口は閉ざされた。
(あ……)
 再び感情の全て、感覚の全てが自分のコントロールの元に戻ってきたことを感じ、クリスは例えようもない喪失感を覚えた。そうして、おかしなものだと内心で苦笑する。本来ならばクリストファーの感情をクリストファーが語る、その状況の方が正常なのだ。
「クリス?」
 急に表情を歪めたクリスを、モニカが訝しげに首を傾げて見遣る。
「その、ごめんね? クリスティンのこと思い出させるようなこと言って」
「いや、問題ない」
「……そういうところ、変わってないなぁ」
「え?」
「本心見せてくれないところ。だから私もムキになって、あなたの気を引きたくて滅茶苦茶なこと言ったりしたのかもね。それで大喧嘩したまま今まで謝れもしなかったなんて、嫌われても仕方なかったんだろうけど」
 それが、最初の謝罪に繋がるということなのだろう。モニカはクリスティンよりふたつ上。クリストファーが跡取りのことで揉めていた時期であれば、まだ16そこそこだっただろう。クリストファーにしても18の頃。成熟した恋愛をするにはほど遠い年齢であり、取り巻く状況に流されて破局したのも無理はない。
 寂しそうに口端を曲げたモニカは深く椅子に座り直し、ひとつ伸びをして、そして視線を遠くへと遣った。
「あーあ、……結局、クリスティンには嘘を吐いたままだったなぁ……」
「嘘?」
「目的があって近付いたのに、如何にも偶然知り合ったみたくしてさ、あなたが余計なこと言わないかなって思って、いつ本当のこと言おうかと思ってたのに」
「……あまり、そういうのは気にしないと思うが」
 つい先ほど真実を知り何とも言い難い気分になったことは確かであるが、だからと言って友達として付き合っていた頃のモニカを否定するつもりはない。何が切っ掛けであれ、確かに大切な友人のひとりだったのだ。
「そうだと良いけど」
「そうに決まってる」
「あなたがそう言うなら、そうなのかもね」
 笑い、モニカは子供のようにブラブラと足を揺らせた。その近くで、小さなつむじ風が枯葉を鳴らす。
 そして僅かに落ちた沈黙が、陽の色を落としていく風景に溶け込んでいく。
「ねぇ、ひとつ、聞いても良い?」
「……なんだ?」
 一転、急に声音を変えたモニカに、クリスは目を眇めた。神妙な顔つきなったモニカは再びクリスへと目を向け、声を顰めるように身を寄せた。
「その、クリスの遭った事故のことなんだけど」
「……?」
「あなた、体は殆ど無傷だったって聞いたけど、――本当に、すぐに気絶しちゃったの?」
「何が言いたい?」
「私、見てないのよ」
 低い声に、クリスは眉根を寄せた。随分とおかしな科白だ。普通こいうときは「私、見たのよ」と来るところではないか。
 だがモニカの真剣な表情に茶化す気も起こらず、どういうことかと目で訴える。その聞く姿勢を認めて、モニカは強ばった体をほぐすように深く息を吐いた。
「あの時私は二階にいて上から見てたんだけど、何も見てないの」
「それは、そうだろう。随分と暗くなっていたし、砂埃も酷かった」
「違うの。確かに視界が良かったとは言えないけど、倒れた馬車とその周りにしばらくして人が集まってくるのは見えたわ。でも、見てないの。そこから逃げていく人は」
 モニカの言葉を口の中で繰り返し、クリスは片方の眉を上げた。
「煙の中で誰かが殴り合って、その後に更に馬車が完全に横倒しになって塀も崩れて、って多くの人が目撃してたんだよね? でも殴られてた形跡があるのはクリスティンじゃない方の死んだ人だけで、誰か逃げたんだろうって。でも私、倒れた馬車のところから逃げていった人なんて見てないの」
「――それは、誰かに?」
「勿論。聞き取り調査に来た人に言ったわ。でも実際に私が見てた場所からは死角が多いって。それにそれを言ってるのは私一人だから信憑性に欠けるって」
 法務省の捜査員がそう判断したのなら、確かにそういう面はあったのだろう。


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