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 そのまま無言の内に川を越え、道という道もないような林を抜け、視界の開けた河原へと侵入を果たす。そこで幾つもの灯りに気づき、レスターとヨークは同時に馬を止めた。
「足場が悪い、降りるぞ!」
 暗がりの中即座に判断し、レスターは飛び降りて剣を抜く。
「ウェリー、アビエル、弓を」
「はい」
 指示を待たずして既に矢をつがえていたのだろう。殆ど時間を置かずに鋭い矢が冷えた大気を裂く。
 馬蹄の響きに応戦準備を済ませていたのか、ひとつは弾かれ、ひとつはランプを掠めたようだった。
「行くぞ!」
 軍のように、鼓舞に応える声はない。だがわずかな緊張と気力に満ちた構えで、捜査官たちは光の群れる場所へと切り込んでいく。連れていた同僚の内、戦闘に長けた者を厳選したのだろう。それを専門とする軍でも通用するほどの技と判断で、彼らは数で勝る敵を次々と相手にしていった。
 勿論、レスターもぼんやりとしていたわけではない。腕輪に多少の不自由を感じながらも常と同じほどに鋭く技を展開し、先頭で道を拓いていく。
 急に現れた一団に、敵が浮き足立っていたこともあるだろう。さほど時間を置かず逃げ始めた数人を素早く昏倒させ、レスターは王都方面へと流れる河をまたぐ橋を渡りきった。
「!」
 そこに転がる死体に瞠目し、レスターは一瞬足を止めた。追いついてきたヨークが、同じように驚きつつ眉間に皺を寄せる。
「それなりに時間が経っていますね。暗くてはっきりとはしませんが、足跡もかなり乱れています」
「河原の方はそこまで乱れてはいかなった。ここで引き返したんだろう」
 尤もな判断と言える。レスター達は逆方面から来たからこそ河原の敵を順当に倒すことが出来たが、今現在いる場所から行こうと思えば、橋を渡るときに格好の標的にされることは想像に難くない。
 そこに、船着き場方面から新たに現れた敵を目にし、レスターはうなり声を上げた。
「ケアリー・マテオ!」
「……ちっ、誰かと思ったら」
 ケアリーが顔をしかめたのは、マイラ・シェリーを連れ出して殺す任務の時を思い出しているからだろう。そういう因縁があるにも関わらず、積極的に向かってこないのは、実力、体力共に劣っていると自覚しているからか。
 更に後ろから現れた近衛兵を見て、ヨークとその同僚たちは目つきを鋭くさせた。
「エルウッドどの」
「なんだ?」
「ここは私たちが相手します。先に目的の場所へ向かってください」
「……わかった」
 法務省の捜査官たちも、はじめに殺された捜査官二名に加え、何人もが組織の手の者に煮え湯を飲まされている。とりあえず刃向かってくる敵、から、明確な憎悪の対象として組織に与しているであろう近衛兵を認めたようだった。
 レスターはしばし迷い、頷いた。
 リドリーを頂点とする組織の残党は、少なくはない。だが殆どが旨い汁を飲みたいだけの日和見で付いている者達であり、号令に従いすぐに集まるような手下はせいぜい五〇名前後だ。どこかで待機している者とこれまでの過程で怪我を負わせた者、今日既に倒してきた者の数を考えれば、あとは数えるほどしか残っていない。リドリーは厄介だが、ケアリー程度であれば、捜査官達もそう遅くはないうちにまた合流できるだろう。
「頼む」
 言い捨て、レスターは再び走り出す。後ろで打ち鳴らされる金属の響きを聞きながら、草をかき分け枝を避け、暗闇の中をひた走る。古びた倉庫が見え始めてきたのは、ひとりになってから数分が経過した頃だった。
(あそこ……だが、どれなんだ)
 河岸に沿って、見える限り延々と並んでいると言った方が良い。間隔は疎らだが、如何にも数が多い。妻の口から告げられたことが本当であれば、あの中のどれかにクリスたちは居る。
