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 そうした、いつになく素直な様子のレスターに、ダグラスも感じるものがあったのだろう。エルウッド家について深く問いかけることはなく、代わりに幾分下世話な事を口にした。
「それで? 奥さんとは離婚するの?」
「は?」
「仮にもウィスラーの娘でしょ。君が行方不明になったときは次の婿捜しなんかもしてたみたいだし、君も嫌ってたみたいなのにさっさと離縁してないのが不思議でさ」
「……君の、私への評価がよく判ったよ」
「で、どうなの?」
 いつになく食い下がってくるのは、おそらくは美貌の女性を巡って様々な場所で噂好きがネタにしているためだろう。そうした背景もあって、ダグラスの好奇心がネタを求めて涎を垂らしているに違いない。
 別段隠す必要性も感じず、レスターは面白味のない、ありきたりの答えを返した。
「君には悪いが、何もない。『親に無理強いされて』見合いをさせられた結果、それによる心痛で自殺を図った、――今は頼る者もろくにいない女性を、私が放り出すとでも思ったのか?」
「うわぁ、何その取って付けたような世間体を気にした設定!」
「事実だ。離婚はしない。落ち着いた彼女がそれを求めるなら別だが、今その話を持ち出すほど私も鬼畜ではないよ」
 それが本音ということは判ったのだろう。それでも些か面白味に欠ける結果に、ダグラスは唇を尖らせたようだった。
 苦笑し、レスターは話題を変える。
「私のことはもういいだろう。それより、君の用件を聞こうか」
「ううーん、はぐらかされた感じ?」
「私はこれで去ってもいいのだが?」
「あー、うん、それはなし」
 さすがに焦ったように、ダグラスは両手を横に振る。
「うん、僕も忙しいから手短に言うね。クリスにこれを渡して欲しいんだ」
 嘘としか思えない余計な前置きをしてダグラスがレスターに差し出したのは、一封の封筒である。差出人の名前はない。
「……何故私に?」
「僕が直接渡してもいいんだけどね、昨日これを受け取ったんだけど、今日の夜から西に出向く用を言いつけられちゃって。クリスは軍部内にいないしさ、あんまり渡すのが遅くなっても困るから頼みたいんだ」
「ガードナー隊長の方が早いだろう」
「うーん、それはちょっと、ね。この中身を書いた人のことを知ってるのはうちの上司を除けば僕たち三人だけだしね」
 そこまで言われて気付かぬレスターではない。
「近いうちに『いなくなる』んだって。僕もそれ以上は教えてもらえなかったけど」
「そうか。まぁそれなら、判った。近いうちになんとかしよう」
「うんうん、よろしく」
 言い、ダグラスは席を立つ。
「ちょっと長話しちゃったな。じゃあ僕は荷物まとめなきゃいけないから、行くね」
「長くしたのは君だろうが、まぁいい。気をつけて」
 封筒を鞄にしまいながら、なおざりにレスターは手を振る。追い払うようにもとれる仕草だが、ダグラス相手にはいつものことだ。そうした反応をされた方も、さして気にすることはない。親しくないと言えば嘘になるが、互いの根底にあるのはあくまで情報交換の精神だ。それを越える動きを見せたのは、今回の事件が初と言っていいだろう。
(それにしたところで、間にクリスがいなければ、いつも通りだっただろうが)
 去っていったダグラスを目で追うこともなく、用事は終わったとばかりにレスターも立ち上がる。そのまま訓練所を去り、一度部隊の待機場所へと顔を出す。汗臭い男達でごったがえしてはいるが、別段普段と変わりないようだ。
「あれ、中隊長補佐、昼は用事では?」
「それは終わった。中隊長を見ていないか?」
「ここには居ないですね」
「あ、そうだ、補佐、さっき、スレンダー美女が補佐を訪ねてやってきましたよ!」
「あの冷たい目線、堪らないですよね!」
「……名前と用件の報告を」
 軍部でもエリート集団と言われているが、中身はこの程度である。クリストファーが「アニキ」などと陰で呼ばれているように、イエーツの軍は全体的にお堅い集団ではない。ベルフェルの兵は規律が生真面目とう名の服を着て歩いているようだと評されるが、彼らからすれば信じがたい話だろう。
 さすがに額を手で押さえたレスターに、ベテランの小隊長が苦笑しながら詳細を語る。
「法務省のヴェラ・ヒルトンという方ですよ。用件は来たと言えば判るとのことでして」
「ああ、なるほど」
 頷くが、周りは見ない。どの目も彼女を新しい愛人候補かと疑っているのは明白だったからだ。
 ヒルトンに知られたら殺されるな、と思いながらレスターは小隊長に礼を言って軍部を後にした。ダグラスと会うために抜けた時間を考えれば、そう遠くにはいないだろうとあたりをつけ、軍部と財務省の境にある法務省の出張所を訪ねれば、案の定、ヒルトンはそこで待っていた。
「すまない。待たせたようだ」
「いえ、私も突然訪ねましたから」
 クリスや天敵のようなユーイングには違った顔を見せることもあるヒルトンだが、他には極めて事務的な態度である。それまで座っていたソファから立ち上がり、姿勢良く歩き近付くと、彼女は抑揚のない声で用件を告げた。
「本日付で、ステラ・エルウッドをウィスラーの籍から完全に消去する手続きが終了しました。あとはステラ・エルウッド自身が直接証明手続きを出すことにより、あなたはウィスラーとは縁戚ではなくなります」
「それはありがたい。だがそれを伝えにわざわざ?」
 ヒルトンは総務所属のいち事務員ではあるが、メッセンジャーをするような下っ端ではない。ベテラン捜査官をサポートし情報を分析しまとめるエキスパートだ。本来なら軍部の事務局宛に書簡を送れば済む話に、わざわざ出張る身ではないのだ。
「いえ……」
 僅かに躊躇い、人目をさけるようにヒルトンはレスターを物陰に誘導する。
「これはまだ未発表なのですが、オルブライト元財務長官を五年、王都から追放することが決定されました」
「! それは……思ったよりも厳罰だな」
「ええ、ですがこれまでの功績で得た称号などはそのままということで、実質、五年の我慢ということになるようです」
「なるほど、それが落としどころか……。しかし、何故君はそれを私に?」
「これはキーツどのの提案なのですが」
 僅かに顔をしかめ、ヒルトンには珍しく目を逸らす。
「ユーイングも元財務長官に付いて出ていくことは目に見えています。ですので、まだそれも先の話ですが、……一度皆で集まらないかと」
「今更親睦を深めようというわけでは、ないだろうな」
「……名目上は」


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