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「ねぇ、どうなんだろ。私、クリスティンのことをいろいろ勘ぐった時もあったけど、嫌いじゃなかった。親しい友達だと思ってた。だからあの時のことを何度も思い出したの。クリスティンを殺した事故の解明になるならって。本当に本当に、何度も考えて思い出して、でもやっぱり誰も見てないのよ」
「っ、……」
「本当よ。確かに見えない部分もあったかも知れないけど、逃げたり近付いたりした人がいたら判るわ。だって私、あなたの姿が見えたから、その前からずっと見てたんだもの!」
「その見ていた理由も言ったのか?」
「それはさすがに言ってないけど……」
 ならば、とクリスは思う。単に窓の外の様子を目撃したという証言と、事故の前から一部始終を見ていたという証言とでは受け取り方も変わるだろう。理由があってその周辺を注視していたのであれば、発言に重みが増すはずだ。
 動揺しつつ、クリスは特捜隊の一員として初めて招かれた日の会話を思い出す。
 ――”事故現場は当時視界は悪くはっきりしない状況であったが、『馬車が倒れた後、その場で誰かが殴り合いをしていた』ことが複数証言から明らかになっている”
 ――”殴り合い?”
 ――”信じがたい事だが証言者たちが示し合わせた様子もないし、その数も多すぎる。更には現場で亡くなっていた捜査官の顔に明らかにおかしな打撃痕が残っていた。殴られたのが捜査官だとすると、もうひとり、殴った方が必要となるが、現場に残っていた面々にそんな該当者はいなかった”
 馬に潰されて死んでいた馭者、原因不明の昏睡状態のクリストファー、瓦礫を受けて絶命していたクリスティン、いずれも捜査官を殴ることのできる状態の者は居らず、またそうする理由もなかった。だからこそ、二次的な崩壊による間隙に逃げた誰かが居るというのが法務省の見解だったはずだ。加えて、あるはずの『重要な”物証”』が消えていたこともその説を後押ししている。
(いや、良く考えなきゃ……)
 モニカが、嘘を言っている様子はない。そも、そんなことをする理由がない。逆に、彼女が言っていることこそが真実だったと仮定すれば。
(あの煙幕の中にいた誰かが殴ったってことになるけど)
 消去法でいけば、唯一生き残ったクリストファーでしかあり得ない。法務省の調査では真っ当な所用の後、単にその場に居合わせただけのレイ兄妹が、知人ですらない他人の捜査官を殴る理由がないという見解から、はじめの衝突の後にクリストファーが暴挙に及んだという可能性を否定した。客観的に見ればその通りなのだろう。
 だが、クリスにはひとつ謎が残っている。むろん、クリスティンがクリストファーの体を乗っ取る切っ掛けとなった何か、だ。
(あの時のことがやっぱり鍵なのか……?)
 強く顔をしかめ、額に手を当てながらクリスは記憶の底を浚う。
 だが、
「――っつ」
 脳の中心を直接杭で打たれたような痛みに、クリスはびくりと体を震わせた。
「クリス!?」
「……大丈夫だ、なんでもない」
 あの時、何が起きたか。思い出そうとすればいつものように頭痛がクリスを苛んでくる。
(駄目なのか?)
 否、クリスティンの墓の前で、死を看取った雨の中で、掴みかけた何かがある。
(考えろ、あの時、何を思い出しかけていた)
 最期に何を思うか、何を願うかを考えていたはずだ。エマには泣かないでと、父には済まないと、友人達には元気でと。
 そして、クリストファーには。

 ――駄目だ。そんな事は。

 ぞくり、とクリスは背を震わせた。何かが、痛む頭の中に更に鈍く響き渡る。知らなければならない、だが知りたくはない、葛藤と悔恨が混在する苦々しい感情。
 激しい渦に巻き込まれたように頭の中で映像が音が感情が、時系列も定まらぬまま縦横に駆けめぐる。思考を放棄したくなるほどの不快感にクリスは声にならない悲鳴を上げた。

 ――!
 一際強く、哀しい声が聞こえる。
 ――許さない!


「クリス!」
 瞬間、頬に走った痛みに、クリスははっと息を呑んだ。
 同時に、それまでの不快感の全てが一瞬にして霧散する。
「あ……」
「おい、クリス、しっかりしろ!」
 聞き覚えのある、しかし近くには居なかったはずの声に、クリスはゆるゆると顔を上げた。その動きに合わせ、額から背中から、冷えた汗が流れ落ちる。
「……アントニー?」
「気ぃ、ついたか」
 呟き、アントニーは長い息を吐いたようだった。最後に見たときには嫌悪に染まっていた彼の顔が、今は困惑と不安に彩られている。
「何故、ここに?」
「最初にそれかよ。居ちゃ悪いか?」
「そういう意味じゃないんだが」
 否定を口にしかけ、クリスはふと自分の状況に気がついた。何時の間に膝を突いたのか、何故か座っていたはずのベンチの前に蹲っている。倒れかけたところを無意識に自分で庇ったのか、不安定な動きをしたところをモニカが誘導したのか、いずれにしても人と喋るに適した格好ではない。
 体に力を込めてバランスを確かめ、起き上がるに問題ないことを確かめる。そうしてクリスは掌に食い込んだ砂粒を払い、汗に濡れた前髪を掻き上げて立ち上がった。
「おい、無理するなよ」
「問題ない」
「莫迦言え、顔色は最悪だぞ?」
 指摘に、クリスは困った顔に苦笑を加えた。倒れた原因は判っているのだ。安静にする必要性がないことも、そうすることで回復が早まるわけではないことも、彼だけが知っている。
「だからと言って、蹲っているわけにもいかない」
「なら、とっとと座れ」
 これには素直に従い、クリスはベンチに深く腰をかけた。そうして少し遅れて隣に位置取った友人を横目に見遣り、彼の代わりに消えた人物について口にする。
「モニカはどうした?」
「お前が急に倒れたんで、吃驚してた。で、おろおろしてたからとりあえず家に帰した」
 どうやら、それなりの時間が経過していたようである。だが時間の長短に関わらず、いつも殆ど同じ段階で止まってしまうのは何の符号か。


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