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 はっと目をさましたクリスは、己を揺さぶる人物と不愉快そうに、その実ひどく心配気に自分を見つめる人物を映し、何度も瞬いた。
「おい、どこか打ったのか!?」
「アラン」
「大丈夫ですか、判りますか!?」
「ヴェラ?」
 つい先ほどまでは居なかったはずのヴェラに疑問符を投げかけ、クリスはまだ夢の中にいるような感覚を追い出すべく、小刻みに頭を振った。その様子に無事を見て取ったふたりが、揃って深い息を吐く。
「まったく……、あんなときになんでぼうっとしたんだよ!」
「悪い」
「ユーイングの言うとおりです。それまでは率先して逃げていたのに、どうしたのですか」
「見てたのか?」
「丁度到着したばかりで声をかける直前でした」
「……何か、右に引っ張られた気がしたが」
「私が引っ張りました。……間に合って良かった」
 どうやら、ヴェラの咄嗟の行動に助けられたらしい。身を起こし周りに目を向ければ、倒れていた僅か十数センチ横に古い煉瓦がひとつ転がっていた。それより離れた場所にも数個、少し視線を遠くにやれば、無惨に倒れた壁や嵌められていた硝子が散らばっている。
 クリスの他にも逃げ損ねた者はいたようだが、幸いにも重篤な怪我人が出るほどのものではなかったようだ。二次的な倒壊の恐れがある周辺は立ち入らないよう各自が注意していたということもあるだろう。軽い怪我を押して、おそるおそるといった様子ながら、瓦礫の撤去作業に戻る者達もいる。
 それでも一歩間違えば危ないところだった、――と思う一方で、別の興奮がその危機感を薄れさせていることを自覚しながら、クリスはゆっくりと立ち上がった。
「大丈夫かい?」
「あ、ああ……」
 心持ち心配気に問うアランに、生返事を返してしまったのは致し方ないことだと言えよう。今まで何度も機会を得ながらけして知ることの出来なかった真相が、クリスの頭の中で繰り返し流れ続けている。
 やった、という達成感はない。知り得た事実は、ただただクリスを呆然とさせた。
 許さない。そう、同時に思った。そしてそれが全てだったのだろう。
 命を失ったクリスと、失う危機にさらされたクリス。共に思ったのは互いのことで、そして双方の願いのままに奇跡が起こった。
(だから、軍服に似た服を着てたあの男と勘違いして兄様に襲いかかった捜査官を、……”私”が殴り飛ばして)
 ――つまり、あの現場に、誰も知らぬ第三者などいなかったのだ。目撃された殴り合いはクリスと捜査官の間で起きたこと。二度目に起きた倒壊と粉塵は、言わばクリスが引き起こしたことだ。
 だがそうなれば当然、”物証”を持ち逃げした人物などいるはずもない。モニカの証言もある。
(じゃあ、”物証”は)
 未だ現場に残っているということはないだろう。法務省の派遣した調査団が見逃すとは思えない。では現場で箱が壊れ、中の”物証”が失われたのかと考えるのは早計だ。馬車は確かに大破していたが、クリスティンの持っていた荷物がそうであったように、それなりの大きさの物が原型も判らないほど潰れていたという報告は法務省内で読んだ文書の中にもなかった。
(それじゃあ、それじゃあ……)
 クリスは混乱する頭の中で、嵐に揉まれたような記憶の欠片を手繰り寄せる。
(――遺留品)
 思った瞬間、渦の中から微かな音楽が聞こえた。細く高く、軽快なようでいて儚い響き。
 それは確かに「箱」ではなかった。物を入れるための物ではなかった。だが、形状は確かに箱そのものだった。
(オルゴール……!?)
 否、見当違いという可能性もある。クリスティンの物としてレイ家に戻されるまでには当然、厳密な照合作業があっただろう。モニカが渡してくれた荷物と内容が合致したからこそ返してもらえたのだ。
(だけど一般人に、重要な証拠かもしれないものを見せるとは思えない。どういった物かだけを聞いて残った物とそれを合わせたなら)
 加えて、事故当時と現在の”物証”の捉え方の違いもある。当時は某かの証拠品そのものとして捉えられ、当然小さくともそれと判る質量があると認識されていた。だが今は、某かの証拠品の一部という捉え方もできるようになっている。つまり、何かの物の隙間に嵌るようなごくごく小さなものである可能性もあるのだ。
 重要な”物証”はサムエル地方の館を出る時点で既に、捜査官ノークスにより箱に収められていた。ならば箱は朽ちた屋敷の中で調達した可能性が高い。敵が後ろに迫っている状態で敢えて目立つものに入れて運ぶ理由は、そうしないと持ち運べない物だったか、或いは本物の”物証”から目を逸らさせるためのカムフラージュか。
 考える上で気をつけなくてはならないのは、捜査官と追っ手が遭遇したであろう山の中の村でのことだ。子供の証言を信じるなら、捜査官はその時に追っ手が一時足を止めるほどの何かを渡している。
 これ見よがしの箱と、追っ手に渡した何か。追われている者が箱をカムフラージュにするならば、二重に罠を仕掛けたのではないか。
(それを渡された方が騙されたと思うもの、そして箱自体が本物の”物証”のカムフラージュと深読みされるもの、だとすれば)
 追っ手が箱イコール”物証”の入れ物として素直に受け取っていたとしても、開けてみれば音楽が鳴ったという状況ならば、騙されたと考えるだろう。後者は言わずもがな、そう思ってもらえた時点で役目を果たしている。
 だがそう都合良く、細工物のオルゴールが転がっているのだろうか。そう考えたクリスは、すぐに首を横に振った。
 ブラム・メイヤー。彼は正に鍵の隠されていた人形の制作者であり、ダーラ・リーヴィスとの交流もあった。細工の施されたものが彼女の閉じこめられていた部屋に、他にあったとしてもおかしくはない。それをどうやって捜査官が見つけ出したのかは不明として、――否、五年前に捜査の手が入った段階で曝かれたものが、細工をさらけ出した状態で残されてた可能性がある。クリスが実際に見た部屋の中、固定の棚に残されていたものがそうだった。
(だとすればモイラに、そういった細工のオルゴールがなかったかを聞けば、……いや)
 そんな遠回りをせずとも、今すぐレイ家に行って確かめれば判る。
 思えば、気が逸る。だが高鳴る心音とは別に、現実に戻ってきた意識がクリスに周りの状況をねじ込んだ。
 救助活動中の更なる爆発が、ただでさえ混乱の中にあった現場に拍車をかけている。今考え行動することは、果たしてずっと以前からの懸案か。それとも、明らかに人身売買組織の者達が起こしたと見られる事件への収束への対応か。
 迷い、そしてクリスは仲間ふたりの方を向く。
「ヴェラ、アラン、こんなときにだが、頼みがある」
 揃って首を傾げたふたりを交互に見つめ、クリスは軽く腰を折った。
「今から俺と一緒に、ある場所に言って欲しい」
「え?」


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