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25.


 その結末を、どう受け止めれば良かったのだろう。
 六人を取り囲んでいた者と船着き場のすぐそこにいた男三人を切り伏せ、クリスたちは河に向けて奪ったランプをかざす。だが河は、ただ急くように濁った水の流れを映すのみ。船着き場として利用されていただけあり、彼らの立つ岸のすぐ下もそれなりの深さはあるのだ。加えて、雨による増水と速い流れ。
 すぐにも岸に上がった形跡がないということは、――そういうことなのだろう。
「……増水さえしてなければ、ってとこだけど」
 ダグラスがぽつりと呟いた。
「正直、どうしようもないね」
「だが……」
 言いかけ、クリスははっとして顔をあげた。彼だけではない。他の皆も同様だ。水の流れる音しか聞こえなかった場に、人工的な笛の音。
 河に誰かが落ちたことは、対岸に居る者達にも判ったのだろう。探るようにゆっくりだった灯りの動きが速くなっている。そちらに橋があるのか、河の上流へと向かっているようだった。
「キーツさん」
「ああ、のんびりしている暇はないな」
 嶮しい顔で頷いたキーツにつられるように皆が顎を引き、喉を鳴らす。こうなってしまった以上、ここに留まる理由はない。
 移動の軌跡となるランプをその場に置き、キーツは未だ呆然とするオルブライトをひきずるようにやって来た方の道へと走りだした。我に返った面々も後に続き、王都の方面を目指す。
 敵の位置を示す灯りを横目で把握しながらの道行きは当然楽なものではなく、そして、そのまま逃げ切れるほどに甘くもなかった。
 リドリーが予め指示を出していたのだろう。河岸へ向かう途中に渡った橋の少し手前に、既に数人の敵が待ちかまえていたのだ。唯一幸いだったのは、相手が自分たちの役割を保険的な捉えていたのか、そうと判るほどに油断しきっていたことか。
 ザリ、と土を踏む音に弾かれたように得物を構える一団。突如開かれた戦端は、その闇のためにか、どちらもがどこか手探りの状態だった。
「クリス、前に! 他は脇を固めて!」
 小さくも鋭いダグラスの指示に、否応もなく皆が従い緊張を走らせる。
 前に出たクリスは、主に壁役となって敵を引きつけることに専念した。前の相手をいなし、側面からの攻撃を躱し、時に嫌な汗をかきながらも、ダグラスとともに攻撃の主力となって局面を切り開く。
 この時点で、これまでの戦闘のためにもはや剣の切れ味などは失われていた。殆ど撲殺用の道具と化した剣で急所を突き、力任せに叩ききっている状態だ。他のメンバーも同じようなものだろう。こうなってしまえば、元々の膂力の差が如実に表れる。初めから力に頼らない戦い方をしているヴェラはともかくとして、キーツや、特に矢を失ったアランは苦戦しているようだった。
「……クリス、向こう岸は見える?」
 同時に敵を撃退したタイミングを見計らい、背中を合わせたダグラスがクリスに問う。
「そこそこ離れてるから、人が居たとしても気付かれてはないと思うけど」
「……居るな」
 襲いくる斧を押し返しながら、クリスはちらりと視線をその方へと向けた。確かに、まだこちらには気付いていない様子ではあるが、異変を探るようにいくつもの灯が揺れている。今はまだ距離があるため河の音に紛れて音も届かず、且つ背のある木と伸び放題の草になんとか隠れてはいるが、このまま進めば見付かるのは必至だろう。
 地面を抉りながら一撃を堪えたクリスの横から、ヴェラが細剣で鋭く敵を突く。
「助かった」
「いえ」
 応えるヴェラの息も荒い。彼女も他の皆も、それなりの傷を負っている。むろん正面で戦うクリスも例外ではないが、やはり敵も狙う相手を選んでいるのか、最も軽傷といっていい状態だった。
 そんな周囲を見回し、ここに居る敵を倒したら引き返すべきか、とクリスは思う。知らぬ道を行き迷う方が、無謀を承知で河原の敵の中に突っ込むよりもましであるように思えたのだ。
 だが、それを声にする前に、別の叫びがクリスの思考を止めた。
「オルブライト様!」
 精一杯息を詰めたアランの声、そして必死で口を覆ったと判るくぐもった悲鳴。カラン、と剣が地面を叩く音と、最後の敵をダグラスが屠るのは殆ど同時だった。それを確認し、ヴェラとキーツがオルブライトの側に走る。
「退け、アラン」
 動揺するアランを脇に退け、クリスも呻くオルブライトへと手を伸ばした。切り裂かれた上着からじわじわと血の染みが広がっている。即死、或いはすぐに命に別状が出るというほどではないが、予断を許さない状況であることは誰の目にも明らかだった。
「まずい。傷が深い」
 呟き、素早く自分の上着を脱いで丸め、切り裂かれた場所に強く巻き付ける。これで止血になるとは思わない。しないよりまし、というレベルだ。だがこの場ではどうしようもない。応急処置ひとつとして、のんびりしていられる状況ではないのだ。
「私が背負う、レイ、ラザフォート、敵は頼む」
「……戻るしかありませんね」
 河原を走り抜ける、という選択肢は、もはや取ることが出来ない。
 オルブライトの生死は、様々な意味で重要な分岐点となる。特に重要なのは、彼の死が人身売買組織への敗北という印象を国民へ与えてしまうことだ。不安定な情勢の元、国力の低下を印象づけることは第一に避けなくてはならない。
 誰もが厳しい表情で頷き、来た道を引き返す。これまで以上の緊張を強いられながら、クリスとダグラスはオルブライトを背負ったキーツを間に走り続けた。
 当然、全く同じ道を戻るわけではない。だがそれでも、時間は残酷だった。つい数十分前にはいなかった敵が、既にちらほらと散在し始めていた。
「! お前らは……!」
 待ち伏せ、ではないだろう。偵察に来ていたと思しき敵を薙ぎ払い、息の根を止める。そうしたやりとりを数度。ダグラスがふたり、クリスがひとり沈めたが、切り結ぶ、というほどの戦闘でないにも関わらず、疲労の蓄積が速い。
 体力、そして精神力はもう底が見え始めるほどにすり減っている。限界は近い。特に戦闘経験値で軍人に劣る後ろを走るふたりは、構えを取ることすら億劫になり始めているようだった。
「キーツさん」
 肩で息をしながら、クリスは呼びかける。言わんとしていることはキーツもよくわかっているようだった。
 走れる者だけで逃げ、救援を呼ぶか。このまま踏ん張るか。二択を選ぶ時が迫っている。
(だけど、置いていけるわけが……)
 それは、置いていく方に分類されるふたり、共通の思いだ。逃げることは可能かも知れない。だが、「救援を呼ぶ」ことは不可能だろうと判ってしまっている。
 結論は出ない。
(どうすれば……)


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