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 *

 調査団の引き上げた河岸に、背の高い男が立ちつくしている。
 水分を多く含んだ雪を斜めに流す強い風、好きこのんで長居する場所ではない。某か思い詰めるような顔をしているとすれば、慌てて止める必要があるだろう。だが、男の表情にそうした翳りはない。それを認め、アントニー・コリンズはほ、と息を吐いた。
「クリス、こんなところに居たのか?」
 呼びかけにゆっくりと振り向き、クリストファー・レイは挨拶をするように手を挙げる。顔やその手にまだ傷は残っているが、軍人である彼にしてみればないも同然の代物だろう。
「何やってんだ? こんなとこでぼんやりして」
 数日前までは世間を騒がせていた場所ではあるが、今はもう本当に何もない。死者は埋葬され、負傷者は取り調べを受け、立ち並ぶ倉庫という倉庫は部屋の隅の埃までが鋭い目に晒された。それら全てを行ったのは法務省の捜査官だ。この間軍部の殆どはレアル国の起こした軍事行動への対処に追われ、こちらの調査には関与していない。
 下流の思わぬ場所で男女一名ずつの水死体が揚がったことが確認された後、こうして立ち入り禁止区域指定は解除されたが、未だ血なまぐさい現場に好きこのんで入り込む者は稀だった。
 その奇特な内のひとりに、アントニーは話しかける。
「助けられなかったこと、悔やんでるのか?」
「ああ。だが彼女が自分で決めた決着だ」
 自分の未熟さを後悔するだけで、パトリシア・オルブライトの行動について語る気はないということだろう。
 ここ数ヶ月は随分と饒舌だった――あくまでもクリストファーの基準での話だが――ことが嘘のように寡黙に戻った親友を見上げ、アントニーは小さく笑う。判りやすいクリストファーも良かったが、長年近くにいた彼からしてみれば、やはり今の方が合っていると感じるのだ。
「お前、仕事は?」
「非番だよ。クリスは特捜隊から解放されて、暇なんだろうけど」
「ぬかせ」
 あの日の夕方、レスター・エルウッドの件をガードナーへと伝えた後、アントニーもまた爆破騒ぎに巻き込まれていた。破壊された王宮へ行くことはなかったが、そのまま軍部内に待機命令を出されてしまったのである。
 その後、レアル方面へ出兵するという話が持ち上がったかと思えば、突然アントニーを隊長とする小隊に特殊任務が言い渡され、彼は結局部下と共に河の下流域の警戒に狩り出されてしまった。結局彼らはそうして夜通し働いたまま王都待機となり、翌日予定通り西へと向かった他の部隊は、レアルから弁明の届いた数日前から少しずつ帰途につきつつある。
 けして意図されたことではないが、機先を制し、戦争が始まる前に決着をつけた軍への評価は高く、それはフェーリークスに荒らされた王都の混乱を鎮めることに一役買うこととなった。聞くところによれば、ベルフェル方面からも早々にレアルに圧力がかかったという。北の軍事大国との和平協定が至極真っ当な形で機能していることも人々を安心させる材料となったに違いない。
「それにしても、特捜隊かぁ」
 クリストファーから水面へ視線を移し、アントニーはしみじみと呟いた。
「お前が言えない言えないって隠し事してるからもしやとは思ってたけど、まさか、だよな」
「同感だ」
 特捜隊と言えば、各省きってのエース級のメンバーが集められるのが定番だ。その臨時の部隊が解体されてからクリストファーに教えられたアントニーとエマは、何度も瞬いて呆気にとられたものである。同時に、頑なに隠されていた理由を理解し、あらぬ誤解は氷解することとなった。
「で、軍への復帰は?」
「それは別の話だ」
「やっぱ、二月の模擬戦と御前試合次第なんだ? 対策考えてあるのか?」
「……それなりには」
 頷き、クリストファーはガリガリと後頭部を掻く。僅かに鼻の頭に皺が寄っているのを見るに、彼自身、なかなかそうは上手く行きそうにないと考えているようだ。
 集団戦は現在軍の訓練に直接参加できないぶん、明らかに分が悪い。個人戦を狙うとしても、周りは強敵だらけだ。勝ち進むことだけが評価対象ではないとは言え、復帰をアピールすることが難しいには変わりない。
 そうした考えを直接口にはせず、アントニーは場を明るくするようにクリストファーへと軽口を叩いた。
「お前、あんまり掻くと禿げるぞ」
「まったく。……厄介な置きみやげだ」 
「?」
「なんでもない」
 苦笑して誤魔化してはいるが、アントニーにもなんとなしにその気持ちは理解できる。何故その癖がうつったのかは判らないが、共有できる寂しさと懐かしさからくるものだということは明白だった。
 逆に湿っぽくなった雰囲気にアントニーもまた苦い笑みを浮かべ、次いで彼は帰ろうと促した。
「ここは風も強いし、冷えるぜ? 用事があるなら手伝ってやるからさ」
「いや、帰る、が、――少し待ってくれ」
 言い、クリストファーは利き手を振りかぶる。そうして河へと小さなものを放り投げた。
「何投げたんだ?」
「――預かりものだ」
 聞くな、と目が語っている。言えないというよりは言う気がないのだろう。肩を竦め、アントニーは背を向けたクリストファーの後を追った。
「なぁ、帰りに訓練していかないか?」
「お前が良ければ」
「いいに決まってんだろ」
 笑い、アントニーは親友の背を軽く叩く。

 彼らの去った河岸、その河の中、小さな鉄の輪が水面からの光を小さく小さく弾いていた。


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