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24.


 ようやく辿り着いたオルブライト邸。既に開かれていた扉の中へ、馬を下りるや一直線に駆け入ったクリスは、その双眸に映った光景に体を竦ませた。
「……レスター?」
 薄くかかっていた雲が去り、夜空の星はいつになく明るく地上を照らしている。玄関から、窓から、物を判別するに足るほどの光が差し込み、闇に慣れたクリスの目は室内にいる人物の顔を正確に捉えていた。
 床に転がる男がひとり。その背にレスターが足を乗せている。
「な……にをやっている」
「見て判らないか?」
 彼らしくもなく嘲るような笑みを浮かべ、レスターは乗せていた足で下の人物を蹴り上げた。
「こいつを殺しに来たんだよ」
「エルウッド、貴様、……!」
 上手く言葉にできないほどの怒りを放っているのはアランだ。数十分ほど前に別れ先にオルブライト邸へ向かった彼だったが、そこで数人に囲まれ、結局はクリスたちとほぼ同じ到着となった。彼と共に戦っていたキーツはやはり、別方面から向かう途中に襲われて撃退したと言う。
 ふたりの奮闘のおかげで実質戦わずに済んだクリスだが、オルブライト邸の周辺に敵がいた以上、取り囲まれた内側が平穏だとは思っていなかった。――だがそこで、姿を消したレスターに会うとなどといった事態に陥ることは思ってもいなかった。
 驚愕と困惑をどうにか飲み込み、クリスは掠れた声でレスターに問う。
「何故、お前が長官を害するんだ」
 感情を極力抑えた声音を一蹴するように、レスターは顎を反らして笑った。
「そんなこと、決まっているだろう?」
「それは」
「その奥にいる、そいつらの仲間だってのか!?」
 叫んだのはアランである。背に負っていた弓に矢をつがえ、狙いを正面に合わせて奥歯を鳴らす。
「やっぱりお前は裏切ってたのか!?」
「何とでも言え」
「貴様!」
「アラン、止めろ! レスターを罵倒したところでどうにもならない」
 むしろ自分に言い聞かせるように言い、クリスは激昂するアランを腕で制す。
「レスター」
「……」
「お前、この為に無理をして抜け出したのか?」
 クリスは、わき出る感情を堪えるように目を細めた。
「組織のためにこうして長官を殺そうとしているなら、お前を襲っていたのは誰なんだ? 組織の連中じゃなかったのか?」
 レスターは答えない。
 無表情のまましばらくクリスを見つめていた彼は、やがて右――クリスたちにしてみれば左の方へ顔を向けた。そうして、そこにいる男へと声をかける。
「行け。私がここを止めておいてやる」
「! レスター!」
「騒ぐな。静かにしてないとどうなるか、判るな?」
 声に凄みを乗せ、更にレスターはオルブライトの頸もとへ剣先を当てた。ヴェラとアランが息を呑み、キーツが強く拳を作る。
 だがむろん、それぞれ怒りに満ちたとしても誰も動けない。
「いい判断だ。――だがさて、もうひとり厄介なのがまだ見えないだろう? 今の内に行け」
「へぇ?」
「行け、と言っている」
 もうひとり、丁度階段の影になる部分に何者かが潜んでいたのだろう。奥で朧な輪郭が動揺するように揺れた。
 しかし、手前にいる男の方は動かない。
「ふ、く、あ、あはははは!」
 突然の哄笑にぎよっとしたのはクリスだけではないだろう。
「可笑しいねぇ! なるほど、そういうわけか! これは、してやられたな」
「! その声、……お前は!」
「やぁ、久しぶりだねぇ。あんたもなかなか悪運が強い」
 楽しそうな声は、間違いなく毒を喰らった夜の男のものだ。仮称ルーク・セスロイド、推測ヴィクター・リドリー。今、彼の腹は突き出ていない。動きやすさを重視しているのか、暗器の隠し場所を他に持っているのか。
 そんな彼は場違いなほどに明るい声を出して手を叩いた。
「いいねぇ、いいねぇ、だけどさ、それならここで、全員ぶち殺してやるってのはどうだい?」
「なっ……!」
「その男の命が大事なら動くなって言や、俺ひとりでも殺して回れるぜ?」
 舌なめずりのひとつでもしそうな声音に、クリスはさっと血の気を引かせた。だがその後ろ、静かに立っていたヴェラが鋭い声を発す。
「やれるものならやりなさい。ですが少なくとも、私は抵抗します。他人と自分の命、比べることもありません」
「へぇ?」
「きれい事など言う気はありません。それに、全員というからには所詮財務長官も殺す気でしょう? 無抵抗でいる意味はありません」
 どこまでも冷静な言葉に、クリスははっとして額から温くなった汗を流す。確かにヴェラの言うとおりだ。雰囲気に呑まれ危うく騙されるところだったと男を見れば、彼は心底可笑しそうに嗤っていた。
「あはは、バレたなら仕方ない」
 もう少し明るければ、男の表情まで見て取れただろう。だがそうではなかったことにクリスは一種の安堵を覚えていた。
 見たら最後、きっと戦慄は抑えられない。
「まぁいい、さすがにこの人数はキツし、今は確かに逃げた方が良さそうだからねぇ。諜報員の坊やがどこにいるのかも判ったもんじゃないし」
 お言葉に甘えるよ。
 そう言い、男は踵を返す。
 逃げる。その動きを見て、キーツが声を上げた。
「退け、エルウッド!」
 だが、レスターはただ薄く笑ったようだった。
「追えばいい、だがその前に、私の手元が狂うがな」
 俯せのまま状況は見えないまでも、足音で察したのだろう。ここでオルブライトが呻き声を上げた。
「わ……たしのことはいい、追いなさ」
「黙ってろ。それとも狙っているのか? そんなことを言われてあなたの部下が行けるわけなどないだろう?」
「卑怯者……!」
「なんとでも」


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