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「ですが、財務長官は国のために尽くされておいでです」
「だが、”物証”が発見されたと報告を受けたとき、私はリドリーと交わした契約書だと信じて疑いませんでした。結局、自分のことしか考えていないのです」
「……法務長官との密談は、実際には何が起こったのですか?」
「早急に話し合いの場を設けたことには組織は関与していません。ですが、行動は筒抜けでした。話し合いをしている途中リドリーが部下を従えて侵入し、まずハウエル様を昏倒させました。私は契約書の存在を盾に脅迫を受け、ニール・ベイツという男が居たという嘘の証言をすることを承諾しました」
 巧みだな、とクリスは思う。リドリーがオルブライトに強制していることは、実はたいそれたことではないのだ。逃げ道を残した状態で真実を少しだけ曲げることを求め、それくらならば誤魔化せるという人の狡い部分を的確に突いてくる。もしこれがハウエルを殺せなどといった脅しであれば、オルブライトも即座に拒否したことだろう。
「リドリーは、契約書こそが”物証”であることを匂わせつつ、妻を人質に私に協力を求めました。主には情報を。隠そうとしても彼はどこからかその存在を嗅ぎつけてくるのです。私にできることと言えば、彼から逆に得る情報をもとに、少しでも被害を小さくすることだけでした」
「ヴィクター・リドリーが何を目論んでいたのか……、ご存じなのでしょうか?」
 ヴェラの問いに、オルブライトは少しの間考え込み、やがて小さく頷いた。
「リドリーの狙いは、今や分不相応に国の顔として見られている私の、国民の怒りを買うほど惨めな失脚だったように思います。様々な疑惑を残したまま逃亡すれば、国民は不審と批難の芽を生やすでしょう。それは今の政権への不審へと繋がり、混乱から内乱へ、導くつもりだったのかも知れません」
 オルブライトへの不審はクリスたちにも既に芽生えていた。そんな中オルブライトが逃亡、或いは自殺と見られる死に方をした後で、「組織と遣り取りした手紙」なり「契約書」なりが自宅から発見されたのなら、不審の思いは確定への止めを刺されることとなっただろう。
 密談時点での不可解な行動、素人でもある外国人労働者に見付かるようなお粗末な行動、そして最後のあからさまなほどの爆破事件、それらの意味がオルブライトを嵌めようとしたという一言で片付けられる。
 ”物証”という存在そのものを利用した、実に回りくどく、そのぶん確実に民意を下げることのできる計画だ。
「勿論これはあくまで私の憶測ですが……、これで私の知っていることは全てです」
 どこかほっとしたように言い終えたオルブライトに、一番近くにいたアランが慌てたように口を開く。
「オルブライト様、お待ち下さい。ですが、それなら、エルウッドは」
「彼は、あの男とは対立しているような会話をしていました。おそらく、皆の前で私を組織に狙われた被害者にすることで、立場を守ろうとしていてくれたのだと思います」
「だけど、リドリーがオルブライト様との契約書を持っていて、それを効果的な方法で公表すれば、いずれは三文芝居だったと覆されることにもなりませんか?」
 アランの疑問に、クリスは首を傾げた。
 確かに、契約書が手元にある限り、リドリーはいつでもオルブライトを貶めることが出来たと言える。レスターがそれを知らなかったとは思えない。
(逆に言えば、レスターが、リドリーは契約書を持っていないと知っていたら?)
 あのリドリーを相手に、そこまで知ることが出来るだろうか。否、とクリスは思う。いくらレスターでも、あの男には叶わないという思いの方が強い。
(じゃあ、どこかで偶然知ったとすれば?)
 どこで。
 思い、クリスははっと顔を上げた。
(チェスターの手帳……)
 契約書が何らかの理由でチェスターの手に渡っていたとすれば?
 五年前、オルブライトにしてやられた形となったリドリーが、それを思い出して探し始めたとすれば?
 サムエル地方の館の庭に埋められていたのがその手帳だったとすれば?
 リドリー自身、発見された当時”物証”こそが手帳、あるいは契約書だと判断していたとすれば?
 山中の村で”物証”の一部を手に入れたとき、それが勘違いだと判ったとすれば?
 探索の際にレスターが手帳を手に入れたとすれば?
 そこに、契約書が挟まれていたか、或いは行方を示す何かが記されていたとすれば?
 ――手帳の存在を気付かれ、追われていたのだとすれば?
 いくつかの不可解な点は残っているとしても、おおかたの辻褄が合う。
 いずれにしても、オルブライトの言が正しいのであれば、やはりレスターは、組織とは対立していたということになる。
 都合のいい考えなのかも知れない。だがそれでいい、とクリスは額を手で覆った。
「クリス?」
 笑っていたのだろう。アランが、眉を顰めてクリスを見遣る。
「なんでもない。――オルブライト長官」
「なんですか?」
「苦しいところを、ありがとうございました」
 言い、クリスは立ち上がった。

 ――誰もが、必死で戦ったのだ。自分も覚悟を決めるころなのだろう。

 急に行動を起こしたクリスを訝しげに見上げ、それまで黙っていたダグラスが問う。
「どこに行く気だい? まさか、人には無理だって言っておいて、強行突破でも?」
「まさか。聞きたかったことも聞けたから、表で番をするだけだ」
「じゃあ、僕も行くよ」
「それなら、交代制にしないか? 本当に切羽詰まったら、やはりダグラスに走って貰うことになるかもしれない。だから、先に休憩しておいてくれ」
 いつ来るか、いつ来るかと外の様子を窺い続けるには、夜はあまりにも長い。そう言えば、ダグラスも反論を失ったようだった。キーツは何か言いかけたようだが、現状、戦闘に関してはクリスとダグラスに頼らざるを得ないことが判っているのだろう。目を泳がせた後、頼むようにクリスへと頭を下げた。
 微笑み、クリスは扉を開く。
「――ああ、そうだ、ヴェラ」
「はい?」
「こんな時になんだが、俺は、あなたの期待に沿うことが出来たか?」
 ヴェラは、何度か瞬いた。だがすぐに、かつて自分のした発言を思い出したのだろう。懐かしむような苦いような微妙な表情のまま、彼女は唇に微笑を浮かべた。
「ええ。――でもまだ、及第点を越えただけです。まだ、生きて帰らなければ、合格は出せません」
 彼女なりの鼓舞なのだろう。
 違いない、と笑い、クリスはひとつ手前の空間へと出て扉を閉めた。そして、外から静かに錆び付いた錠を滑らせて鍵をかける。
「レイ!?」
 気付いたのだろう。キーツのくぐもった声と共に扉が叩かれる。
「念のためというやつです。内側からも開かないようにしておいてください」
「莫迦な、何を考えている!?」
「全員が、生きて帰れる方法です。それよりも、静かに。敵が近くにいるなら気付かれます。心配しなくても、時間が経ったら交代のために開けますから」
「だが――」


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