[]  [目次]  [



「アランは黙ってて。どうですか、長官。僕は軍務長官直属ってことを考えて答えてください」
 ここで何故上司の威を借りるのかはクリスには判らないが、オルブライトが本当のことを言っているのかは同じく疑問だった。必死な様子から嘘は吐いていないとは判るが、某か騙されている可能性もある。
 ダグラスの視線を受け、オルブライトは項垂れる。
「怪しまれても仕方のないでしょう。……ですが、さっき言ったことは間違いありません。終わったら、全部話します。どうか」
「オルブライト様……」
「それに、妻も連れ去られてしまいました。彼女を助けたいのです。どうか、今だけは協力お願いします」
 辛そうに、心底それが苦痛であるようにオルブライトははっきりと顔を歪めた。穏やかながら強い意志をもった国の重鎮の、今は憔悴した様子に胸の奥が痛んだのはクリスだけではないだろう。
 堪らず、クリスはダグラスの腕を引く。
「時間もない。それに、少なくとも今は、長官の仰ることは嘘ではないと思う」
「……仕方ないなぁ」
 肩を竦め、ダグラスはキーツに目を向ける。
「クリスもああ言ってますし、行きましょうか」
「お前が仕切ってどうする」
 呆れたようにキーツはため息を吐き、一同をぐるりと見回した。
「全員、武器は持っているな。奴らを追うぞ」
「はい」
「長官、案内を頼みます」
「――ありがとう」


 そして、全員が同時に足を踏み出した。

 *

 星明かりが良好とは言え夜は夜、狭い道を馬で飛ばすことは難しく、自然、進みが遅くなる時もある。そんなときに主に、どうやって組織の者を捕らえるかという話が幾つか交わされた。
「やはり、応援を呼びませんか?」
「駄目だよ。事情をわかってない人が来ても、奴らを刺激するだけで役に立たない」
 主犯の男を初めとして手練れが揃っていると思われる状況で、ヴェラや怪我をしているオルブライトを戦力に数えるには厳しいものがある。故に戦力の補強をと主張するのがヴェラで、それを否定するのがダグラスだ。
「僕たちは奴らを捕らえるか殺すかする必要がある。けど、奴らは逃げ切れればそれで勝ちなんだよ? おまけに奴らは目的地を知っているけど僕たちは知らない。もともとのアドバンテージに違いがありすぎる。例えるのは微妙だけど、チャンスは一回きりの奇襲を狙うっていう無茶なミッションだよ、これは」
「クリスはどうですか?」
「悪いが俺もダグラスと同じ意見だ」
 この時、先頭をキーツ、次にアランとオルブライト、ダグラス、ヴェラ、クリスの順に進んでいた。固まって進み某か罠に掛かっては元も子もないという意見から、ダグラスの前方はやや開けている。案内役のオルブライトが先頭に近い場所に位置する必要性から、出発してしばらく、たまにダグラスとヴェラが入れ替わるくらいでほぼ列は乱れていない。故に議論を交わすのも必然的にこの三人だっった。
「それに、街に兵が少ない。前の時はもっと広範囲に散ってただろう? 他にどこかで動きがあるんじゃないのか?」
「あらら、クリスはたまに鋭いね。その通りだよ。レアル方面がちょっときな臭い」
「なっ……」
「だから明日威圧をかけに軍を動かす。その為に準備している部隊があって余裕がないんだ。だから余計に応援なんて無理だよ」
「そうか。――こういうとき、レスターがいればな、と思う」
「あいつは一番強いからねぇ」
 しみじみとダグラスは頷く。実際に剣を合わせてレスターの実力を実感済みのクリスは尚更だ。そんな男達に対して、精神面では一番強くドライなのがヴェラである。
「居ない人物を惜しんでも現実にはどうしようもありません」
 希望を現実の刃で真っ二つ、といったところか。
「それよりも財務長官の話ですと、主犯の男は鍵をも持って逃げているそうですね? そちらを奪う必要もあります」
「それだよねぇ。頭が痛い話かも」
 ダグラスの言葉に、クリスは腰の袋に携えた小箱を思って短くため息を吐いた。もう少し早く気づけていればと思う一方で、危機に瀕したからこそ思い出せたという認識もあり、実に複雑な心境だ。
「少なくとも箱の方のからくりは、時間をかければ鍵が無くても強引になんとか出来る。それにこれが”物証”の箱だという可能性があるだけだ。問題にするのは、長官の妻の身柄を保護することだろう?」
「……つまりどっちにしても、あの男をなんとかしないといけないんだよね」
 気の重い話である。一対一では勝てないことが判っているだけに、どうにも難しい。
「まぁそれも無事追いつけたらの――ん?」
 言いかけたダグラスが前方に軽く姿勢を崩す。どうやらアランが何かを言っているらしい。
「あ、そうなんだ。わかった」
「何ですか?」
「そろそろ目的地が近いから、黙った方がいいって」
「了解」
 確かに随分と進んだ、とクリスは気を引き締めた。
 西の街道へ出るには城壁の門を越える必要がある。六人が進んでいるのは軍の訓練場の敷地を抜けて進む道だ。勿論一般人の立ち入りが許されている場所ではなく、騒ぎに合わせたようにただひとりの人影もない。クリスはともかく、ダグラスまでがそういえばこんな道あったかも、と思い出す程度の知名度と知れば納得の思いである。
「この道、真っ直ぐに王宮方面に進めば、古い水路に繋がるかもしれません」
 狭い道に差し掛かり、一旦止まったあたりでヴェラが呟いた。なるほど、と頷き、クリスは視線を後方へ送る。王宮と井戸を通して繋がっていた旧水道、それが伸びに伸びて古い船着き場と繋がっているというのなら、偶然ではないのだろう。だがそれがどういうことを示すのかは、今は考えない方がよさそうだ。
 そのまま河から派生した小さな川を幾つも越え、沈黙の中を出来るだけ速く駆ける。
 やがて先日の雨で水かさを増した河のほとりに着いた時点で、先導していたキーツが馬を止めた。後続の三人も緩やかに速度を落とし、顔を見合わせる。
 何事かと追いついて耳を澄ませば、オルブライトが小さな声で指示を出しているようだった。
「あの橋を渡る必要がありますが、この先は河の氾濫で流された石や倒木が所々にあります。馬で進むのは難しいでしょう」
「判りました。――聞いての通りだ。ここで馬を下りる」
 越えようとしている河は、王都のすぐ側を流れるものだ。その先にある支流は大きく蛇行しながら進み、最終的には南西の海に抜ける。聞けばその支流の岸に、件の船着き場があるという。むろん、今クリスたちが居る位置からは、高い木と伸びきった草に隠れて見ることは出来ない。


[]  [目次]  [