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「? お前こそ、あいつと一緒に行動してたんじゃないのか? 収容所の爆破事件のときも、俺と合流する前に一緒にいたって言ってた奴がいたし、この前もそうだろ? あの時もお前が倒れてた横に、あいつがいたんだよ」」
「いや、あの夜はひとりだったが……」
「おかしいな。あいつ、俺が近寄るなりお前を置いてどっかに行ったぞ? 呼び止めたけど、振り向きもしなかった」
「そんな」
「てっきり、それでお前との間に何かあったんじゃないかって思ってたんだけど」
 さすがに、初耳である。レスターはそんなことがあったなど匂わせてもいない。
(だけど)
 クリスが倒れたはずの場所は、兵の巡回路とは離れていたことは確かだ。クリスが無意識に歩いたわけではない以上、誰かがそこまで連れてきてくれたということになる。だが何故、そのまま医務室へ運べば良いところを、そんな回りくどい真似をしたのかが判らない。レスターであるのなら尚更だ。
(発見して助けたのがレスターだと、他人に伝わるのが困るからか?)
 巡回していた兵なら、本当に通りすがりに見つけたとして「誰が」助けたなどは問題にならない。現にクリスはアントニーがその巡回兵だとは今の今まで知らなかった。職務上、仕事中の遭遇、で終わるからだ。
 だが、無関係の者であるとすれば、助けた者の名前は詳しく語られることになるだろう。ましてや倒れた原因が毒を身に受けたからとなれば、発見時の状況や何故そこを通りがかったのかまで詳しく訊ねられることとなる。それを厭って巡回兵に委ねたのか。
(もしレスターが敵側の人間だったら――あり得るかもしれない)
 クリスに背を向ける前、「ルーク・セスロイド」は「時間切れ」と言っていた。誰かに会う予定なりがあったとして、それがレスターだったという可能性もある。であれば、公にクリスを助けるという行為が知れ渡るのは不都合に違いない。
 そう考え込んでいたクリスは、不意に耳元で鳴った手を叩く音に、はっとして顔を上げた。
「はいはいはい、お前、俺の事忘れてないか?」
「……悪い」
 さすがに決まり悪げにクリスは頬を掻き、不機嫌な顔を作るアントニーに謝罪した。それを認め、苦笑しながらアントニーは肩を竦める。
「その様子だと、発作は完全に治まったみたいだな?」
「ああ、それはもう大丈夫だ」
「なら、一緒に帰ろうぜ? もう日が暮れるのは早いんだからな」
 言いながら立ち上がり、アントニーは伸びをする。だがクリスは困ったように笑い、首を横に振った。
「悪いが、行くところがある。――と言っても、軍部の方なんだが」
「なんだ? ガードナー隊長にでも呼ばれてんのか?」
「そんなところだ」
「じゃあ、まぁ、途中までは」
 一緒に行こう、と言いかけたのだろう。アントニーの方が多少大回りにはなるが、方向は間違っていない。
 だが、その誘いが言葉になる前に、遠くから別の声が響き渡った。
「レイ殿!」
 あまり馴染みのない声に慌てて振り向けば、暗くなりかけた町を背景に、ひとりの男が走ってくるのが目に入った。知り合いか、と首を傾げるアントニーの問いを耳に、クリスは目を丸くする。
「ベルフェルの」
 ギルデンの従者である。雰囲気は柔らかく友好的だったものの、あくまで仕事として義務的に接していた青年は遂にクリスに名乗ることはなく、故にクリスはそうと判っても彼に呼びかけることが出来なかった。
 故に、充分に普通の声で聞こえる範囲に青年が近付いた後で、問う。
「どうしました? ええと」
「申し遅れました。ミハイルと言います。レイ殿。……いいえ、それよりも」
 言いかけ、青年、ことミハイルは口を噤む。ちらりと向けた視線の先を見れば、その躊躇いの原因は明らかだった。
「大丈夫です。問題ありません」
 遠慮するように一歩後退しかけたアントニーを制するように言い切り、クリスは青年に続きを促した。
