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「ある場所って、何だよ、突然」
「俺の実家だ」
 さすがにこれは予想外に過ぎたのだろう。短い言葉を理解しようとふたりの目が彷徨い、次いで眉根が寄せられる。
「そこに、この現場を放って行く価値のある何かがあるのですか?」
「ある、かもしれないということに気がついた」
「何です?」
「『重要な”物証”』だ」
 明らかに信じていないような声を上げたのはアランで、ヴェラはただ強く困惑の混じった目を細めたようだった。
「冗談で言っているわけではないが、ある意味思いつきとは言えるかも知れない。ただ、俺の遭遇した馬車の事故当時のことで、今し方思い出すことがあった」
「忘れていた大事なことを思い出したと?」
「そうだ。――だが、確証はない。その上で俺が早とちりしないように、一緒に確かめに来て欲しい」
 具体的には語らず、ふたりの反応を見る。
 この場でこの表情で、軽い考えだと思っているわけではないようだ。だが迷っている。”物証”に関することであれば、例え無駄足になろうが情報は逐一確かめて正誤を確認する必要があるだろう。だが今は非常事態なのだ。どちらも正にクリスたちに与えられた任務に関わることであるだけに、決めかねる気持ちはクリスにもよくわかる。
 周りの喧噪とは隔絶されたような沈黙は、実際には十数秒にも満たない程度だっただろう。やがて重い息を吐きながら、ヴェラは硬い表情のクリスを見上げた。
「先ほど、王宮の爆発に遅れてすぐ、ハウエル法務長官の自宅、それに裁判所の一部でも爆発が起きました」
「……え?」
「幸い長官は不在、裁判所も既に閉められていたために、怪我人もほとんど無く、こちらよりは落ち着いた状況です」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
 これにはさすがに、アランも目を見張ってヴェラを凝視する。
「そんなの聞いてない! どういうことだよ!」
「殆ど時間差はありませんでした。こちらの被害の方が遙かに甚大である以上、知らなかったとしても当然かと」
「そうじゃなくて!」
 アランの言いたいことは判る。クリスの話というひとつの大きな流れを横から切ったばかりか、別の大きな情報をそれこそ爆弾のように投げ落としたのだ。何を意図してその言葉を選んでいるのかがどうにも判らない。
「それは、遠回しに拒否しているのか?」
「いいえ」
 はっきりと首を横に振り、ヴェラは続ける。
「長官宅と裁判所、爆発物を投げたと見られる人物が逃げていったのが目撃されています。向かったのは財務長官の家もある区画の方面ということです」
「なっ……!?」
 クリスの言葉を無視するように一方的に告げられる情報に不快感を滲ませていたアランも、最後のくだりには別の意味で顔を歪ませることとなった。
 顔に表情を乗せぬまま、ヴェラはそんな彼を横目で見遣る。
「現在、その情報は伏せられていますが、一部の公安の者が確かめに向かっています」
「そんな! すぐに、行か」
「待ちなさい」
「……何で止める!? 次はオルブライト様の家が危ないかも知れないだろ!?」
「確率は半々です。現在まだ他の場所で爆発は起きていません。みっつの場所では移動時間を考慮すべきではない程度にはほぼ同時に起きました。そこから更に事件を起こすために逃げたとは考えにくい状況です」
 ヴェラの言うとおりだ、とクリスは思う。何の前触れもない突然の出来事だったからこそ、ここまでの混乱を引き起こしたのだ。敢えて財務長官の家の爆破のみを遅らせる必要性はない。
 つまりは爆弾を投げて逃げた人物が「仲間」のところへ逃げる途中を目撃されたか、或いは想像上でも次に狙われると予測しやすいオルブライト家へ人々の目を向けさせるための陽動か。
(いや、簡単に情報規制できる程度なら、陽動とは考えにくい)
 ならば単純に前者となるか。――否、それもあからさまに過ぎる。
「クリス」
 この場にいる誰よりも冷静な声に、クリスははっとして瞬いた。
「現在の状況は、混迷を極めています。街でもかなりの騒ぎとなっているでしょう。その状況で、それでもあなたの家に確かめに行くほどのものが、あなたの確証の中にはありますか?」
「――」
 そういうことか、とクリスは思う。やること、やらなければいけないことは山積みだ。その中で最優先にする必要性と覚悟はあるのかとヴェラは問うている。
 一度喉を鳴らし、しかしクリスは毅然とした態度で言い切った。
「ない」
 それが本音だ。あの現場から”物証”が持ち逃げされていないのなら、運び出されたものの中にあるはず。そのひとつの可能性がクリスティンの遺品というだけだ。
「だが、”物証”がどこに行ったのかという事に関しては、ある。俺たちがずっと探していたものだ。こんな状況だが、平行して行う必要はある」
「……確かにね」
 頷いたのはアランである。
「今まで全く手がかりもなかったくらいだからね。今から爆発の調査をやったところでもう既に後手に回ってる」
「では、あなたが一緒に行きますか?」
「僕はオルブライト様の所へ行く。そっちも動きがないか確認するのは必要だろ? こう言っちゃなんだけど、正直、法務省のいち職員より財務長官の秘書って方がこうなってしまったら融通が利くんだ。検問とかも場合によっちゃゴリ押せる。だから、あんたがクリスと行けばいい」
 肯定しておいてそれはないだろうとも思うが、アランの言うことにも一理ある。
 後はヴェラの意思だと思い見れば、彼女は小さくため息を吐いたようだった。
「いいでしょう。私が同行します」
「……いいのか?」
「私たちはもともと、”物証”に関する一連のことを補佐するために集められたのでしょう? 探す手がかりを掴んだというのなら、否はありません」
「ありがとう」
「ただし、今はとりあえず、クリスの実家へ行くだけです。それ以上のことは、通常から逸脱した今では調べることも困難でしょう」
「判った。……アラン、爆破に関することは宜しく頼む」
 レイ家と言えば、今居る場所からはそれなりに離れた場所にある。そうと決まればゆっくりしている時間は惜しい。
 オルブライト家のある区画へ向かうというアランとは財務省本館の入り口で別れ、クリスとヴェラは人通りの少なくなった大通りへと足を走らせた。街角には軍服を着た者が数人単位で立ち、街の者へ自宅へ戻るように声をかけている。クリスたちもそういった人々と同じ方向へ向かっていたためか、彼らが見咎めてくることはなかった。


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