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 王都で某かの事件が起きた際、探索叛意となるのは前者までだ。これも、組織の者達は知っているのだろう。
 いよいよか、とクリスが緊張を持って馬を下りるのと、アランが弓をつがえるのはほぼ同時だった。
「……居る」
 呟き、躊躇いなく矢を放つ。一瞬遅れて、どこか遠くで人の呻きが聞こえた。
「!」
「殺れたか!?」
 期待も籠もった声だったが、さすがにそう上手くは行かなかったようだ。河原の砂利を踏みならす音が伝わる。
「ちっ」
 舌打ちと共に駆けだしたダグラスが逃げようとする何者かに剣を一閃。どう、と倒れる音と共に笛の音が高らかに響き渡った。仕留めた場所からではない。さらに少し離れた場所にもうひとりを発見し、再びアランが矢を放つ。
 今度は命中したようだった。――だが、笛の音は続く。
「見つけられてしまったようですね」
「もとより、隠密行動なんてとれる状況じゃない」
 できればもう少しは近付きたかったがと思いつつ、クリスは飛んできた矢を躱す。こちらは器用に弾き返し、ダグラスは額の汗を拭った。
「仕方ないさ、長官の言うことが本当なら、追っ手を見張るには渡河地点を押さえればいいわけだから、ね!」
「だがつまり、行き先はこの先で合っているということだろう!?」
「喋ってる場合じゃないだろ!」
 いくら夜に慣れた目とは言え、敵を捉えにくいのだろう。アランは持っていた矢を使い果たし、最後には敵の放った矢を無理矢理放ち、それでどうにか闇に潜んだ射手を落としたようだった。
「よし、走るぞ!」
 攻撃手段のために近くに落ちた矢を集めるアランと、怪我人のオルブライトに先行し、キーツとクリスが真っ先に橋を渡る。本来ならここで一斉に襲われていたのだろうと思われるほど見通しの良い場所だ。敵の存在にいち早く気付いたアランに、そうならなかったことを感謝すべきなのだろう。
「っ! 居るぞ!」
 敵も場所が正確に悟られた以上、隠れて探るという手段は放棄したようだった。バラバラに別れたことで数で押せると判断したのか、或いはなりふり構わず足止めをする必要があるほどの距離なのか。
 どちらもあり得ると思いつつ、クリスは剣を振るう。同じく夜に戦った日のことを思えば視界は格段に良く、足場も悪くない。加えて横や後ろを守る存在を思えば、如何にも剣は軽かった。
 それでも敵も相応の使い手だ。そもそもの身体能力は上回っているようだが、やはりクリスの技量が枷となっている。正々堂々と戦えば五分五分、背後を気にしながら守勢に回る立場と積極的に下しにかかっている勢いの違いを加味してやや有利、といったところか。追いついてきたアランの援護を受けてどうにかひとりを倒し、クリスは草の生い茂る道ならぬ道を走る。
 そうしてどのくらい戦い、進んだだろうか。気温に反して流れる汗の量が尋常では無くなってきた頃、後方でヴェラが声を上げた。
「あそこです!」
 指さすのは河の方、そこに微かな灯りが揺れていた。よくよく目を凝らせば、一階建ての建物が並んでいるのが判る。丁度、クリスが毒を喰らい、老人が殺された倉庫あたりの規模を小さくしたような感じだ。
 何十年も前に整備し直された商業区に合わせて船着き場も下流へと移動したと聞く。その時に放棄された場所か。普通であればそれでも某かに利用されそうではあるが、それ以前から街は南の方、東の方へと発展を続けている。水害の危険も高く、また街道から離れていることもあり、人が住まなくなって久しいのだろう。
 よくこんな場所に目を付けたと思いながら、クリスは灯りの方へと足を急がせた。敵は完全に追っ手に気付いている。それでも光が動かないのは、おそらくはあれは河の手前、――船を待っているに違いない。
 その予測は大きくは外れていなかった。ただそこに既に主犯の男も到着していたわけではなく、彼らを待っている一団の灯りだったのだ。
 先行していたキーツがそれに気づき、掠れた声を上げる。
「急げ、着いたら船で逃げられる!」
 先日の雨のために、まだ少し水の流れも早い。古い船着き場だけあってそこかしこに柵や倉庫が残っているのも、クリスたちには都合が悪かった。障害物が多く、岸を離れた船を追うことは不可能に近いだろう。
 故に、何としてでも止めなくてはならない。気絶した女を連れているためか、先を行く敵の走る速度が遅いのが唯一の救いだった。息の切れ始めたキーツとアラン、ヴェラ、オルブライトを置いて軍のふたりが全速力で後を追う。
 ――近い。見えるところまでは来た。
 だが相手も逃げていく。クリスたちが追ってきていることは当然把握しているだろう。そして両者を隔てる距離も。
 男はそれを正確に計算し、逃げ切れることが判っている。
(止めないと)
 相手が足を止めるような何か。止めざるを得ない何か。それを渇望し、思考を最速で回し、クリスは秒単位で消えていく可能性を探し求めた。
(”物証”なら止められるか? いや、ハウエル長官の言葉が本当なら、組織は必ずしもそれを必要としてないはずだ)
 思う間にも、川岸は近付いていく。チャンスは少ない。間違えればそれでお終いだ。
(組織は何を目論んだ? 最終的にはオルブライト長官の殺害、いや、もしかしたら長官に何か罪をなすりつける気だったのかも)
 ダグラスに疑惑の目を向けられたときのオルブライトの反応からして、充分にあり得る話だ。
(そのために騒ぎを起こして長引かせ、オルブライト長官の行動が怪しいと思わせ、不審の種を蒔いて、――今日、その締めくくりをした)
 考えろ、とクリスは己を叱咤する。
(今までの中で、おかしな事はなかったか? 一から十まで上手く行ったわけがない、奴らも何か失敗しているはずだ。その為に何か取り繕ってはいないか?)
 クリスに顔を見られたことか。否、それが最大の失敗であればクリスはその場で消されていただろう。それで済んだはずだ。
 そこまでを思い、クリスはふと違和感を覚えた。
 ――何故、彼はあの騒ぎを起こしたのだろう。何故自ら危険を承知で彼らを始末したのだろう。
(彼らは、そこまでして見つけ出して殺さなくてはならないほどの大物だったか?)
 否、彼らは事件の中核にはいない。言いように使われる立場より少しばかり重要な任務を与えられた程度の者達だ。
 なのに何故、事件の中心にいる男が始末を付けなくてはならなかったのか。
 そう思ったときクリスは、カチリ、と頭の奥で何かが咬み合わさる音を聞いた気がした。
「待て!」
 そして、声の限りに叫ぶ。


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