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26.


 レスター・エルウッドの人生は、挫折と後悔に満ちている。
 生まれた日とほぼ同じくして母親を亡くし、その為に父は商売へとのめり込み、彼は親からの愛情というものを知らずに育った。唯一の救いはふたつ年上の兄の存在だっただろう。彼に助けられながら育ったレスターはやがて、父との反目から軍人を目指すこととなる。
 一度目の転機は756年。北方戦争でレスターが負った不名誉な評判が父の事業にも影響したか、それまで比較的順調だった商売に翳りがさしかかった。その損益を穴埋めするために、それまで後継者として商売に携わっていた兄までも軍に所属することとなったのだ。
 数年後、がむしゃらに働き続けた兄が、ひとりの女性を家に連れてきたことはエルウッド家の二度目の転機だったのだろう。
 ステラ・ウィスラーと名乗った少女は王宮に勤める父を持つ資産家の令嬢だった。たぐいまれなその美少女は、兄に一目惚れをしたと言う。
 そして彼女の父の援助や働きかけのもとエルウッド家の事業は好転、王宮での商売を許可されシリル・エルウッドは四位貴人の称号を得た。派手で思考の幼い少女のことはあまり好きにはなれなかったが、父や兄が納得しているのならレスターが口を挟むことではない。これがおそらく、エルウッド家には一番幸せな時だったのだろうとレスターは時々振り返る。
 一方で、レスターの評判は相も変わらず散々なままだった。
 三度目の転機――四年前、対三国同盟戦争北部戦役に参加した際も随分と白い目で見られたものだ。だが兄が捕虜となった事を知ったレスターは奮闘した。奇襲の計画を聞いていた彼は、主に兄を助けるために敵陣に忍び込み、見事再会を果たしたのだ。
 だが、結果は残酷なものだった。牢の中、既に兄は半死状態、とても助け出せる状態ではなかったのだ。そしてそこでレスターは、兄から信じられない情報を得る。
 奇襲の情報を寄越した者も、作戦に同行した者も殆どがフェーリークスの息のかかったものだったこと。部隊に紛れ込んだ幹部を国外に逃がすためにわざと捕虜になる予定だったこと。ベルフェル軍の内通者がいずれ捕虜と閉じこめておく場所を移すという名目で警備体制を一時的に変更し、その隙にフェーリークス幹部がベルフェル内に逃亡する手はずであること。
 兄は、もともと無謀な作戦を立てて数多くを死なせた隊長として人身御供にされる予定だったこと。
 そして彼はレスターが物陰から励ます中、捕虜交換の日を目前にして息を引き取った。
 その後レスターは、得た情報を元に、人手の薄くなった砦内の本当の捕虜を解放。内部から攪乱を行い火を放ち、協力して門の装置を壊し、鼓舞用の銅鑼を鳴らすことでイエーツ軍を引き込んだ。そして、内通者であったベルフェルの司令官の首を獲った。
 どうしようもない劣勢を覆す、大勝利である。前回の汚名を雪ぐどころか、暗雲立ちこめる状況で希望を切り開いた存在として、レスターは一躍勝利の立役者として祭り上げられた。――本人の意思とは別のところで。
 やがてベルフェルが和平交渉に応じたことを切っ掛けとして、三国軍事同盟は崩壊、戦争は一気に終結に向かった。
 そして心身共に疲れ果てた状態で家に戻ったすぐ後、兄の婚約者であった少女から出た言葉を、レスターは一生忘れないだろう。
「投資が無駄になりましたわね」
 そう耳にした瞬間、彼は悟らざるを得なかった。この女は兄のことを愛してなどいない。
 しばらくして、少女の父マーティン・ウィスラーがレスターに婚約話を持ちかけてきたときには嗤うしかなかった。厚顔にもほどがあると言うべきか。あるいは、娘が本音を晒したことを知らないのだとすれば、教育を間違えたとウィスラーは実感すべきだろう。
 父の体調不良を理由に断ろうとしたレスターだが、話はそこで終わってはくれなかった。顔を強ばらせて突っぱねる彼に、ウィスラーは囁いたのだ。
「君の父が四位貴人になった際の罪を教えてあげようか?」
 ――不幸なことにレスターは、その内容をすぐに察するほどに明敏で、それをはぐらかせるほど狡猾ではなかった。
 その後レスターは、一部の自由と引き替えに自分の身以外のものをなくすこととなる。兄の不幸から心を病んだ父、シリル・エルウッドが自殺。その父の商船も商売の権利もウィスラーに渡し、安らげるはずの家庭も家族も財産も押しつけられた妻という女の存在が奪い取った。
 やがてレスターは、ウィスラー一族の裏の稼業を知る。
 ウィスラー家は奴隷の産出場所だった。美男美女を囲い入れ、生まれた子供を高額で売り渡す。そうすることで恩を売り縁を作り、権力者達に食い込んでいるのだ。なるほど、レスターや兄は素晴らしい種馬として映ったことだろう。要するにどちらでも良かったのだ。利用価値があるのならば。
 妻を嫌悪するあまり一度として手を出さずにいた自分に、これほど感謝したことはなかっただろう。以降、これまで以上に軍の仕事にのめりこむこととなり、これが皮肉なほどの出世に繋がることとなる。
 そして幾ばくかの時が過ぎ、レスターがウィスラー自身が知らないことに気付いたとき、またしても彼の運命は方向性を変えた。
 ウィスラーは王宮の為に働いている。見知らぬ者を王宮へ出入りさせる片棒を担いでいることも、身内の美しい男女を要望する者のところへと強引に送り込むことも、「国内で」裏から権力を揮う布石であり、すべては王の、引いては王宮の権力の奪還のためだ。三省の権力者のプライベートな面で弱みを握り、脅し、息のかかった者を送り込むことでウィスラーは王宮に貢献していると思いこんでいるようだった。
 だが、違う。ウィスラーは利用されている。利用しているのは、壊滅したはずのフェーリークス残党だ。
 レスターがそう気付いたことを悟った王宮側、――セロン・ミクソンの対応は速かった。ウィスラーを介さずに、レスターの取り込みを図ったのだ。
 この時点でレスター、否、エルウッド家は更なる問題を抱えたこととなっていた。縁戚のウィスラーが知らぬままとはいえ組織の活動の一端を担っていると判れば、エルウッド家も連座する。
 知らなければ済んだ。だが知ってしまった以上、汚れきったエルウッドの家名に更なる泥を塗るわけにはいかない。
 レスター個人の働きとは別のところで雁字搦めになっていく状況を呪いながら、レスターはミクソンのもとに下った。ただ唯一幸いなことに、ミクソンは人の使い方を良く知っていた。一方的にレスターを利用することはなく、情報とおおまかな任務を与え、後は好きにさせるという方針に決めたのだろう。結果としてレスターは組織の情報を得ることのできる立場となり、手駒となり任務を果たす一方で妨害も可能な立場となった。そういう意味では、レスターは彼に感謝も恨みもしている。
 特捜隊への参加は、そんな立場あってのことだった。情報を流すと同時に与えられる命令を逆手に取り、気付かれぬように裏をかき続けることは困難だったが、やり甲斐はあった。
 誰も信じることはなく、誰にも頼ることはなく、事件は少しずつ進み、犠牲を増やしていく。

 ――お前は知ったこと考えたことをもとに先回りをして、少しでも犠牲者を減らすように動き回ってたんじゃないのか?

 そう、クリスに問われたときは内心で動揺していた。


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