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 強ばった顔をしかめて苦言を呈するのはダグラス・ラザフォートだ。知ってはいたが、軍務長官とここまで対等に話せるとは相当に肝が太い。
「で、被害の状況は?」
「王宮は増築部分がやられました。丁度管理官たちが仕事をする一角に近く、死傷者はそれなりの数になるかと。裁判所と法務長官宅はほぼ無人だったため、建物の損壊が酷い程度です」
「他は」
「一般の住宅街及び商業区、歓楽街、それに財務省本館などにはなにも」
「そうか。……くそ、だから気をつけろと言ったのに」
 軍務長官の舌打ちは、王宮に向けてのものだろう。軍施設内部で爆発物が見付かったのなら、警告が通達されていてもおかしくはない。法務省関連施設とハウエル宅の爆発は、おそらくはわざと放置されていたとするべきだろう。
 だが、とルークは息を荒げた。
「お待ち下さい、私は何も聞いていません!」
「勿論、通達したに決まっている。だがお前は不在、副長官は何故か、既に知っているふうだったがな」
「!」
「爆発物が見付かったという報告はなし、財務省関連施設に被害なし、か」
 呟く軍務長官の視線が含みを帯びる。
 蒼褪め、ルークは一歩後退った。はめられた、と確信する。加えて自分の行動が下に穴を掘るものだったということも。
(あの男はどこまで)
 組織の一員ではないかという疑惑を方々に植え付けたまま、否、今回の一連の事件の黒幕であるという罪をなすりつけ、口を封じる気なのかもしれない。そしてルークに家に居ろといった背景に、所在を明らかにしておくという意味が含まれていたのなら。
(私はこのままここにいた方が安全なのか? ――いや、そうなったら)
 家にいる者に何をしでかすか判らない。
 思い、今度はさっと顔を紅潮させ、ルークは踵を返す。
「どこへ行く?」
「……っ、本当に財務省が無事か、確認へ向かいます!」
 咄嗟の嘘を叩きつけるように叫び、ルークは開け放たれたままの扉から表へと、逃げ出すように走り抜けた。


「まさか、本当に疑ってるんですか?」
「まさか」
 厳しい顔のまま吐き捨てるように呟き、軍務長官は部下の方を向く。
「半々だな。完全に裏切っていると言うには、奴の仕事ぶりは献身的すぎる。それに――いや、今はそれどころじゃない。他にも報せたいことがあるんだろ?」
「ご明察。西からの報せです。レアル国の軍が動きました」
「――ハン、頭の軽いことだ」
「ベルフェルのギルデン将軍がうちに居座っているものだから、焦ったんでしょうね」
 レアルはイエーツから見て西に位置する大陸の端の王国だ。北のベルフェルとの関係は一触即発の状態で、交易はイエーツ方面から伸びる街道一手に頼っている。
 イエーツの方から特に圧力をかけているわけではない。だが諸外国から運ばれてくる品の値段は、主にイエーツ側が定める関税に左右される。それに口出しをする力を手に入れたいのだろう。イエーツの混乱に乗じて国境を脅かしてくる可能性については、前々から上層部で危惧されていたことだ。今更慌てることもない。
「どうもあの御仁は、うちの国を使ってレアルに火傷を負わせたいようだな」
「あの人ならやりそうですねぇ」
「……お前がのんびり答えてどうする」
「あー、ええ、判ってますよ」
「判ってたらとっとと動け。ああそうだ、奴を追う前に第一大隊全軍に招集命令をかけろ。各方面の警備に当たっている奴ら以外は前回と同じ非常事態の体勢に移れ。第二、第三大隊には西に向かって貰う準備だ。夜が明け次第情報を待って集合。レアル方面へ威圧をかける」
「はいはい。では第一大隊長に長官の部屋に行くように伝えます。それでいいですか?」
「その前に、ダグラス」
「はい?」
「王宮の爆破による被害者は判ってるのか?」
「さすがにそれは無理ですよ。頑張って助けてる最中ですし」
「そうか。ならいい、行け」
 首を傾げる部下に手を振って促し、軍務長官は指でこめかみを掻く。
 そうして怪訝な顔のまま、その思いを引きずるように躊躇いがちに部屋の扉が閉められた後、彼はぽつりと呟いた。
「……あの狐が通達を無視するとは思えんし、……まさかな」

 *

 暗い街へと飛び出したルークは、待たせていた馬に乗り薄暗い街を駆けた。
 嫌な予感がする。おそらくあの男は、ルークを窮地に立たせるために今日この日家に居るようにと命じたのだろう。爆破が予定通り行われたと言うことは、計画が漏れていたということを知らない可能性が高い。軍務長官は今朝暗号が解けたと言っていたが、優秀な諜報員を持ち情報戦の重要さを熟知している男だ。わざとこのギリギリのタイミングを選んだとみて間違いないだろう。
 今日、「命令」を破って出勤していれば、と後悔が胸の奥から湧き上がる。そうすればきっと、と思う反面、あの男の脅迫に屈したのは自分だと自嘲が浮かぶ。
(だが、どうか、どうか――)
 ついに親を早くに亡くし、更に子供に恵まれなかったルークにとって、妻は何にも代え難い大切な家族だ。それをあの男はよく知っている。だからこそ、自宅に居ることが罠のひとつだと疑わざるを得ない今の状況にあっても、ルークは戻らなくてはならない。
 家の周りは静かだった。緊迫した張り詰めた雰囲気は感じられるが、某か被害の及んでいる様子はない。ぽつりぽつりと浮かぶ灯りを横目に、ルークは道を急ぐ。
 この時、安堵よりも不審を覚えるべきだったのだろう。だが実際は、間に合ったという思いだけが先行していた。
 そのまま辿り着いた家の前で馬を止め、地面に足を付く。一歩二歩踏みだし、その直後、ルークは門の内側に転がっていたものに躓きたたらを踏んだ。
「――っ」
 植え込みに手を突きどうにか体勢を立て直したルークは、自分の足がかかったものを見て目を見開いた。
 人だ。暗くてよく判別は付かないが、少なくとも体格のいい男であることは間違いない。横にずらした目が、斑に汚れた剣を映す。
(まさか)
 知らぬうちに後退ったルークは、体を捻り館の方へと駆け出した。途中、整えられた庭にひとつふたつ、動かない人間の体を見つけ顔を蒼くしていく。
「誰か、誰か無事か!?」
 普段この時間帯であれば厳重に閉めきられているはずの扉が開いている。玄関は無人。だがいつも通り整えられた空間は、だからこそ異様に映った。


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