「それより、どうしたんです。慌てて」
「単刀直入に言います。……彼が消えました」
「え」
「将軍との対談後しばらくのことでした。対談はせいぜい十数分でしたから、あなたが去ってからそう経っていない間にです」
「まさか。どうやって」
「ホテルの外観の壁はその気になればよじ登れます。それを逆に降りたのかと」
 高熱がようやく下がったばかりであり、体力も随分と失われていたはずだ。あり得ないと首を横に振るクリスに幾つかの証拠を提示し、ミハイルは確かにレスターが身一つで逃げたことを伝えた。
「だが、逃げて、どこに行こうというんだ?」
「判りません。ただ彼がもともと王都に向かっていたことを思えば、王都のどこかには居ると思いますが」
 逃げ道に使いそうなルートを辿ってはみたが、目撃者すら居なかったこと、レスターの行きそうな場所などの見当がつかないことを悔しそうに語り、ミハイルはクリスへ助力を頼んだ。
「勝手なことを言っているとは判りますが」
「気にするな。……とは言え、俺にもあまり心当たりはないが」
 思えば、レスターはおろか、他のメンバーが行きそうな場所も知らないままでいる。情報の重要性を説いていたヴェラの言葉が、身に染みて痛いとはこのことだ。
 だが、悔やんだところで何にもならない。クリスは迷いながら、一度エルウッド家に寄ることを提案した。
「家ですか? 確かに戻りそうな場所ではありますが……」
「クリス」
 如何にも単純に過ぎると思ったのだろう。黙って話を聞いていたアントニーが、ここで二人の間に割っていった。
「お前、軍部に用事があったんじゃないのか?」
「ああ、だが今の話に関係したことだ。これを放っておくわけにもいかない」
「だったら俺が、ガードナー隊長にでも伝言に行ってやるよ。エルウッドが逃げたって言や通じるのか?」
「だが」
「悠長なことしてる場合じゃないんだろ? エルウッドを捜して何かに巻き込まれるのはごめんだけどな、伝言するだけなら大丈夫だろ?」
 話の殆ども判っていないながら殊更に軽く言うのは、彼なりの気遣いなのだろう。確かにありがたい申し出だ。特捜隊の面子かそれに関わる誰かに現状報告をするという本来の目的を果たすと同時に、今し方逃走したレスターの捜索への人員の手配を伝えることが出来る。
「頼めるか?」
「任せろ」
「待ってください」
 頷きあうふたりに、ミハイルがひとり困惑したように口を挟んだ。
「レイ殿、この方は……?」
「大丈夫だ。俺の親友で、信用できる」
 真実を迷うことなく言い切り、クリスはミハイルを制してからアントニーへと改めて言伝を依頼した。
 レスターが保護されたこと、ここ一時間前後の内にホテルから逃げ出したこと。目的地は不明であること。
 それらに深く突っ込むことはなくアントニーは復唱して頷いた。
「判った。じゃあな」
「気をつけてくれ」
「お前こそ」
 一度互いの手首を合わせ、そうしてアントニーはそのまま踵を返した。その背が振り向かないことを確かめ、クリスはミハイルへと向き直る。
「とりあえず、一緒に行きましょう。そう遠くはありません」
 クリスの足で走って数十分といったところか。
 躊躇いつつもミハイルは頷き、従う様子を見せる。信頼と言うよりは他に良い手がないのだろう。そうしてふたりは、アントニーとは別の方向へ駆けだした。


 ――その後のことを、誰が予想し得ただろう。
 不穏な、だが日常の続き。その水面下にいる者の存在を忘れていたわけではない。故にそれに思い至らなかったのは、分析の方向が間違っていたということになるだろう。
 収容所の爆破事件があったにも関わらず、殆どの者が思っていたのだ。あくまでも組織は、裏で暗躍する存在だと。
 その勘違いの延長上の思いこみをそのままに。
 長い長い一夜が、誰もいなくなった公園の遙か上空で、最後の陽の背後に迫っていた。


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