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 現場を指揮しているような人物は見あたらず、集った者たちが各々の判断で動いているようだ。この様子では、爆破の犯人が混じっていたとしても気付くことはないだろう。唯一の救いはもとから人の出入りが制限されている場所であるため、この周辺にいた人物が限られると言うことか。ただし王宮関係者が白黒入り交じっていると予測される現状では、やはり犯人を特定することは困難と言える。不審人物を洗い出し検問を設けたところで、逃げずとも被害者を装えば済むからだ。
 考えれば考えるほど困惑が生まれるばかりと諦めたクリスは一度頭振り、目の前の問題に取りかかるべく瓦礫へと手をかけた。呻き声、かけ声、泣き声、幾つもの悲愴な音が重なり合う崩壊現場は、迷う必要もないほどやるべきことが助けの手を待っている。
 アランと共に崩れた建物の中から人を助け出し、或いは安全な場所へと運び、そうした活動を続けること数十分。
 思ったよりも助けの手が増えないことに疑問を抱きつつ、誰もがそれぞれの出来ることを全うしていた、その時だった。
 誰かが意図して引き起こしたというよりは、偶然が重なった結果だろう。
 不発のまま転がっていた小さな爆弾の導火線に、這い蹲るように小さく残っていた火が移ったのだ。少し離れた場所からその瞬間を目撃した救助活動者が、驚くと同時に悲鳴に近い声を上げる。
「離れろ!」
 消火に向かう、という判断をしなかったのは賢明だったと言えよう。中途半端に燃え残っていた導火線は短く、踏み消しに近付く前に爆発することは明らかだったからだ。
 声に、周囲にいた人々がそちらを見る。次いで見えた者は逃げだし、見えなかった者もそれに倣い放射線状に離れていく。だがそれもせいぜい、一歩二歩の距離を稼ぐ時間でしかなかった。
 ドン、と重低音が反響する。その振動、威力は実のところさほどでも無かったが、衝撃が加わった場所が問題だった。
 そこかしこに罅が入った状態でどうにか残っていた壁が、バランスを崩し倒れていく。それに支えられていた天井、更には隣接する壁も心臓を凍らせるような音を立てた。悲鳴に次ぐ悲鳴、恐慌は容易く連鎖し、救助活動に当たっていた者達の足並みを乱す。
 胆力のある者は素早くその場から離れ、足を震わせた者は人に引きずられ、動けない者は目を閉じた。
「アラン!」
 四度目の爆発現場より少し離れた場所で瓦礫を除けていたクリスは、幸いにもその直接的な被害に遭うことは免れていた。だが、状況は予断を許さない。新たに崩れた箇所が、連なるどの場所へ負担をかけるか判ったものではないからだ。
 突然の爆発に身を竦ませていたアランは、クリスの呼びかけにはっと息を呑んだようだった。その場から離れようと手を引くクリスに従い、彼も慌てながら走る姿勢へと移る。だが統制もないままに逃げる人が互いに邪魔をしあい、思うように進めない。
 そして危惧したことは現実となった。――その頭上、初めの三発を耐えて残っていた外壁の一部が、ぼろぼろと砂礫を零す。
「上!」
 誰かが悲鳴を上げた。釣られてクリスが目を上方へ向ける。
 映ったのは、崩れてくる煉瓦の雨。
「クリス!」
 叫んだのは誰の声か。
 どこか遠くでそれを聞きながら、クリスの脳裏には別の光景が二重に映し出されていた。
 痛む頭。激しい耳鳴り。

 ――……!

(あの続きだ)
 どこか記憶の奥で、声が聞こえる。罅の入ったガラスの奥に、あの日の光景。藍の背景にちらちらと舞う砂埃。
 突如、下肢と腹部を灼熱を伴った痛みが襲った。
 既視感、或いは幻か。だがけして無視できないそれに、クリスは状況も忘れて歯を食いしばる。
(もう少しなんだ……!)
 伸ばす指先に、何かが触れている。この疼痛はそこから流れてくるものだ。ここで思考を止めれば、おそらくはまた掴みかけたものが消えていく。
(途切れるなっ!)
 誰かが何か叫んでいる。急に体が右に傾ぎ、次いで衝撃が加わった。
 霞の掛かる頭の中に、悲痛な叫び。点滅する光。生と死。
 苦痛を堪えながらクリスは、
(逃げて、たまるか!)
 記憶の扉をこじ開けた。

 ――……さない!

 何かの砕ける音が高く澄んだ、切ない音を響かせる。
 抉られるような痛み。目を見開いたクリスの眼前に砕けた木片と舞い上がった砂が映り込む。

 ……大破した馬車の一部の直撃を受け、横に倒れるクリスティン。
 彼女をを庇おうとして、必死に覆い被さるクリストファー。その背後に、凶器を振り上げた女性。血走った眼はクリストファーを捉え、霞む目がその意図を読む。
 何故、と思う。その混乱と絶望がクリスティンに悲鳴を上げさせた。既にこの時死に足を踏み込んでいた彼女は、声帯の代わりに尽きかけた命を燃やす。

 ――許さない!
 判らない。何がどうなっているのかも。だが、強く、強く彼女はそう叫んだ。
 ――許さない、兄様に何をする!

 ――許さない!
 馬車の車輪に下半身を圧し潰された義妹を見てクリストファーは声にならない悲鳴を上げた。
 ――許さない、俺よりも先に逝くなど!

 願いは同時だった。それが原因かなどは誰にも判らない。
 そうして次の瞬間、『クリス』は体を捻り、振り下ろされた凶器を叩き落とした。そうして勢いのままに立ち上がり、体勢を崩した女を殴る。
 渾身の力で飛ばされた女の体は、受け身を取ることもなく半壊していた外壁に激突した。直後、かろうじて支えられていた車体と壁が崩れ落ちる。濛々と立ちこめる粉塵の中で立ちつくしていたクリスはやがて、糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。
 はじめの衝突から僅か十数秒。
 遠巻きに見ていた人々がおそるおそる近づいては悲鳴を上げる。
 逃げた者はいなかった。
 ただ遠くで、軍服に似た服を着た男が、忌々しげに下を打ち鳴らした……。


「おい、クリス!」
「クリス、何をしてるんです!」


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