[]  [目次]  [



 掴みかけた何かへの執着と例えようもない苦痛から逃れた安堵の狭間で、ただクリスは長く重い息を吐いた。
「……そうか、お前はモニカと待ち合わせしてたんだったな」
「なんだ、知ってるんじゃないか。そうそう、本当は話すことがあったんだけどなぁ」
「それは、悪かった」
「仕方ないことだろ。原因不明の発作、なんだろ?」
 一度目を閉じ、クリスは否定とも肯定ともつかぬ答えを返す。それを諦観と捉えたか、アントニーは何かに八つ当たりをするように足下の砂を擦り鳴らした。
 ふたりの間に夜が連れてきた冷たい風が吹き抜ける。
 ややあって、先に口を開いたのはアントニーだった。
「……その、なんだ。……ごめん」
「何を謝る?」
「いろいろ」
 ギシ、とベンチの背もたれが軋む。
「正直、俺やエマには隠し事はしないで欲しいと今も思ってる。けど、その発作にしろ何にしろ、お前だって好きで今みたいな状態になってんじゃないんだもんな」
「アントニー?」
「エマから、聞いた。言われた。お前が隠してることは判らなかったけど、話せないのはエマや俺のことをどうでもいいとか思ってるわけじゃなくて、本当に言いたくても言えないことなんだって」
 さすがに何度か瞬き、クリスは顔をアントニーの方へと向ける。
「だからもう少し待ってやれって。それでも結局隠し続けるんだとしても、それは俺たちのことを考えてのことなんだろうから、ってさ。……あいつにそんな達観したような顔で言われたら、ひとりで喚いてる俺が莫迦みたいじゃないか」
「……」
「お前が隠れて何やってんのかは知らない。けど、それに必要なのは俺たちじゃなくて、あの野郎なんだろ?」
 これには、クリスも眉尻を下げて困ったように笑った。あの野郎とは十中八九レスターのことで、アントニーは微妙なところで誤解をしている。だが、正確に訂正しようと思えばこれも難しい。
「必要と言うよりは、そういう立場だと言うことだが」
「どっちでも似たようなもんだろ」
 口を尖らせ、アントニーは苛立たしげに足を組む。
「モニカの家の前で近くで別れた後、すごい腹が立ってた。次に会ったらどう言ってやろうか考えてたら、すぐ後に巡回してるときに倒れてたお前を見つけて、心臓が止まるかと思った」
「え?」
「え、じゃねーよ。なのにその後お前にずっと会えなかったし、会ったら会ったであの野郎と一緒にいるし」
「いや、……ええと、その、レスターはお前が思ってるほど悪い奴じゃないと思うがな」
「そんなことは、判ってる」
 顔をしかめ、アントニーはため息を吐く。
「ずっと、思ってたんだ」
「?」
「子供の時みたいにさ。俺とお前が無茶やって、クリスティンが呆れながらも助けてくれて、莫迦なことやったり言ったりしながら、このまま年を取っていくんだって思ってた」
「……」
「お前はエマと結婚したし、俺もクリスティンもいつか誰かと新しい家族になる。でも何かの拍子に集まれば、昔のように他愛もないことで笑いあえると思ってた」
 細めた目を隠すように、アントニーは掌で額を覆った。
「だけど、クリスティンが死んで、変わってしまった。これからも変わらない関係が続くなんてこと、都合の良い幻想に過ぎないんだと気付いてしまった。だから余計に、何か隠し事をしてるお前の周りに現れ始めたエルウッドに苛立ったんだと思う」
 だから八つ当たり半分だと判っている、そう苦笑するアントニーに返せる言葉が見付からず、クリスは俯いて、ただ動く自分の足先を見つめた。
 アントニーはクリストファーの幼なじみで、心を許せる親友だ。レスターなどよりもずっと、気安く付き合える友人であることに間違いはない。だがその関係に一時でもヒビを入れたクリスに、想像でしか語れない他人の感情を告げることは出来なかった。
「……悪い。いきなりこんなこと言われても困るよな」
「いや、お前に言ってないことがあるのは確かだからな」
「やっぱり、それは教えてはもらえないのか?」
「今は、まだ」
「そう、か」
「――本当に悪いとは思ってる。お前達が怒るのも無理はないとも判ってる。でも、だからこそ、もう少し待ってくれ」
 いつか全てが終わったら、と同じ体の中にいるはずのクリストファーへ後を託す。アントニーはそんなクリスを見て、少し寂しそうに笑ったようだった。まだ、という言葉を、若干の努力と共に信じようとしていてくれるのだろう。
(ああ、本当だな)
 誰にも隠し事無く生きていくことは難しい。つい数時間前に聞いたばかりのレスターの言葉を思い出し、噛みしめる。クリスも大概、人のことは言えないのだ。そんな状況を受け入れ、友人に諭してくれたエマに感謝しつつ、クリスはアントニーと仮初めながら和解できたことを安堵した。
「くだらない理由だったら、奢ってもらうからな」
「お前が度肝を抜くような話をしてやるから、安心しろ」
「……なんだかそれはそれで、余計に心配になるんだけど」
 違いない、とクリスも笑う。
「ってか、本当は全力で止めたいんだけどな」
「?」
「さっき言ったろ。お前が倒れてるところなんて二度と見たくない」
 その言葉で、先ほど疑問に思ったことを思い出す。クリスは詳しく話を聞くべく、心持ち身を乗り出した。
「倒れてたって、いつのことだ?」
「モニカの家の前で別れて、その後の夜にお前、巡回路のところで倒れてたろ?」
「! あれは、お前が見つけてくれたのか?」
 ヨーク・ハウエルの出現で、結局は誰が見つけてくれたのか判らぬままにいたことを思い出し、クリスはアントニーの腕を掴んで詰め寄った。
「それならそうと、言ってくれたら良かったのに」
「だからさ、倒れてたのを見つけたのは俺とそのペアだけど、さすがに戻るわけにもいかないし、応援呼んで連れてってもらっただけだ。それに言ったけど、現場にはエルウッドもいたんだからな」
 これには眉を顰め、クリスは説明を求めるように掴んだ腕に力を込める。
「痛ぇって。……クリスティンじゃあるまいし、兄妹揃って似たような問い詰め方すんなよ」
「え。……あ、悪い」
 つい素の自分が出てしまったことに今更のように気付き、クリスは耳を紅くしながらアントニーとの間に距離を取った。
「そ、それで。レスターがいたっていうのはどういうことだ?」


[]  [目次]  [