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 涼しい顔のレスターを、アランは殺意を込めて睨み付ける。だがそれでも、彼が動くことはない。
 そうした遣り取りの間に、男と、暗がりの方にいた者達は裏から去っていったようだった。戸が閉まる音に続き、裏の庭木がざわりと非難の声を上げる。次いで少し遠くで馬の嘶きが聞こえた。
 反して、邸内の沈黙は重い。息を呑む音すら聞こえそうな状況のまま、数分が経過した頃だろうか。
「いつまでそうしている」
 怒気を湛えた声を響かせ、キーツが一歩進み出た。
「レスター・エルウッド」
「なんです?」
「お前を、現行犯で捕らえさせてもらう。まさかこの人数相手に、長官を人質に切り抜ける気はないだろう?」
 オルブライトは生かしておいての人質だ。レスターがここから逃げるには彼を盾にする必要があるが、今はそうした体勢にはない。踏みつけている現状から倒れているオルブライトを引き上げている間に、アランの構えた弓矢に貫かれることとなるだろう。
 キーツの言葉に、レスターは肩を竦めたようだった。そうして、従うように一歩二歩、オルブライトから遠ざかる。怒り心頭といった様子のアランの挙動に注意をしていたクリスだが、それは杞憂に終わった。
「オルブライト様! ご無事ですか!?」
 憎い相手を殴るよりも敬愛する上司への心配が勝ったらしい。アランはオルブライトを害する物がなくなったと判断するや、一直線に駆け寄り膝を突いた。そうして手を握り呼びかける彼を横に、キーツがため息を吐く。
「ヒルトン」
「はい」
「遅いかも知れないが、奴らがどこへ向かったか、周辺を探ってみてくれ」
「判りました」
 本当はここで、クリスもヴェラと行動を共にするべきなのだろう。充分に時間を与えてしまった以上、襲撃者達が完全に去ってしまっていることはほぼ確実だが、それでも残党が追う者を叩きに残っている可能性もある。
 だがクリスはレスターを見つめたまま、その場から動けなかった。
「レスター」
「なんだ?」
「お前が隠したかったのはこれか?」
「さてね。だが結果のひとつであることは確かだ」
 煙に巻くような言い方に、相変わらず本音は見えない。その顔に浮かぶ微笑は酷く端正な彼に似つかわしく、精巧な仮面のようだった。柔らかそうでいて、全てをやんわりと撥ね付ける。
 続ける言葉を無くしたクリスを退け、キーツはレスターの前に如何にも重そうな鉄の塊を取り出して見せた。
「エルウッド、腕を出せ」
「! それは」
 顕著な反応を示したのはクリスである。命じられたレスターはと言えば、片方の眉を器用に上げただけだった。
 キーツが示したのは、犯罪者に付ける腕輪だ。言ってみれば大きさだけが異様な無骨な代物だが、その重さ自体が某か武器を使う上で枷となる。特定の鍵でしか解錠できない複雑な構造を持っている上に、服の下に隠すことが困難なほどの一部突起のある形状がそれと判るほどに目立つようになっている。
 当然、悪用を避けるため誰しもが持てるわけではない。一般人にもその存在は知れ渡っており、少しの買い物すら不可能となる代物なのだ。キーツにしても、こんな夜でもなければ持ち歩いてはいなかっただろう。
 そんな物騒な物を前にしながら逆らう様子もなく、レスターは利き腕をキーツの前に突き出した。
「……抵抗はしないのか?」
「逃げる気などない」
 その目に浮かぶのは、諦めか覚悟か。クリスが唖然としている間に、キーツはレスターの腕に腕輪を嵌め錠をかけた。実際には公安局のいち職員の権限を越える措置だが、この場には他に決定権を持つ者はいない。オルブライトが強引に口を出せば、或いは従わざるを得ないことにもなるだろうが、今はアランの介抱を受けながら自身で痛みを抑えている最中だ。
「調べは後で行う。これから」
「待て、待ってくれ!」
 我に返り、クリスはふたりの間に割って入る。
「今、レスターの妻が死にかけている」
「……? どういうことだ? 何故レイがそれを知っている?」
「レスターを捜している途中、家に行ったときに聞いた。レスターはそれを知らないんだ」
「本当か、エルウッド」
 キーツの顔は、疑念の中に若干の戸惑いが混じっている。レスターはさすがに驚いたように目を丸くしていた。
「演技じゃなかったのか」
「レスター!」
 ある意味、知らないとそのまま答えるよりも真実味を帯びていると言えるだろう。ユーリアンの危惧した通りと言うべきか。
「……お前の妻は毒を飲んでかなり危険な状態だ」
「だから?」
「家に帰れ」
 レスターを一度睨み、クリスはキーツに視線を戻す。
「犯罪者の腕輪を付ければ充分でしょう。面も割れてますし、逃げようがありません。だからせめて、今ばかりは家に戻してやってください」
「……」
「お願いします」
 言い、クリスは頭を下げた。
 それで、事態が好転するとは思わない。だがこのまま、レスターが本当のことを話さないまま牢へ繋がれるのは避けたかった。そうなってしまえばきっと、何もかもが決められた手順のまま流れて消えてしまう。
 提示できる証拠など何ひとつない。ただクリスは信じたかった。最後に「仲間」として別れたときの感謝と親しみを、嘘だと思いたくはなかったのかも知れない。
 そうしてキーツの靴の先を見つめるクリスの背に、ため息と、次いで冷たい声が降りかかった。
「君にそこまで頼まれる覚えはないのだがな」
 拒絶だ。その突き放すような声を耳にした瞬間、クリスはカッと頭に血を上らせた。
 その感情の変化は、けして期待を裏切られたというところからきたものではない。哀しかったからでもない。悔しかったからでもない。
 ただ、わき起こったのは怒りだった。何故そこまで自分を追い詰めるのだと、そう思った。
「ふざけるな!」
 振り向き、クリスはレスターに詰め寄った。
「俺に頼まれる理由はない? なら何故!」
 そうして胸ぐらを掴み、拳の代わりに言葉を叩きつける。


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