 しばし立ち止まり息を整え、考えても仕方ないとレスターは現在地から順に調べていく覚悟を決めた。
 彼の前に、不思議な光が通り過ぎていったのは、そんなときである。
「……?」
 ランプの灯りというのは目映く白い。だがどうにも熱を感じない。
(あれは……)
 実のところ、それを見るのは初めてではない。小雨の降る夜、リドリーを追っているときに今の倉庫街で見たものと同じだった。途中、リドリーに撒かれ同じくして見失ってしまったが、まるで意思をもっているかのような不思議なそれのことは、今でも覚えている。
(あの時も、誘導しているようだったが……)
 結果として、その方を探索している途中に、倒れているクリスを発見したのだ。
 そこまで思ったときに不意に耳が足音を拾い、レスターは反射的に剣を振り上げた。
「ぐっ……」
 見覚えのある近衛兵だ。数は三人。囲まれているが突破できない人数ではない。
 離れていく光を気にしながら、ひとりを斬り、ひとりを蹴り、仲間を見捨てて逃げ始めた最後のひとりを追う。
「この、裏切り者……!」
 相手もまた、レスターのことを覚えていたのだろう。憎々しげに叫ぶその男を、レスターは冷笑を持って見つめた。そして、木の根に躓きかけたところで、躊躇いなく背に切りつける。
「仲間などと思ったことは、一度もない」
 吐き捨てるように言い、レスターは顔を上げる。光を捜しすぐに見つけ、そこではっと息を呑んだ。
 光は、暗い影のような、ひとつの倉庫の上でゆっくりと旋回している。
(あそこか!?)
 クリス、と呟きながらレスターは、残る体力を振り絞るかのようにその方へと駆けた。
 そうして、開け放たれたままの扉をくぐり、硬い床に足音を響かせたところで歩みを止める。
「……クリス?」
 倉庫の中には、どこか生臭い、鉄錆の匂いが充満していた。壁際に数人、派手に血を流した者が倒れている。星明かりを受けて鈍く光るそれは、まだ乾いてもいない。戦闘が終わったすぐ後なのだろう。
 その誰もから離れた倉庫のほぼ中央、半ばから折れた剣を杖代わりに、大きな男が蹲っていた。
 まさか。最悪の結末を脳裏に走らせ、知らず、喉を鳴らす。だが、確かめないわけにはいかない。
 一歩、二歩、冷たい汗の滲む掌を握りながら近づき、レスターは再び口を開いた。
「クリス」
 答えはない。
 蒼褪め、更に近付いたレスターはそこで、男の背中が僅かに揺れているのに気がついた。呼吸。そして、小刻みに、小さく。
 瞬間、安堵が全身に満ちるのを覚え、レスターは額を手で覆いながら深く息を吐き出した。
「なんだ、生きてるなら――」
 返事ぐらいしろ。そう言いかけ、レスターはふと首を傾げた。
 彼の方を見ぬままに、彼に気付かぬように、クリストファーが何か呟いていることに気付いたのだ。
「クリス?」
「……かったんだ」
「え?」
 掠れた声に、レスターは眉を顰めた。そして歩み寄り、前からクリストファーを見下ろして喉を鳴らす。

 ――クリスが、泣いている。

「どうしたんだ、何があったんだ!?」
 引きつり、掠れた声に揺れる背中。
「クリ――」
「良かったんだ。あのままでも」
「……?」
「俺はそれで満足だったんだ。お前がそれを望んでたのなら――……」
 膝を床につき、目頭を押さえ、何かに堪えるようにクリストファーが独白を漏らす。いったい誰に呼びかけているのか。慟哭を凝縮させたような苦痛がそこに在った。
「なのに、何故」
 その、落とされぬ涙の意味が判らぬままに、レスターは口を引き結ぶ。
「何故、逝ってしまったんだ……」


 そうしてそのままダグラスが声を上げるまで、外からヨークたちが追いつくまで、レスターはかける言葉を失ったまま、ただクリストファーの前に立ちつくしていた。


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