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「うわぁ、ホントに無罪になったんだ」
 遠慮のないひとことめは、彼らしいと言えばそれに尽きる。基本的に毒舌ではあるが、言う場と状況は弁えているのも嫌味なところだろう。今、彼――ダグラスとレスターの周りには、他にひとりの影もなかった。体を酷使する各部隊の訓練も終え、皆が休憩を取る時間帯は、こうした誰もいないスポットが出来やすい。
 軍部の訓練場の端、もっとも不便な場所にある野ざらしの椅子、それが彼らの座っている場所だ。間には板に四つ脚を付けただけのテーブルが横たわっているが、体格のいいふたりが肘をつけば、距離は殆どないに等しいだろう。
 もっとも、顔を寄せ合って話す趣味などはなく、ダグラスは背を反らし、椅子を揺らせ鳴らしながら口を尖らせた。
「四位から五位に落ちるくらいはあると思ってたんだけどなぁ」
「それはお前の願望だろう?」
「僕だけじゃないと思うけどな」
 妬みやら恨みやら八つ当たりやら、と指折り数えるダグラスだが、冗談の裏で冷静な判断をもとに予測していたのだろう。若干腑に落ちない気持ちが顔に滲み出ている。
 感情の面ではおおいに同意しつつ、レスターはその結末に至った経緯を話す。
「簡単に言えば、賞罰の相殺だな」
「相殺?」
「政府の方針と今回発覚した諸々の事の辻褄を合わせるために、私という存在を隠したということだ」
 歴代国王と王宮の上層部そのものが、人身売買組織とほぼイコールで結ばれるような存在であったことは、国として絶対に公表できないことである。”物証”をして知り得たことだが、ハウエルが予言していたように、国として随分な時が経過している今、確かに誰にも扱いかねるものだった。形式上国王を頂点としている限り、”物証”の内容を明らかにすることは、国そのものが「大規模な人身売買組織」であると言っているようなものだからである。
 だが、同時に無視するわけにもいかないと、時間をかけて検討された結果、現在の制限君主制から「緩やかな共和制への移行」することが今後の方針となった。同時に長く続いた国の制度の見直しも図られ、今後は階級を定める審査において、重要な地位を定める際は一般民の意見を取り入れられるように検討が重ねられるという。
「王宮側が組織の浸食を受けていたことは公表されることとなるが、さすがにやりすぎると、結局は国第一の決定権を持つ存在が組織そのものだったということになってしまうだろう? それでは国王は白ですと言ったところであまり意味はない。国王のことを隠すのなら、ある程度の上層部もまた白にする必要があったというわけだ」
「ははぁ、つまり、上層部は抵抗をしていたけど、頭の軽い近衛兵や下っ端の王宮管理官なんかが人身売買組織の駒になっちゃって困ってたんだよ! ってことにすることになったんだ?」
「そう。王宮側の権限は、そうしたことへの責任をとるという形で削られていく。だが、少しずつということになった。今の『病弱な』国王が存命の内に発言権を削いでいって、退位の時点で権限放棄ということになるだろうな」
 セロン・ミクソンの裏に隠れて人の噂にも上らないような国王だが、実のところ別段肉体的に病弱ということはない。長年、組織の都合のいいように教育されたために、酒と女と美しい物が好きという怠惰な人間であるだけだ。適当に彼の望むものを与えておけば、強硬な手段を採らない限り、本来持っているはずの、行使したこともない権限を剥奪されていこうと気づきもしないだろう。
「なるほどね、ミクソンを『性格も行状もよろしくはないけど、とりあえず組織とは対立していた』人物にするために、直接指示を出されていた君の罪を問うこともできないってことか」
「組織に追い詰められていた財務長官や君たちを、法務省の捜査官と手を組んで助け出したということは、まぁ状況をみれば事実だからな。後は取って付けたように、ミクソンの密命を受けて組織に与するふりをして情報を集めていた――スパイだったということになった」
「へぇ? で、事実は?」
 ダグラスの問いに、レスターはただ笑う。
「ハウエル長官はさ、元財務長官がダウンした時点で出てくるつもりだったらしいんだけど、君が行方不明になったっていうんで慌てて出てきたらしいんだ。意味深だよね」
「さぁ?」
「ってことはさ、初めから君が重要な位置にいることを知ってたんじゃないの? 例えば、実は本当にミクソンは組織と対立していてさ、君が捕らえられたら芋づる式にミクソンのことまで組織にバレるから困る、とかさ」
「そのあたりは、はっきりはしないだろう。老獪な政治家たちに君が太刀打ちできるならともかく」
 レスターがこれまでの己の行動について、今後も誰にも語ることはないだろう。それはハウエルやミクソンにしても同じ事で、そうして幾つもの事情を裏に隠しながら、国というものは動いていく。国民を保護し、時には騙し、躊躇い、迷い、足掻いていくのだろう。
 知りたければ、自らが深淵に入り込んでいくより他はない。
 ダグラスはレスターの指摘に顔をしかめ、次いで肩を竦めて苦笑した。
「うーん、気苦労は上司の存在だけで充分かな?」
「なら、推測で満足しておけ」
「うんうん。だけどさ、さっきの話だと君の賞の方は判ったけど、罰の方は何に当たるんだい?」
「単純な話だ。情報の秘匿と、縁戚の尻ぬぐいだ」
「……なるほどね。ウィスラー一族は人身売買組織の活動に荷担してたってことで身分剥奪、商売の禁止、一部は強制労働、だっけ?」
 これは、オルブライトの進退にも関わる件だ。一連の事件を通して結局、彼に懸かっていた疑惑は全て亡くなった妻――パトリシア・ウィスラーが過去のことをネタに脅迫されて、内通していた結果ということに落ち着いた。事実、オルブライトが脅迫に屈していた半分の理由は彼女にもあり、全くの嘘というわけではないのだ。
 オルブライト自身はその筋書きに抵抗していたようだが、真実をそのまま公表すれば、結局はリドリーが目論んだ通りの結果が規模を縮小して起こることとなる。こればかりは譲れないとのハウエルの鶴の一声で、「身内のしでかしたことへの責任」を取って、財務長官の地位は降りることとなったようだ。
 世間では生い立ちや亡くなった経緯を合わせてパトリシアへの同情の声も高く、それがオルブライトの処遇について影響を与えている節もあるだろう。代わりにと言うべきか、罰の均衡を図るためにそのぶんウィスラー一族や組織に与していた近衛兵、文官等への刑はきついものとなっている。王宮の爆破に巻き込まれて命を落とした者は意外にも組織の手の者ばかりで、実際に刑に服するのは少数とのことだが、それでも今法務省はその処理に大わらわという状態だ。
「本来君も縁戚として関与を疑われるところを相殺してもらった、ということかな?」
「そのために、所有商船や商売に関する権利などは全て返上したがな」
「痛くも痒くもないくせに」
「まったくだ。せいせいする」
 商売で成り上がろうと必死になっていた父親が聞けば卒倒するだろうなと思いながら、レスターは眼を細めて長々と息を吐く。実質的にはその父の不正も商売そのものとともに「なかったこと」となり、長年の重荷が消えたような気分でもある。過去は消えず、兄が戻ってくるわけでもなく、自分への評価が変わるわけでもないが、半ば強制的に縛られていたものから解放されるのは、如何にも喜ばしいことだった。


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